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オリンピックの外国人旅行者が見たナチス・ドイツの現実 『第三帝国を旅した人々』

記事:白水社

日記や書簡の引用によって、歴史的事件の瞬間を生きた人々の「肉声」を再現する! ジュリア・ボイド著『第三帝国を旅した人々──外国人旅行者が見たファシズムの勃興』(白水社刊)は、口絵写真をはじめ地図や旅行者人名録も収録。カバー図版は、制服姿のドイツ女子同盟メンバーが募金を呼びかけるナチスの政治ポスター。
日記や書簡の引用によって、歴史的事件の瞬間を生きた人々の「肉声」を再現する! ジュリア・ボイド著『第三帝国を旅した人々──外国人旅行者が見たファシズムの勃興』(白水社刊)は、口絵写真をはじめ地図や旅行者人名録も収録。カバー図版は、制服姿のドイツ女子同盟メンバーが募金を呼びかけるナチスの政治ポスター。

ヒトラー治世下のドイツを立体的にする「絵巻物」(「はじめに」より)

 本書〔『第三帝国を旅した人々──外国人旅行者が見たファシズムの勃興』〕では二大戦間のドイツで何が起きていたか、それを描くつもりです。外国人たちの直接体験を書き留めた記録を基にして、ヒトラーのドイツを旅するということが体感として、また心情的に実際にどのようなものだったのか、その感覚を再構築してみました。ナチス・ドイツの、これまで知られることのなかった生々しいイメージを呈示するため、未公開の日記や書簡をあまた探しもとめることになりましたが、これによって読者の固定観念がより鮮明に──ときにはそれをくつがえすことに──なれば本望です。第二次世界大戦のあとに生まれた者にとって、あの時期を感情抜きで見ることは不可能です。ナチスがおこなった残虐行為はあまりに強烈だから、それをなかったことにしたり脇に除けておくようなことはできません。でも、戦後得たそのような後知恵なしに第三帝国〔神聖ローマ帝国(第一帝国)、ビスマルク治下のドイツ帝国(第二帝国)に続く三番目の帝国である、というナチスの自称〕を旅してみたら、何をどう感じるでしょう? そのとき何が起きつつあるかを知り、国家社会主義【ナチズム】の本質を見抜き、プロパガンダに影響されずにホロコーストを予言する、そういうことは容易にできたのでしょうか? そして、現地での実体験のあと、旅人たちは見解を変えることになったのでしょうか、それとも偏見を助長するだけに終わったのでしょうか?

ジュリア・ボイド著『第三帝国を旅した人々──外国人旅行者が見たファシズムの勃興』(白水社)口絵より
ジュリア・ボイド著『第三帝国を旅した人々──外国人旅行者が見たファシズムの勃興』(白水社)口絵より

 こうした疑問に加えてさらに多くの疑問が、ありとあらゆる訪問者の個人的証言を通して検討されてゆきます。有名人の名前を数例あげるとチャールズ・リンドバーグ、デイヴィッド・ロイド・ジョージ、パティアーラ大王、フランシス・ベーコン、ブルガリア国王、サミュエル・ベケットなどがいます。もちろん一般人の旅行者も少なくありません。平和主義的なクエーカー教徒からユダヤ人のボーイスカウト、アフリカ系アメリカ人学者から第一次世界大戦退役軍人まで。学生、政治家、音楽家、外交官、生徒、共産主義者、詩人、ジャーナリスト、ファシスト、芸術家、そしてもちろん観光目的の旅行者たち──その多くは休暇を過ごすために毎年のようにナチス・ドイツを訪れていた人々です。彼らは皆一家言あり、それは中国人の学者、オリンピック選手、ナチス支持を表明するノルウェー人のノーベル賞受賞者もそうでした。当然のことながらこれら種々雑多の旅行者がいだく印象や意見は大きく異なっていて、根本的に矛盾し合うことも少なくありません。しかし、それらを寄せあつめれば、ヒトラー治世下のドイツを立体的に見せてくれる、たぐいなき絵巻物になるのです。

