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祭は文化のタイムカプセル――『日本だんじり文化論』

記事:創元社

天神祭の地車(だんじり)。地車のモデルである川御座船を強く意識した三棟造の珍しい形態
天神祭の地車(だんじり)。地車のモデルである川御座船を強く意識した三棟造の珍しい形態

忘れられた地車(だんじり)

 平成28年、ユネスコ無形文化遺産に全国33か所の「山・鉾・屋台行事」が登録された。日本、世界に対して、多様な祭具の存在が知られる契機となった。ところが、この中に地車を探してみても、岸和田祭はおろか、地車が出る祭が一つも含まれていない。地車はいずこへ? 登録の空白地帯となる大阪から瀬戸内にかけてが、まさに地車文化圏の中心にあたる。

 ユネスコ無形文化遺産への日本からの提案に際しては、国指定重要無形民俗文化財に登録された行事が基準となった。その中に地車がないのは事実である。もちろん、祭の価値と文化財指定は無関係である。祭は地元民にとって意味があればそれでよい。とはいえ、これだけ広範囲に分布し、ゆうに500台を超える祭具の営みが忘れ去られてよいはずはない。

 全国の都市祭礼の起源を京都の祇園祭に求める向きもあるが、地車は、祇園祭の山鉾とは系譜が異なり、大阪独自の文化の中で生み出された。それゆえ、地車の探究には、既存の祭研究とは異なるアプローチが必要である。そのためでもあろうか、これまで学術研究者による地車研究も皆無であった。それが、この「空白」を生む遠因になっているのかもしれない。

 本書は、このような現状を憂い、史料分析とフィールドワークの成果を駆使して、地車研究を次の段階に推し進めようとするものである。

ユネスコ無形文化遺産に登録された「山・鉾・屋台行事」の空白地帯と「地車・太鼓台文化圏」
ユネスコ無形文化遺産に登録された「山・鉾・屋台行事」の空白地帯と「地車・太鼓台文化圏」

「地車とは何か」を探究

 地車といえば大阪の岸和田祭が有名であるが、地車が生まれ、江戸時代に隆盛を誇ったのは、天神祭をはじめとした、現・大阪市域の夏祭である。

 唐破風(からはふ)の屋根の地車を見て、神社の社殿を連想する人は少なくない。地車文化圏の子供たちは、宮型の霊柩車を見て、「ダンジリや!」と叫ぶ。ところが、ルーツをたどると、地車の原型は船だったのである。それもただの船ではなく、江戸時代に淀川を往来した豪華絢爛の川御座船が、地車のモデルである。地車の周囲に巡らされた波模様の飾幕(かざりまく)や彫刻、部材に用いられた和船用語や舵取(かじとり)の手法、風に舞う吹流(ふきながし)など、地車には船の記憶が多く刻まれている。

 今では組物(くみもの)を備え随所に彫刻が施される地車が多いが、当初は粗末なものが多かった。地車は、ニワカ(俄)と呼ばれる滑稽寸劇を披露するための移動式の芸能舞台でもあった。天神祭をはじめ現・大阪市域の各神社の夏祭では、ひと夏で100台を超える地車が曳き出されることもあった。その需要に応えたのは、貸地車祭礼貸物屋と呼ばれたレンタル業者であった。

 ダンジリというのも不思議な言葉である。本書の主題であるダンジリ(地車)は、唐破風の二棟造で四輪の形態を採ることが多い曳車であるが、地域や時代によってダンジリが指す対象は異なる。ダンジリの語源は、稚児舞(ちごまい)の囃子の笛と太鼓の擬音語であった。

 以上、多くの皆さんにとっても、祭の担い手の人々にとっても初耳と思われる「史実」のいくつかを紹介した。本書では、このような地車の歴史と魅力を、豊富な写真と図表を用いて丁寧にひもといている。

地車、そしてダンジリという言葉は、さまざまな祭具・芸能と結びつく
地車、そしてダンジリという言葉は、さまざまな祭具・芸能と結びつく

閉塞感漂う時代を打ち破る祭の底力

 本書では、祭の中で「ヒトの意識がカミに向く場面」を「神事」、「ヒトの意識がヒト(氏子同士・競合他者・見物人)に向く場面」を「神賑(かみにぎわい)」と定義している。各地の祭には、神事や神賑のために生み出されたさまざまな形態の祭具・芸能がある。

 地車は、数ある日本全国の神賑行事の祭具の中でも、独特の熱気を帯び、全国的にも注目度が高い。地車に限らず、時にその荒々しさが批判の対象となる祭もあるが、各地の祭の中には、過去の時代のさまざまな歴史文化が織り込まれているという事実は、今一度、見直されてよい。

 海と川の水上交通に支えられてきた我が国にとって、和船の記憶を残す地車は、祭の文脈とは異なる意味でも貴重な文化遺産である。祭具を飾る彫刻や刺繍につむがれた物語の題材は、日本神話のほか、人形浄瑠璃や歌舞伎に取材したものが多い。地車誕生の鍵となる滑稽寸劇のニワカ(俄)は、大阪のボケとツッコミの文化の源流ともいえ、今でも俄を演じる地車がある。

 ランドセルにリコーダーを挿して登下校する小学生の姿が日常の風景となって久しいが、洋式のドレミの習得が必須とされる音楽教育とはまったく異なる次元の音世界が、笛や太鼓の祭囃子には広がっている。神楽や獅子舞の所作には、義務教育で必修となったダンスとは異なる身体の動きが求められることはいうまでもない。

 祭には、江戸時代以前の日本特有のさまざまな文化が、今なお息づいている。「祭は文化のタイムカプセル」……このような観点でも祭を捉えることができよう。

 祭の主たる目的は、共同体と個人の活力の更新であり、厳粛な神事と娯楽的な神賑とのバランスの上に成り立っている。

 神事の重要性はいうまでもないが、同時に、華やかな神賑も祭の原動力として不可欠である。地車が生まれて300年。以来、地車は、人々の楽しみと喜びの受け皿となり、祭に活力を与え続け、地域を支えてきた。

 新型コロナウイルスの流行によって、各地で祭の延期や規模の縮小が続いている。日常生活もままならない状況であるが、遠くない未来において、地車をはじめ祭の神賑の力が、この閉塞感を打ち破るための大きな役割を果たすに違いない。

現在の地車には社寺建築の工法が用いられており、随所に和船の記憶が宿っている
現在の地車には社寺建築の工法が用いられており、随所に和船の記憶が宿っている

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