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小さな資本のお店がどう生き残っていくのかを考える:メリーゴーランド京都の場合

記事:晶文社

『物語を売る小さな本屋の物語』(晶文社)
『物語を売る小さな本屋の物語』(晶文社)

びっくりするようなお客さんの一言

 一冊一五〇〇円の絵本が売れたとしよう。本の利鞘(りざや)がよくて三割としても、一冊売って店に残るのは四五〇円、そこから袋代や人件費、家賃、光熱費がかかってくるのだ。一冊を売るために本屋はどれ程の労力を費やすだろう。お客さんの希望するような本を探して、内容を説明して、ゆっくり読んでもらって買ってもらえたらラッキーで、「やっぱり今度にするわ」と言われてしまうことは多々ある。

 ある日五〇代くらいの女性のお客様がレジカウンターに山のように本を持っていらした。私は「こんなに買ってもらえるのか!」と密かに興奮した。するとその女性は「この中でアマゾンで買えない本だけ買いたいけどどれかわかる?」と言ったのだ。私は耳を疑った。嫌がらせで言ってる様子はなく、いたって真面目なのだ。「何の悪びれもせず本屋にそんなことが言えるんだ」と内心驚いた。

 この本を全部買ってもらえないことがわかってがっかりはしたのだが、ここで諦めるわけにはいかない。一冊でもいいから何とかこの人に本を買ってもらいたいと思った。あいにくうちは新刊書店だ。新刊書店ということは、今流通している本を扱っているということなのでほとんどがアマゾンでも手に入る本ばかりが並んでいる店と言って間違いはないだろう。

 けれど、ここからが勝負なのだ、「全部買えますよ」と心で思っていたって口が裂けてもそんなことは言うまい。ネットで買っても古本で買っても本屋で買っても本の内容は必ず同じだ。だったら本屋は何を売るのか? 本棚を眺める喜び、あれこれ手にとって選ぶ楽しみ、思いがけない本との出会い、店員との会話、その全てが合わさって本屋なのだ。

 広告代理店で働いていた頃、喫茶店のマスターに「うちは一杯三〇〇円でコーヒー出してるけど、広告出したら一体何人お客さんが来るん?」と言われた。時々、広告代理店の営業さんがうちの店にも訪ねてくることがある。企画書を見ながらあのときマスターに言われたことを思い出し、私も同じことを思うのだった。

 「三年待ってください」と増田さん(注:「メリーゴーランド」オーナー)は会計士さんに言ったそうだ。けれど「三年やってみてダメだったからやっぱりやめました」となるのは絶対に嫌だった。私にはもう戻る場所はないのだ。店は私しかいない。何かイベントをやろうと思っても場所もスタッフもいないのでどうにもならなくてもどかしい思いをした。その点、四日市は店の三階がホールでスタッフもいる。本当に恵まれた環境だったのだと改めて気づくこともたくさんあった。

 気持ちは焦るけれどできることから一つずつやって積み重ねていくしか道はないのだ。親しい作家さんが「今度京都で講演会するから本の即売をやってくれる?」とか、「関西に行くついでに寄るから何かイベントする?」と時々声をかけてくれるのはとてもありがたかった。そんなときは友人に店番を頼んで本を担いで売りに行った。即売で少しでも売れたらそれは店の売り上げの足しになる。あとは地道に一冊一冊本を売ることしかなかった。

 月末に支払いをしたら店のたくわえは綺麗になくなっていたのが、少しずつ残るようになっていったのは、オープンから三年を過ぎた頃だったかもしれない。

好きな本しか売らない本屋

 京都の店を始めた頃は四日市の店をぎゅっと凝縮したような店にしたいと思っていた。今までメリーゴーランドに通ってくれているお客さんはもちろん増田さんやスタッフたちをがっかりさせてはいけないという思いが強かったのだ。そこに自分の色を乗せるような発想はあまりなかった。

 オープンしたての店を訪ねてくれる人たちは口を揃えて「良い店になったね」とか「素敵な空間ね」とか大抵褒めてくれた。私も褒められるのは好きなのですっかりいい気分になっていた。

 そんな頃、編集者の松田素子(もとこ)さんが来てくれた。店の雰囲気を見、じっと棚を眺めながらいつもの「いい店になったね」の一言を待っている私に素子さんは、「これが潤ちゃんが作りたかった店なの?」と言った。