ファシズム下における外国人観光客(「ヒトラーのオリンピック」より)

 ゲッベルスが催したパーティーはオリンピック競技会の最終日、ハーフェル川の島でおこなわれ、すべてのオリンピック参加チームが招かれていた。アイリス・カミングス〔米水泳選手〕は、広大な青々とした芝生、大きくて真っ白なテーブルクロス、そしておいしい食事にうっとりし、飲み放題の「ラインのシャンペン」をしこたま飲んだ一群の選手たちが酔っ払っていたことを回想している。その夕べは花火のつるべ打ちで幕を閉じた。最後の花火が終わったあと、チャノンはこう記す。「闇が悠々とゲッベルスを消し去って、本来の暗黒をとりもどすまで、夕空はまだしばらく明るかった」。こうしたナチス主催の豪華絢爛ショーは世慣れたヴァンシッタート〔英国外務省事務次官〕をも感服させ「彼らのエンターテイントの趣味の良さは抜群だ」と言った。だが、そこで費やされた驚異的コストを知り、英国が次のオリンピックを諦めたのはよかった、とすっかり胸をなでおろす。「日本にやらせればいい、喜んでやるだろう」

ジュリア・ボイド著『第三帝国を旅した人々──外国人旅行者が見たファシズムの勃興』(白水社)地図より
ジュリア・ボイド著『第三帝国を旅した人々──外国人旅行者が見たファシズムの勃興』(白水社)地図より

 八月一六日の閉会式のあと、選手の大半は荷造りをして帰国の途についた。大会期間中存在感を発揮し、いたる所に顔を出していたオックスフォード・グループのリーダー、ブックマンも引きあげた。アメリカに帰国して10日後、ブックマンはニューヨーク・ワールド・テレグラム紙のインタビューに応じる。それはセンセーションを巻きおこした。「わたしはアドルフ・ヒトラーのような人物を遣わせてくれた神に感謝します」と発言したのである。「彼はキリストの敵、共産主義に対峙する防衛前線を張ってくれたのです」。もちろん彼はナチスがなしたすべてを黙認したわけではない。「反ユダヤ主義? いけないことですよ、もちろん」。だが彼はこう続ける。「ですがもし、ヒトラーが神の啓示にひれ伏した場合を考えてみてください。それともムッソリーニがそうしたとき。あるいはどのような独裁者であれ? そのような人物を通して、一夜にして神は国家を支配し、最後まで残っていた難問をことごとく解決するのでしょう」

 ヴァンシッタートは帰国後、かなり違う結論に達した。彼が滞在を満喫したことは間違いがない──「わたしは胸暖まる好ましい個人的な思い出と、あらゆる面にゆきわたった寛大なもてなしに対する感謝の念を抱いてベルリンを去った」。しかしながら、そこには「メダルの裏面があった。痩せすぎて、向こうが透けて見えそうな横顔、秀でた額と怯えたまなざし」をした人、その人の名前は「イスラエル」だった。ある日の夜、英国大使館にいたヴァンシッタートを一人のユダヤ人が、密かに裏口を通って訪ねてきた。彼はひそひそ声で──「彼は絶対にささやき以上に声を上げなかった」──こう語った。もしこの往訪がばれたら、彼の命はそこで尽きるだろうと。ヴァンシッタートは何度となく、ユダヤ人の窮状についてナチスとの議論の際に持ち出そうとしたが、そのたびにフィップス〔駐独英国大使〕から、どのような形であれ干渉は被害者にとって百害あって一利なしと言われた旨を書き残している。三週間後、ドイツ人に関する印象をまとめて、ヴァンシッタートはこう書いた。「この種族は、巧みに作りだされた素晴らしく優秀な産物だ。彼らは目下厳格な訓練を受けているが、それはオリンピック競技のためではなく、オリンピック以外の、スポーツ精神などとはまったく無関係な世界の記録を破る、否、世界そのものを破壊するためなのである」。だがしかし、と彼は付言した。「彼らから何かが生みだされるのかもしれない」

