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ケイソウの「微と美」に魅せられて 『驚異の珪藻世界 The Amazing World of Diatoms』

記事:創元社

微細藻類の一種で、淡水から海水まで広く分布している
微細藻類の一種で、淡水から海水まで広く分布している

形状のバリエーションが凄まじく、世界中に10万種いると言われる
形状のバリエーションが凄まじく、世界中に10万種いると言われる

 単細胞生物が作り出すガラスの細胞壁が、何故こんなにもいろいろな形になるのか、どうしてこんな繊細な模様ができるのか、珪藻の世界は不思議で一杯です。この本には、珪藻の形の面白さ、多様性、不思議さに魅了された3人の研究者が撮りためた自慢の顕微鏡写真が、これでもかというほど詰め込まれています。しかし、一体全体、どうしたらこんな浮世離れした本が世に出るに至ったのでしょうか。マイナー生物の研究者ならではの悲喜こもごもから紐解いていきたいと思います。

珪藻研究者の孤独

 我々珪藻研究者は孤独です。変人だから友達がいない、というわけではなく(確かに変人ではありますが、友達は少しだけいます)、世界広しといえども珪藻研究専門の大学など聞いた事ありませんし、珪藻研究に特化したマニアックな研究施設も今のところは存在しません。普段は総合大学の教養学部や、自然科学系の大学で植物や藻などを研究するグループの構成員として、一人寂しく珪藻と向き合う日々を送っているのです。同僚とは珪藻のつっこんだ話はしません。だって変人と思われるから…。

 唯一の例外は「学会」と呼ばれる集まりです。例えば国際珪藻学会という会には世界中の珪藻マニアが入会しており、2年に一回開かれる大会では、およそ1週間の期間中は朝から晩まで珪藻漬けの幸せな時間を過ごします。なにせ普段は職場でマニアックなトークが出来ませんので、大会ではその鬱憤を晴らすがごとく、会場の至る所でそれはそれはうっとりするくらい超濃密な会話が交わされます。こうして自分の興味のあることを共有できる仲間に会えるというのは大変に素晴らしいもので、この喜びは研究者の醍醐味の一つとさえ言えるでしょう。このような状況の中、我々著者に夢のような時間が訪れます。

秘密結社の誕生

 著者の一人であるMannは英国スコットランド首都のエジンバラにある王立植物園で珪藻研究を進めていました。2010年、そこに博士号を取得した直後の佐藤(筆者)が研究留学し、その翌年には文教大学の出井が研究滞在の機会を得てチームに加わりました。2011年から2012年までの1年間、3人の珪藻マニアが王立植物園の一室にこもって過ごすことになったのです。

 1週間の学会の集まりですら幸せな人種ですから、1年間に渡って日常的に珪藻のマニアックな話ができるなんてまさに楽園です。そもそも珪藻研究と一口にいっても実際は多様な分野がある中で、「生殖」や「形態形成」といったピンポイントの興味を共有する3人組ですので、研究室内での会話に加えて食堂での休憩時間(午前のカフェ、昼食、午後のカフェ。イギリスっぽいですね)でも議論は白熱します。植物園の同僚はというと、もちろんほぼ全員が植物の専門家ですから、我々が日々食堂で得体のしれない呪文のような珪藻専門用語を交えてゴニョゴニョと話し込んでいるさまは、はたから見ると秘密結社の会合さながらだったでしょう。

2017年にポーランドで開催された学会で久々に再開した3人組。左から出井、Mann、佐藤
2017年にポーランドで開催された学会で久々に再開した3人組。左から出井、Mann、佐藤

そうだ、本にしよう!

 とにかくこの1年間で、共同研究の成果として論文をいくつか書き、その過程で秘密結社はさらに結束を強めました。やがて出井は文教大学に戻り、佐藤も福井県立大学で教員としての職を得て社会復帰し、束の間の夢は醒めるかに思われました。しかし、一度火が付いた我々の情熱は簡単には冷めることはありませんでした。その後数年に渡って秘密結社日本支部は定期的に会合を開き、英国支部とも極秘にメールでのやり取りを続けました。

 論文のアイデアを練るために集まるなかで、それぞれのメンバーが「とっても美しい細胞」や「面白い形だけれど科学的にはなんだかよく分からない謎の構造」といった写真を大量に撮りためていることが分かりました。こうした「映える」写真は科学論文としてではなく、世に公表しようではないか、是非みなさまにも綺麗な珪藻の写真を眺めてウットリして欲しい、という思いが溢れ出てきました。もしかしたら、長年細々と寂しく研究を続けてきた反動もあったかもしれません。また、創元社の編集者である橋本さんが、我々の暑苦しい情熱を真正面から受け止めてくれたのも幸運でした。ともすれば3人の「いつものスタイル」になりがちな執筆やレイアウトを、冷静かつ熱いコメントで軌道修正してくれました。

珪藻による精密な形造りはナノテクノロジー分野からも注目を浴びている
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その摩訶不思議な造形は人智を超えた魅力を放つ
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珪藻の基礎知識がわかる解説やコラムも充実、しかも日英併記
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すべては「映え」のために

 最後に、これらの写真をどのように撮影してきたか、少しだけ我々のこだわりを自慢させてください。高性能の電子顕微鏡は、研究を進めるうえで大きな武器になります。しかし、その性能を十分に引き出すためには周到な準備、特に丁寧な試料作りが決め手になります。珪藻の殻の表面がほんの少しでも汚れていれば、それがそのまま見えてしまい、見映えのする写真にはなりません。よく見える高性能の顕微鏡には実は怖さもあるのです。

 試料作成の過程はざっくりいうと、珪藻の入った水をガラス上に一滴垂らし、洗剤で汚れを落とし、乾かすだけです。ただし、ごく僅かでも水の中に汚れがあると、乾かす過程でそれらが珪藻表面に集まり、珪藻本来の姿、滑らかな表面、繊細な模様が覆い隠されてしまいます。いかに水の汚れを珪藻表面に残さないか、その為にはどうしたら良いか、試行錯誤を繰り返しながら、それぞれの著者が独自の方法を編み出し技を磨いてきました。このようなこだわりが、すべての写真の中に生かされています。我々変人の珪藻への想いが、ぎっしり詰まった一冊です。是非、暑苦しいなどと思わず、手に取って非日常の「微と美」の世界を覗いてみてください。もしかしたら、あなたも秘密結社に加入したくなるかも…。

*本書の内容は、創元社のYoutubeチャンネルにてご視聴いただけます。

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