 私はトンカチで頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。

 最初の頃の店の棚は四日市の店に合わせてあいうえお順の作者別で本を並べていた。本の並びをあまり深く考えていなかったのだ。そもそも四日市とは広さが全く違う。ぐるりと見渡せるほどの小さな店なのだからあいうえお順にする必要なんて一つもなかった。収めてみて何だか面白みもないししっくりこないなと薄々は感じていたけれど、この本棚にぎっしりと詰まっている本をもう一度出して並べ直す気力はなかった。素子さんに言われて、何を言っても言い訳にしかならないと思った私は「一ヶ月後にきっとまた来てください」と言うのが精一杯だった。

 次の定休日を待って本の総入れ替えをした。眺めていて飽きない、ちょっとした発見が隠れているようなわくわくする棚が作りたいと思った。作者も国も時代も関係なく「この本の隣にこの本を並べたい」とか「この本を好きな人だったらこの本もきっと気にいるのではないか」などなど考えながら本を棚に収めていくのはとても楽しい作業だった。並んでいる本は全く同じなのに並べ方、見せ方を少し変えただけでこんなにも違うのかと自分でも新鮮な驚きがあった。

 蔵書は四〇〇〇冊ほど。こぢんまりとした小さな店だ。どこにどの本があるかは私の頭の中には大体入っているので検索などせずとも尋ねてもらったらすぐにわかる。好きな本しか置かないと言えば聞こえはいいのだけれど好きな本しか勧められないと言ったほうがしっくりくるかもしれない。不思議なことにメディアで話題になっている本とメリーゴーランドはなぜかしら縁遠いのだ。そういう本を置いてみることもあるのだがちっとも売れない。

 いつの頃からか、歩いていける距離に大きな書店があるからうちでは置かなくてもいいやと思うようになった。その代わり大きな書店では埋もれてしまって見つけられないような本を並べたいと思っている。同じメリーゴーランドでも四日市と京都とでは売れる本が全く違う。客層が違うことも多少あるのかもしれないが、それよりも売る人が違うことのほうが大きいように思う。売れ筋は自分たちで作るのだ。

 次々と新刊が出るものだから、話題になっていたと思ったのにもう世の中は新しい本を求めていたりする。けれど私たちが大事にしてきた子どもの本は消費するために作られたものではないのだ。細く長くゆっくりと時間をかけて売れ、読まれていく。そうやって多くの人たちの思いを乗せて子どもの本の文化は作られてきた。作るほうにも売るほうにも「子どもたちに届ける」という覚悟が必要なのだと思う。そして本屋には読者を育てるという意識も必要なのではないだろうか。

 「潤さんはすぐに顔に出ますよね」とスタッフからよく言われる。興味のあること、好きなことはものすごく集中するくせに、嫌なことはとことん嫌そうにするのだ。そういう性格だから好きな本しか売れないとなってしまうのかもしれない。

心のどこかに、そっと種をまく

 多くの子どもの本専門店がブッククラブをやっている。登録すると年間を通じて年齢に応じた絵本が毎月送られてくるというものだ。絵本をほとんど持っていない、自分で本をあまり買わないというお家にならこのシステムはいいかもしれない。

 けれど私は、絵本は年齢で選べるものではないと思っている。お店で絵本を選ぶ時も年齢、性別はもちろん兄弟のあるなし、家にたくさん本があるか、絵本好きな人が家族にいるかなどなど、選ぶ上で知りたい情報はたくさんあるのだ。それに赤ちゃんにだって好みはもちろんある。どんな専門家がデータを踏まえて選んだって全ての赤ちゃんや小さな人が気に入ってくれるなんてありえないのだ。

 だからこそ本を選ぶのは面白い。私はお客さんとおしゃべりしながら会話の中にヒントがないかと探る。そのうちにピンとくると二、三冊本を見せながら紹介する。その中からお客さんが気に入ってくれるものがあれば万々歳なのだ。

 ある日「鈴木さんが選ぶブッククラブってないんですか?」とお客さんに尋ねられた。もし私ができるとすれば年齢別のコースだてをして同じ本を送るものではなく、店頭で紹介するようにお客さんと一緒に本を選べるようなものがやりたいと思った。「自分で読めるような童話を」とか「寝る前に読んであげる本を」とかお客さんの希望は様々だ。

