東京2020オリンピックの記憶とともに残された美しい写真記録 堀寿伸著『東京夜景』
記事:創元社
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はじまりは、写真集『大阪夜景』であった。
大阪に生まれ育ち、働きながら夜景を撮影し、インターネットの個人サイトで精力的に作品を紹介していた写真家・堀寿伸氏。彼のサイトは、いつしか夜景ファンのみならず、企業や行政からも注目されるようになっていた。
そんな堀氏の最新の作品を編集し、都心から郊外まで、大阪府下全域の夜景スポットを美しい写真とともに紹介した『大阪夜景』は、今から7年前の2014年に刊行された。
開業したばかりのあべのハルカス展望台から撮影した夜景をカバーにあしらった小ぶりな横長の写真集は、横浜に並ぶ大都市でありながら、たこ焼きやおばちゃんや阪神タイガースやお笑いばかりで語られる、大衆的大阪イメージを変えていくことをも意図した出版であった。
その意図は、支配的な大阪イメージにいい加減うんざりしていた、比較的歳の若い多くの大阪府民や関西人にも肯定的に評価されたと思う。ただ同時に、外国人旅行客の飛躍的な増大による、観光業バブル到来が騒がれだした時世に乗っかる出版物としても受容されたこともあって、夜景人気も裾野が広がり、3年後の2017年には、「増補改訂版」を上梓することができたのである。
「増補改訂版」を出版した時、東京五輪は3年後の開催が動かしがたい、国威発揚巨大イベントとして、官民挙げての喧伝真っ只中であった。その宣伝手段にはSNSが不可欠のものとなっており、感染メタファーとしての「インフルエンサー」や「拡散」といった用語が絶え間なく飛び交っていたのである。
そんな中、『大阪夜景』と判型を同じくする新たな写真集企画『東京夜景』も、商業出版企画として採択された。全作品を新たに撮り下ろすため、堀氏の長期東京滞在も敢行し、鋭意編集の末、『東京夜景』は無事刊行となった。2019年2月のことである。その後一変する世界の光景については、ここで細かく説明する必要はなかろう。
本書が、東京五輪開催を見越しての商業出版企画であったことは間違いない。ところが、この本の中には、じつは東京五輪に関する記述がほとんどない。おそらく「おわりに」で一言、再開発の一環として五輪に触れただけであり、写真のキャプションにも五輪に関する言及は見当たらないのである。
なぜなのか。おそらくは、東京五輪はあくまでも商売のための方便にすぎず、出版の主眼は、東京五輪直前の、それまでとは大きく変わりつつあった〈新しい東京の夜景〉を作品化することに置かれていたからであろう。
2020年の東京五輪は空に消え、2021年の五輪開催もいまや風前の灯火である。しかし、堀氏の『東京夜景』には、コロナ禍に巻き込まれる直前の、明日の五輪開催を毫も疑うことのなかった東京の夜景が、データ付のまとまった形で、紙の上に網点として残されることになったのだ。
コロナ禍の東京は、すでに多くの写真家が精力的に撮影し、写真集の商業出版もとっくに始まっている。五輪前の東京を写真に収め、作品集にした出版物もあることはある。
しかし、コロナ禍直前の、五輪開催を信じきっていた東京の夜の姿を、網羅的に記録に収めた商業出版としての写真集は、私の知る限りでは本書だけである。
だからこそ数十年後、美的作品としてのみならず、ある大きな歴史的転換点を迎えようとしていた夜の東京を偶然にも記録した写真集として紹介されることも、決して夢物語ではないであろう。
それは、多くの年老いた東京人にとって、その後長く明けることのなかった夜の記憶とともに、ある懐かしさを喚起する記録であるかもしれない。
[編集局・山口泰生]