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東日本大震災から10年。未来に向けて(下)――「少年の夢」に向き合う覚悟

記事:春秋社

©金田諦應
©金田諦應

原発再考

 私の趣味はシーカヤック。若い頃より三陸海岸をフィールドにして楽しんでいた。仙台湾を北上し、石巻市渡波(わたのは)を過ぎた辺りから太平洋に突き出している半島が牡鹿(おしか)半島。複雑な海岸線と穏やかな海。黒潮は多くの海の幸を運んでくる。リアス式海岸が連なるこの辺りの海は、シーカヤックを楽しむ者にとって、まさに楽園である。

 ある日、牡鹿半島女川町夏浜から出艇し、女川原子力発電所辺りまで行ってみよう、と少し冒険の匂いのするツーリングを思い立った。牡鹿半島は切り立った太古の岩盤に松や広葉樹が自生し、一幅の絵画を見るような美しさである。潮騒を聞きながらゆっくりカヌーを漕ぎ進めていくと、ウォーンという超低音の電子音が聞こえてくる。少し大きく海からせり出した岩を回り込む。すると突如、女川原発の原子炉建屋が現れてきた。太古の地形と原子炉建屋。まるで近未来映画を見ているような異様な光景にしばし声を失う。さらに近づくと警備艇から警告の声。立入禁止区域ギリギリの砂浜にカヌーを停泊させ海に潜る。生温かい海水。そして、異常に大きく育った蠣や昆布。「このような巨大なモノを私たちは制御できるのだろうか」、そのような恐怖と不安が起こったことを今でも覚えている。そしてそれは東日本大震災で現実の事になった。

 福島第一原発の大事故。原子力発電所は、繊細にそして慎重に積み上げられた科学技術の結晶。しかし、その原発は制御できなかったのだ。幸い女川原発は、奇蹟的に原子炉への決定的なダメージはなかったが、施設全体で600箇所近い破損が認められたという。

©金田諦應
©金田諦應

国家の品格

 最近、とても不愉快な出来事が二つあった。一つは、福島第一原発事故によって溜まり続けている汚染処理水の海洋放出への動き。もう一つは、女川原子力発電所二号機の運転再開に向けた地元同意が矢継ぎ早に決まったことである。

 震災によって破壊された福島第一原発から吹きあがる白い煙に怯えながら、多くの人々は、原発によって支えられ大量に消費を繰り返す社会を振り返り、等身大の暮らし方を模索し始めた。

 ところが震災の翌年、時の総理が「フクシマはアンダーコントロールされている」と世界に向けて虚言を発し、強引に東京でのオリンピック開催を勝ち取ったと同時に、そのベクトルが揺らぎ始める。再び首都東京で始まった建設ラッシュ。エネルギーの大量消費。フクシマの負のイメージは大手広告会社によって「復興五輪」と巧みに修飾され続けている。昨今、新型コロナウイルス感染症との関わりでオリンピック開催の是非が論じられているが、そうではない。私たちは、フクシマの問題が全て収束するまでオリンピック招致は遠慮するべきだった。それが品格ある国家の取るべき態度であったと思う。

 女川原発再稼働の地元同意を得るため、市区町村長を集めた一連の会議は実に強引な手口で押し進められた。福島第一原発から200キロ離れた我が故郷には大量の放射性物質がばら撒かれ、10年経ってもいまだその処理方法の決め手はない。まさに「責任を取らない国」日本。原発事故はその責任の所在も事故処理も何もかもが解決していないことを再び思い起こさなければならない。

 私たちは女川原発が立地している牡鹿半島の地理を熟知している。もしも女川原発が事故を起こした場合、避難は極めて困難であることは火を見るよりも明らかである。加えて、事故によって拡散する大量の汚染物質の処理はどうなるのだ。自宅裏の物置にはいまだにフクシマから飛散した放射能汚染灰が、処分する場所もなく放置されている。

 あの日、被災地では全てのエネルギーを失い、地上から全ての灯りが消えた。そして夜空には満天の星空が広がる。人々は蝋燭で灯りを取り、薪や炭で暖を取った。そこには今までにない穏やかな時間と空間があったのだ。口々にこれまでの反省と、これからあるべき社会の姿を語り合った。

©金田諦應
©金田諦應

 際限なく欲望を刺激し続ける社会。人の心を奪い続ける社会。津波で全てを流された漁師の少年は、「都会はあらゆるものを奪う、だけど海はあらゆるものをタダで与え続ける」ことに気づき、漁師になる夢を語ってくれた。少年の夢に真摯に向き合うこと、それはあの恐怖を経験した大人の責務なのだ。

 津波で破壊された海は再生を続けている。震災以前、海で生きる人々は「海との対話」を通して海との折り合いを付けてきた。三陸海岸沿いに現れた異常に巨大な防潮堤は、その対話を遮断する。海で生きる人々は、刻々と表情を変える海と対話する。自然を力でねじ伏せる事は到底できないだろう。この国は良くも悪くも自然災害によって成り立っている。海は多くを与え多くを奪う。私たちには、強靭な防潮堤よりも「破壊と再生」「生と死」のはざまを飄々と生き続ける「しなやかな力と智慧」が必要なのだろう。

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