 そして赤ちゃんの頃から送り続けて「そろそろ自分で選ぶようになってきました」と連絡をもらうとブッククラブの卒業の頃。中には「次は私が読む本をお願いします」とお母さんにバトンタッチする嬉しい出来事もある。本を選んだら、手持ちの本と重ならないか確認のメールをするので、手間もかかるしやり取りに時間がかかってお客さんを待たせてしまうこともよくある。けれど小規模だからできるこのブッククラブはとてもうちらしいと思っているし私はこのやり方が気に入っている。

 先日、「職場の同僚が出産したので、みんなから募りました。この予算で続くだけ赤ちゃんに絵本を送ってあげてください」と素敵な依頼を受けた。私は出産したときにお祝いに洋服をいただく機会が多かった。確かに使えるものだし赤ちゃんの服などは何枚あっても困らないだろうと思うのだけれど、あまりに上等すぎてもったいなく大切にしまっているうちにタイミングを逃して着れなくなったものがいくつかあって残念な思いをしたことがある。何よりあの人形に着せるような小さなサイズの服は、見ているだけでもついつい頬が緩むのだから買いたくなる気持ちもよくわかる。洋服となれば一着で二千円、三千円では済まないだろう。けれど、本だとしたら一人二千円で一〇人募れば二万円。これだけあれば十分一年間絵本を送ることができるし、毎月届くなんて特別だ。何より絵本は長く楽しめるのでそれもいい。

 親しい友人からブッククラブの申し込みを受けることもよくある。時には作家や編集者など本に関わる仕事をしている人から依頼されることもある。仕事柄普段から本を手に取る機会が多い人たちなのにわざわざうちのブッククラブを取ってくれるというのだから責任重大。そこには私の思いを込めて選ばなければならないので、どうしたって力が入ってしまうのだ。

 「知ってはいたし、以前読んだこともあるのだけれどどうして今潤ちゃんがこの本を選んだのかと考えながら読んでみると新しい発見がありました」と言ってもらったらホッとする。読むほうも私が選んだからという思いで読んでくれているのが伝わって嬉しい。

 本には思いを乗せて送ることができるのだ。「娘が小学校の図書館から好きな本を自分で選んで借りてくるようになりました。本棚も一杯になってきたし残念だけれどそろそろブッククラブを辞めようかと思います」と二歳の頃から本を送っていた子のお母さんからメールをもらった。大きくなったんだなと嬉しく思うと同時に「ああ、この本もあの本も紹介したかったな」という思いが残る。その子は遠くに住んでいるから数えるほどしか会ったことはないのだけれど、親戚のおばちゃんのような気持ちでいた自分に気がついた。

 少しして手紙が届いた。「小さい頃からじゅんさんが選んでくれた本が私の本棚にはたくさんあります。大好きな本に出会わせてくれてありがとう」とくっきりとした鉛筆の文字で書いてあった。

 我が子が巣立っていったような気持ちというのはこういうものなのだろうか、「こちらこそありがとう」私は少し泣きそうになって手紙を読み終えた。

 「『中学生になるしそろそろブッククラブを辞めようか』と息子に言うと、『え!? なんで辞めやなあかんの?』と言われてちょっとびっくりしたんです」とメールをもらったことがある。その子は本当に本をよく読むし自分で好みの本を選ぶことのできる子だと思っていたので、私のほうも実は「いつまで送らせてもらえるのかな」と考えていたのだ。こんな声を聞くと私は嬉しくて仕方ない。彼は私のことを信頼してくれているのかもしれない。私たちは本で繋がっているのだ。彼のお母さんも素敵な人で私たちは時々ブッククラブのやり取りのメールの中で日々の色んなことをとりとめもなくお喋りすることがあるのだけれど、その会話の中から子どもに対する誠意ある思いを感じるのだ。

 親は子どもが独り立ちするまでに色んなことを伝えたいと思うだろう。それには様々な方法がある。野生動物ならそれが狩りの仕方だったり、安全な寝ぐらを確保する生き抜くための術なのだろう。

 けれど本で伝えたいのは目には見えないものだ。それは薄ぼんやりとした気持ちの揺らぎだったり、人に話さずにはいられないような感動だったりするだろう。それを言葉で話して伝えようとするのはとても難しい。けれど本でなら、すぐには確信できないかもしれないけれど心のどこかにそっと種をまくことはできるのだと、私はブッククラブや店に来てくれるお客さんから教わったのだ。

(鈴木潤『物語を売る小さな本屋の物語』より抜粋)

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