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なぜヒトは笑うのか 「笑い」の進化史と機能を考える

記事:朝倉書店

人間の行動が進化の産物であるという観点から研究していこうとする分野を,人間行動進化学という。
人間の行動が進化の産物であるという観点から研究していこうとする分野を,人間行動進化学という。

「笑う」のはヒトだけなのか?

 ヒトの笑いは,口角(唇の両端)の上昇や目尻の下降,特徴的な発声などをともなう感情表出行動である。このような行動をもつ動物はヒトだけだと,かつては考えられていた。しかし,ヒトに近縁な類人猿の仲間は,くすぐり遊びなどをしてヒトの笑い声と似た音声をあげる。このことを最初に報告したダーウィン(Darwin, C.)は,これを喜びの感情を表す類人猿の笑い声だとしている(Darwin, 1872)。オランダのファンホーフ(van Hooff, J. A. R. A. M.)が笑いの起源と進化に関する仮説を発表するのは,その100 年後だ(van Hooff, 1972)。ファンホーフは,ヒトの笑いを大きく二分してとらえ,それぞれの起源は異なると考えた。つまり,笑い声をともなうラフ(laugh)と,声を出さずにほほ笑む表情であるスマイル(smile)は,霊長類にみられる別の行動に起源をたどれると考えた。

笑い声をともなうラフ(laugh)と,声を出さずにほほ笑む表情であるスマイル(smile),それぞれの起源は異なると考えられる。
笑い声をともなうラフ(laugh)と,声を出さずにほほ笑む表情であるスマイル(smile),それぞれの起源は異なると考えられる。

チンパンジーも笑う?!

 ファンホーフがヒトのラフにつながると考えたのは,遊んでいる霊長類がみせる,口を丸く開けて口角を少し後方に引く表情で,relaxed open-mouth display またはplay face とよばれるものだ(以下ではROM と略記。図1)。類人猿では,この表情に「ア゛ーハ,ア゛ーハ。」または「ハ,ハ,ハ。」という笑い声の発声がともなう。たとえば,チンパンジー(Pan troglodytes)の社会的遊びでは,くすぐられたり,追われたりする個体がしばしばこの笑い声をあげる(Matsusaka,2004)。play face は霊長類に広くみられる表情だが,このような笑い声をあげる種は限られる。大型類人猿はすべての種がこのような音声をもっていることから,約1600 万年前にいた共通祖先も笑い声をあげて遊んでいたと考えられる。

図1:母親にくすぐられてplay face を見せるチンパンジーの乳児。(撮影:松阪崇久)
図1:母親にくすぐられてplay face を見せるチンパンジーの乳児。(撮影:松阪崇久)

 一方,ファンホーフがヒトのスマイルにつながると考えたのは,霊長類のsilent bared-teeth display またはgrimace, grinfaceとよばれる表情だ(以下ではSBT と略記。図2)。これは,上下の歯を合わせて口角を後方に引き,歯列を露出させる表情で,劣位なサルが優位なサルに対してみせることが普通である。優位な個体への恐怖を示し,敵意がないことを伝える服従の表情だとされる。ファンホーフは,霊長類のROM とSBT のそれぞれがヒトのラフとスマイルに形態も生じる文脈も似ている部分があることに注目し,ラフとROM,スマイルとSBT はそれぞれ相同の行動だと考えた。

社会的な「遊び」のなかでの笑い

 笑いの適応的機能を考える際には,まず,社会的遊びのなかでの笑いに注目する必要がある。霊長類の遊びの誘いや再開の場面では笑顔(play face)がしばしば観察されるが,この表情は,追う,咬むなどの攻撃的な遊びの動作が「本気の攻撃ではなく遊び」であることを明確にするためのプレイ・シグナルだと考えられている。チンパンジーの笑顔は,遊びの開始・再開や持続を促す働きをもつと考えられている(Hayaki, 1985; Waller & Dunbar, 2005)。

図2:grimace を見せるチンパンジー。(撮影:松阪崇久)
図2:grimace を見せるチンパンジー。(撮影:松阪崇久)

 一方,笑い声は,攻撃的な遊びの動作をやられる側がよく発するが,やられる側は,追いかけっこでは「逃げる」,くすぐり遊びでは「手で防ぐ」「身をよじる」といった動作をよくみせる。チンパンジーの笑い声は,やられることを楽しんでいることを明確にすることで,これらの逃避的な動作が本気の逃避と混同されるのを防ぎ,遊びのやりとりを持続させる働きがあると考えられる(Matsusaka, 2004)。笑顔や笑い声が遊びの成立や持続を促す働きをもつのは,くすぐりやいないいないばあなどのヒトの遊びにおいても同様だと考えられる(Harris, 1999; Rothbart, 1973)。

奥が深い「笑い」の世界

 他者との親和的な人間関係を形成し,共同生活を持続するために笑いは不可欠だろう。また,多様化したヒトの笑顔は,複雑な社会関係の調節や社会的葛藤の回避などに役立っていると考えられるが,まだ検証はされていない。

笑いについてはさまざまな仮説が提唱されているが,まだ十分に検証されているとはいえない。
笑いについてはさまざまな仮説が提唱されているが,まだ十分に検証されているとはいえない。

 ヒトの乳児の社会的微笑が親からの養育行動を引き出す機能をもつことは,間違いないだろう。仰向けで寝る乳児との対面コミュニケーションが発達した人類は,親子で見つめあい,ほほ笑みあうことで,親子の愛着関係を強めてきたと考えられる。一方,自発的微笑の機能ははっきりしていない。チンパンジーの母親は子の自発的微笑に反応を示さないことから,この表情の本来の機能は親からの愛着強化ではなかったと考えられるが(松阪,2013),ではどういう機能をもつ表情だったかは明らかでない。また,ヒトの自発的微笑に愛着強化の機能があるかどうかもまだ検証されていない。

 以上のように,笑いの適応的機能についてはさまざまな仮説が提唱されているが,それぞれはまだ十分に検証されているとはいえない。今後さらに研究が必要である。

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