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東日本大震災から10年。未来に向けて(上)――「カフェ・デ・モンク」で起こったこと

記事:春秋社

©金田諦應
©金田諦應

共生・共死

 2019年末より始まった新型コロナウイルス感染症は、拡大と縮小を繰り返しながら、世界経済と人々の暮らしに深刻な影響を与え続けている。そしてここしばらく減少に転じていた自死者が、再び増加傾向にある。2000年前後、右肩上がりだった日本経済が失速し、社会が歪み始めるのと同時に、自死者は増え続けていた。震災前の10年間で約30万人。人知れず静かに地方都市一つが消滅していたのだ。2000年に師父より寺を受け継いでから、それまではほとんどなかった自死者の葬儀が増え続ける。宗教者には葬送儀礼を通して死者と生者の物語を繋ぐ役割があるが、自死の場合、生と死は断絶し、繋ぎあわせることが難しい。

 「共生・共死」――人は共に生き、そして死を共有する。それが古来より共同体の基礎を形作り、その中で私たちは生きる術と死への折り合いの付け方を学んできた。しかし経済が下降線を辿り、制御ができなくなった社会。行き場を失った死者、輪郭がぼやけていく生者。社会には閉塞感・浮遊感が漂っていた。そして、脆弱な日本社会を東日本大震災が襲う。

 2011・3・11。東日本を襲った震度7の強い揺れ。局所的な揺れと違い、地球全体の振動を感じる。降り積もる無情の雪。被災地全体を覆った満天の星空。大津波に流された遺体。人々の嘆き、悲しみ、そして畏れ。星空と地上のはざまで自我が崩壊する。震災は宇宙的な出来事となった。

 巨大震災と大津波。そして福島第一原発事故。壊滅的破壊と放射能災害。そして大量の犠牲者。私たちは、震災と原発事故から発生した物心両面の苦悩を抱えながら歩むことになった。

 絶え間なく遺体が運び込まれる火葬場。足元が覚束ない鉄仮面のような遺族。破壊された海岸の前で神仏の姿を見失った宗教者。現場から突きつけられる実存的な問いの前に立ち竦み、おざなりな宗教言語は崩壊していく。宗教者には、その人自身の言葉が求められた。やがて、泥の中を尺取虫が這いずり回るように歩き始めた。

 一年が過ぎる。遺体とヘドロの匂いが入り混じった風は、磯の香りを漂わせながら私たちの法衣に纏わりついてきた。海の再生が始まっていた。そこに、探していた神仏の姿を見つける。立ち上がってくる自我を超越した世界。「人は必ず立ち上がる事が出来る」、そう確信する。私たちの視点は遙か宇宙からの視点へと昇華していく。

©金田諦應
©金田諦應

被災地ユートピア

 傾聴移動喫茶「カフェ・デ・モンク」。そこは、動かなくなった感情を解きほぐし、共に未来への物語を紡いでいく場所。寛容・開放的で、適度にほぐされている空間。色とりどりのケーキとコーヒーの薫りが漂い、静かに流れるセロニアス・モンクのルーズなjazz。そして暇げに佇むちょっと軽めのお坊さん。そのような場所に人は集まり、問わず語りで苦しい胸の内を語り出す。やがて、凍てついた心は融け始める。体験を他の人に伝えること、それは自分の中に閉じ込められた悲しみの物語を、少しずつ解き放つ作業なのだ。それは行きつ戻りつのプロセスを繰り返しながら、その人の未来への物語に織り込まれていく。私たちの役割は、揺れ動く心情に同期し、大きな悲しみに耐えながらそこにただ居続ける事だった。その活動は瓦礫の中から始まり、避難所、仮設住宅、そして復興公営住宅へと移動していった。

 仮設住宅では知らない者同士が肩を寄せ合うように暮らすことになる。それまで馴染んでいた地域での暮らしぶりから一転、狭く壁が薄い部屋での暮らしが始まる。いざこざは後を絶たない。やがて自治組織が立ち上がり、人々はそこで暮らす作法を身につけ、生活は少しずつ整い始めた。震災以前には崩壊しかかっていた人と人との繋がり、他を思いやる心が蘇ってくる。一瞬だがそこにユートピアが出現したのだ。

©金田諦應
©金田諦應

 大切な家族と家を失って一人部屋に閉じ籠っている女性に声をかけ、半ば強制的にカフェに連れてくる元気なおばちゃん達。幼い子供を失った母親をその側でそっと支える住人達。経験した悲しみは違うが、それは「皆の物語」としてその一つ一つが輝きを放っていた。そこには、震災前に失われた地域共同体の原型が出現した。

 しかし、この共同体はやがて復興公営住宅への移住が進むにつれ少しずつ閉鎖されていく。皮肉なことに、この共同体は消滅が最終目的なのだ。

孤立社会・無縁社会再び

 復興住宅へ移り住んだ人々は、それぞれの生活を取り戻す。多くの人々にとっては、そこが終の棲家となる。復興住宅は仮設住宅と違い、鉄の扉が世間との間に立ちはだかる。一度扉を閉めると、そこに孤独と病、そして死の影が漂い始める。仮設住宅では「皆の物語」を生きてきた。しかし、復興住宅では「それぞれの物語」なのだ。

 「仮設住宅では薄い壁から聞こえてくる声に悩まされ、時には苦情を言い合い、時には助け合いながら必死に生きてきた。復興住宅では、扉を閉めたらなにも聞こえない、そして人の気配すら感じない。今思うと、人の住む場所って、本当は仮設住宅のような場所なんだろうね」、老人が呟いていた。

 人々は仮設住宅での日々を懐かしみ、人間の生きる「本当の場所」を問いなおし始めている。そして、この頃から次第に、復興住宅での孤独死や自死が相次ぐ。

 震災前、日本社会には浮遊感と閉塞感が漂っていた。被災地は震災以前の社会に逆戻りし始めている。被災地のインフラは次第に回復しつつある。今後はもう一度、「ホッとする場所」、「みんなの未来」を語り合える場所作りが課題となる。

 あれからもう10年が経ってしまった。活動は当分やめられそうにもない。

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