 このほかにも、オリンピックという機会をとらえ、最善の事態を期待してやまぬ人たちがいた──ロンドンのイブニングポスト紙の指摘などはその一例である

 訪問客に感銘を与えようというドイツの思惑は間違いなく当たったが、訪問客が主催国ドイツに対して素晴らしい印象を抱くようになった点には誰もが驚いた。というのは、この三年間ドイツ人は外国人には油断するなと教えこまれ、最初彼らを迎えるときも礼儀正しくはあったが冷淡だったからだ。そして今度はベルリンの人たちが、予期せざる暖かみをもって訪問客を心から歓待するようになったのである。

 同記事はこのあと、主にフランス人、アメリカ人、ドイツ人からなる若者の長い行列が腕を組み、楽しげにスタジアムへ向かうようすを伝えている。

 大会終了後、皆が皆すぐにベルリンを去ったわけではなかった。バスケットボール選手のフランク・J・ルービンは、生まれ故郷のリトアニアへ旅する前もう一週間、ベルリンに滞在した。その一週間のせいで、彼にとってのベルリンは相貌を変えた。彼の競技はろくな施設にめぐまれなかったが(ヒトラーはバスケットボールに興味がなく、ドイツチームも参加していなかった)、彼の言葉によれば、オリンピック体験は「すべてが美しかった」。しかし今、目からウロコが落ちた。彼と妻があるレストランの前でここにしようと足を止めると、彼らの同伴者が店の窓にあったダビデの星を指さし、そそくさと二人を連れ去った。次に彼らがプールへ泳ぎにゆき、浴場へ入ろうとすると頭上に「ユダヤ人禁止【ユーデンフェアボーテン】」という大きな看板があった。ルービンは途方に暮れて、ほんの数日前までこんな標識はなかったと口にした。「なかったね」という返事がかえってきた。「でも、もうオリンピックは終わったから」。その三カ月前、イブニングポスト紙はベルリン市内のそこかしこで耳にした戯れ言を報告していた。

 オリンピック競技が終わったら
 ユダヤ人を相手にして楽しもう

 オリンピックは、結局ナチスが期待していたほどの訪問客を呼びこむことはできなかった。とはいえ、ベルリンへやってきた外国人数は前例のない数だった。彼らは種々雑多な人たちの集団であり、その多くがドイツ訪問は初めてだった。当然のことながら、彼らは千差万別の思い出を持ち去ったが、その大半は、制服に対する妄執はあるものの勢いに乗った効率的で友好的な国、という圧倒的印象を抱いて帰途についた。しかしながら、アフリカ系アメリカ人の学者W・E・B・デュボイスもオリンピックの時期にドイツにいて、自分が受けた印象をどう解釈していいのか悩み、「オリンピック大会をぶらりと見学にきたドイツ語を理解しない旅行者による証言は、あらゆる面において無価値以下である」と書いたが、この見解は正しい。この判断は、デラウェア州のプロテスタント・エピスコパル教会のフィリップ・クック主教のような人々が証明してくれた。大会後合衆国に帰国した主教は、報道陣に対し、「諸外国のなかでドイツは、アメリカ人観光客にとって最も快適な国です。彼らの習慣に順応し、彼らの言うことに従っていれば、親切にもてなしてくれますから」。彼の妻と七人の子どもたちはこれにうなずいた。

【ジュリア・ボイド『第三帝国を旅した人々──外国人旅行者が見たファシズムの勃興』(白水社)所収「はじめに」と第13章「ヒトラーのオリンピック」より抜粋】

ジュリア・ボイド『第三帝国を旅した人々──外国人旅行者が見たファシズムの勃興』(白水社)目次より
ジュリア・ボイド『第三帝国を旅した人々──外国人旅行者が見たファシズムの勃興』(白水社)目次より

【著者ジュリア・ボイドによる講演動画Travellers In the Third Reich- Julia Boyd - JWB 2018(英語) 右下の歯車アイコンをクリックすると字幕が出せます。】

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