本能を磨いた虫、知能を選んだ人間。それぞれの「成長」をめぐる戦略――『生き物が大人になるまで』(後編)
記事:大和書房
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「本能」と「知能」。この二つは、生物が行動するうえでの拠りどころとなる能力で、多くの生物が、その両方を持っています。
それでは、このうちの一つ、本能とはどのようなものでしょうか。
わかりやすいものに、渡り鳥の例があります。渡り鳥は、誰に教わらなくても、渡りの時期やルートを間違えることはほとんどありません。またサケも、誰に教わらなくても生まれ故郷の川にたどりつき、川を遡ります。本能によって、決められた行動を、間違うことなくとることができるのです。
この本能を、もっとも高度に発達させた生き物が昆虫です。昆虫は親から何も教わらなくても生きていくことができます。
たとえば、卵から産まれたばかりのカマキリの赤ちゃんは、誰に教わっていなくても、鎌を振り上げて小さな虫を捕らえることができます。また、ミツバチはみな、デザインと機能性に優れた六角形の巣を作ることができます。そして、花の蜜を見つけ、仲間に花のありかを伝え、働きバチたちは女王バチや幼虫の世話をし、巣のメンテナンスをします。
このように、昆虫は本能という高度なプログラムによって、誰に教わらなくても、生きていくために必要な行動を取ることができるのです。
それに比べると、私たち哺乳動物は、そう簡単に生きていくことができません。
産まれたばかりの赤ちゃんは、とても一人では生きられません。かろうじて、飲み方を教わらなくてもおっぱいを飲むことくらいはできますが、人間の赤ちゃんが本能でできるのは、この程度のことです。
肉食動物の子どもを例にみても、親から獲物の捕り方を教わらなければ、狩りをすることさえできません。草食動物も同じです。親が肉食動物に気がついて逃げればいっしょに逃げますが、いったい何が危険なのかさえわかっていません。
私たち哺乳動物にも本能は備わっているものの、昆虫ほど完璧にプログラムされた本能は持ちあわせていないのです。誰かに教わらなければ、何もできない存在だということです。
なぜ哺乳類は、昆虫のように高度な本能を持って進化してこなかったのでしょうか。それは、本能にはある欠点があるからなのです。
たとえば、トンボが今にも干上がりそうな道路の水たまりに卵を産んでいるのを見たことはないでしょうか。私たちの目から見ると、そんなところに卵を産めば、幼虫が育つことなく干上がってしまうように思えますが、トンボは平気で卵を産みます。水たまりどころか、ブルーシートの上に卵を産んでいることさえあります。おそらくは、「地上で陽の光をキラキラと反射させているところに卵を産む」とプログラムされているのでしょう。その本能に従って卵を産んでしまうのです。
アスファルトやブルーシートがない時代には、そのプログラムで間違うことはなかったのでしょう。
他にも、狩バチの仲間は、他の昆虫を獲物として捕らえると、巣に持ち帰って幼虫のエサにします。ところが、巣に持ち帰る途中でエサを落としてしまっても、探そうともせずに、 そのまま巣まで飛んで帰ります。また、太陽の光で自分の位置を判断する昆虫たちは、暗闇に輝く電灯に向かって突進してしまいます。
こうした昆虫たちは、本能のプログラムに沿って機械的に動くために、誤った行動をしてしまうことがあるのです。これが本能の欠点です。決まった環境であれば、正しく行動をすることができるのですが、プログラムの想定外の環境の変化にはまったく対応できないのです。
そこで、生きるための手段として、「本能」ではなく「知能」を高度に発達させたのが、私たち人間を含む哺乳類です。想定外の出来事が起こったり、環境の変化があったりしても、情報を処理してその場の状況を解析し、とるべき行動を導き出す。これこそが、知能のなせる業なのです。
ところが、知能にも欠点があります。 知能を使って生きる術を身につけるのには時間がかかるうえに、身につけるまでは、親の保護や教えを必要とします。だから、生まれながらにして生き方を知っている昆虫と違い、人間をはじめとする哺乳類は、生き方を身につけた、成熟した大人になるまで時間がかかるのです。
また、長い進化の過程で身につけた「本能」は、多くの場合、正しい行動を導くマニュアルです。つまり解答が示されているのです。しかし一方の「知能」は、自分で解答を導かなければならないうえに、自分の頭で考えた行動が正しい答えであるとは限りません。考え抜いた挙げ句に、行動を誤ってしまうこともあるの です。
「本能」を発達させた虫と、「知能」を発達させた哺乳類。両方に強みと弱みがあり、そのどちらが優れているということはいえません。そして、私たちは人間に生まれた以上、知能を磨き続け、解答のない生き方について考え続けなければならないのでしょう。