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自分の関心から読む、今と地続きのファシズム  『図説 モノから学ぶナチ・ドイツ事典』

記事:創元社

戦争前の幸福な時期、ベルクホーフの別荘で、うきうきした様子の小さな崇拝者を連れて歩くヒトラー。
戦争前の幸福な時期、ベルクホーフの別荘で、うきうきした様子の小さな崇拝者を連れて歩くヒトラー。

『わが闘争』

どの批評もこの本を批判し、本の内容と粘着質な文体を攻撃しただけでなく、著者が精神的に安定しているか疑いさえした。(中略)後にナチ党を離れたオットー・シュトラッサーによれば、党内の反響が一般より熱狂的であったことはなく、多くの党員は一度も読んだことがないとひそかに告白していたという。しかも彼は、『わが闘争』を読んだことを最初に認めた者が残り全員の飲み代を払わなければならないとする賭けを党員がしていたことを明かしている。
当然、売上はそれほど振るわなかったが、1925年末までには初版の発行部数の1万部がほぼ売り切れた。その後6年間で、ヒトラーが政治家として出世したことが刺激となり、本は30万部近く売れ、首相に任命された1933年には、100万部以上売れた。驚いたことに、ヒトラーの存命中に『わが闘争』は全部で1245万部も売れた。そのうえ、ナチ国家によって新婚夫婦への贈り物、幸せなカップルにヒトラーの思想を吹き込むためのよこしまな贈り物にさえなった。

エラストリン製フィギュア

エラストリン製玩具は子どもたちを、寝室の床でヒトラーの演説を再現したり、戦争ごっこをしたりする遊びで楽しませ、わくわくさせた。もちろん、玩具であろうと政治的に中立であるはずがなかった。
皮肉なことに、このエラストリン製フィギュアは、ドイツ経済が「総力戦」体制へ転じ、ほとんどすべての非軍事産業の生産が終了させられた1943年、製造中止になった。もちろん、すでにその頃には、1930年代におもちゃの兵士で遊んで育ったドイツ人の多くがヨーロッパの戦場で実際に戦っていた。

ヒトラーの口ひげブラシ

1923年、ヒトラーの親友エルンスト・「プッツィ」・ハンフシュテングルはヒトラーに口ひげを剃り落とすよう説得を試みた。長いことヒトラーの上唇の上の貧小なチョビひげをうっとうしく思っていたハンフシュテングルは、それを「貧弱」で「風刺画家の格好の餌食」になると批判し、「男らしさ」を示すため、あごにひげを伸ばすよう提案した。驚いたヒトラーは、ハンフシュテングルは思い違いをしていると言い返し、「いずれこのひげは大流行するさ。信じたまえ!」といった。
ヒトラーのセンスは正しかった。ハンフシュテングルがヒトラーに「チョビひげ」をやめるよう説得していた1923年までに、ハインリヒ・ヒムラーとエルンスト・レームがすでに真似をしていた。その後、追随者の数はさらに増していく。(中略)もちろん、彼らの多くにとって、ヒトラーひげにすることはファッションによる自己主張以上のもの、つまり政治的忠誠を示す行為、彼らの「総統」に対する個人的な忠誠の誓いであった。

国民ラジオ受信機

1930年代の政権の中でおそらく唯一、ナチスはラジオ放送を使ったプロパガンダの可能性を十分に理解していた。(中略)ヨゼフ・ゲッベルスは、ナチの革命はラジオなしには「不可能」であっただろう、と語っていた。この場合に限り、彼は真実を述べていた。
1933年夏、ナチスはすでに、ラジオの大幅な普及と、あらゆる家庭と職場に政府の代弁者を置くという彼らの目標への到達に向けて、大きく前進しつつあった。同年8月の第10回ドイツラジオ博覧会でこの国民ラジオ受信機が発売された。他の製品よりも安い価格がつけられ、わずか76ライヒスマルク――平均的な賃金の2週間分よりもわずかに高い額――という、従来のラジオ受信機の価格の約半分で販売された。(中略)洗練された茶色の合成樹脂製のケースの中には、シンプルな3本の真空管と、ドイツ国内の放送以外受信できないくらい弱い2つのバンド受信機が入っていた。新しいナチ政権との関連は明白であった。ラジオの正式名称――VE301――がヒトラーの政権掌握の日である1月30日を表していたからだ。

映画『永遠のユダヤ人』ポスター

映画製作の発端は、積極的にドイツ国民の間に反ユダヤ主義的態度を伝え広めようとするナチの試みにあった。消極的な反ユダヤ主義はすでにドイツ国内でかなり広まっていたが、ナチの指導部はそれ以上のことを求めた。1938年の「水晶の夜」のポグロム[11月9~10日の夜、ドイツ全土のユダヤ人を襲った組織的な暴力と迫害]に対する国民のさまざまな反応に刺激され、ゲッベルスは反ユダヤ主義的プロパガンダを強化し始め、ドイツの民衆に、この先予定していた、ユダヤ人に対する過酷な処置に対する心の準備をさせた。映画はこの目的のために理想的なメディアと見なされた。

精神病院の鉄製ベッド

優生学――好ましくない特徴のある人々を犠牲にして、優秀とされる集団が子を産むことを奨励することにより、民族の遺伝的特質を改良するという思想――は何も目新しい思想ではない。(中略)しかしその思想はヒトラーとナチスに特別な反応を呼び覚まし、彼らは「人種衛生学」という考えを広めた。彼らの意見によれば、優生学は彼らの反ユダヤ主義に疑似科学的根拠を与えたばかりでなく、安楽死という考え、すなわち障害者の「慈悲殺」を合法と認めた。

強制労働者の「労働許可証」

第三帝国に迫害され搾取された集団の中で、強制労働者についてはほとんど知られていない。人目につかず、知られていなかったが、強制労働者は戦争の間ドイツの至るところに存在し、軍事産業や工業、農業の分野で何百万人もの人々が職務をこなしていた。(中略)ドイツの労働者の3分の1以上を占めていた強制労働者は、ナチの総動員体制に不可欠な存在であった。
強制労働者――全部でおよそ200万人――の5人に1人はポーランド人で、その大多数は、自分たちがどこへ行こうとしているのさえほとんど知らずに母国で徴集され、ドイツに移送されてきた。

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 以上、『図説 モノから学ぶナチ・ドイツ事典』より、いくつかの写真と解説を抜粋しました。ここまでに紹介した写真の他にも、ナチ党の選挙ポスター、ルーン文字が組み込まれた婦人組織のバッジ、「働けば自由になる」との銘の入れられた門扉、各種軍事兵器などなど、さまざまなヴィジュアル資料が収録されています。

 歴史をすでに終わったものとせず、いつかまた起こりえるものとして自らに引き受ける。そうした想像力を養ううえで、本書はきっと役に立つはずです。

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