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沖縄の神様の世界をのぞいてみませんか? 『ユタの境界を生きる人々』刊行に寄せて

記事:創元社

平井芽阿里『ユタの境界を生きる人々』創元社
平井芽阿里『ユタの境界を生きる人々』創元社

神様を信じますか?

 授業でそんな質問を投げかけてみると、たいがいの学生がぽかんとする。「え、宗教?」とたちまち警戒心をあらわにされることもある。そもそも多くの学生が、日本人は無宗教だとさえ思っている。そこでしばし身の回りをながめてもらう。

 お守りを調べる課題を出せば「神なんて信じない」と宣言した人に限って、部屋からいくつも発掘し戸惑うことになる。「神頼みには意味がない」と信じている学生も、知らない間に「勝っぱえびせん」や「咲ッポロポテト」などのお菓子を食べ、天満宮で合格を願った過去をもっていたりする。

 あたりを見渡せば、クリスマスツリーに願いごとを書いた紙が短冊のようにつり下げられていたり、スーパーマーケットの一角で開催されるバレンタインコーナーに「心願成就」などと書かれたミニ鳥居がごく自然に置かれていたりする。たとえその先にいる神々の存在に無自覚であっても、私たちはあらがうことのできない病魔の終息も必死に願う。

 民俗学という学問では、神々を「力」のことであると定義する。かねてから日本人は「祭」を行なうことで、人間が想像できないほどの偉大な力が荒ぶることがないようコントロールしてきた。神輿を担いで暴れ回ったり海に投げ入れたりする行為にも、大いなる力が示されている。

 実は私は、そのような神々の存在について研究している。

海の中には龍宮があり女神様がいるのだという(宮古島)
海の中には龍宮があり女神様がいるのだという(宮古島)

宮古島へ移住

 16歳のとき、母の独断という少しばかり特殊な事情で名古屋市から沖縄県の宮古島の高校に編入した。宮古島では、常に「神様」が身近にいた。借りるはずだった家は「神様」がいるという理由で断られたし、「神様」不在でやっと借りられた家の前は「神様の道」だから通ってはならないと説明を受ける。近所の海辺で遊べば「神様の家」だと怒られ、同級生は「神様の島に行くと命を落とす」と真顔で言う。島の高校生たちと同様に、いつしか私も「神様」を恐れるようになった。

 卒業後は愛知県に戻った。島を再来したのは大学4年生の秋のこと。卒論のための調査で、宮古島の「西原(にしはら)」の「御嶽(うたき)」という神々が宿る聖なる森を訪れた。御嶽は本来、部外者は入ってはならない。しかしその日ばかりは、特別に立ち入ることを許された。年に一度の「ユークイ」という行事の日だった。

 人混みに紛れて恐る恐る御嶽の中に入る。鬱蒼たる森では小鳥たちがさえずっていた。談笑する人、何かをお供えする人、ビデオカメラを構える人。「神役(かみやく)」と呼ばれる着物姿の女性たちがせわしない。彼女たちはこの御嶽と「神様」を守っているのだという。ふいに神役が森の中にぽっかり空いた中庭で手を繋いで輪になった。

 それを合図に、周囲の人々が押し黙る。すると、神役たちがいっせいに歌い出した。声だけで奏でられた、なんとも荘厳な旋律。それは神々に捧げるための「神歌」だった。身に覚えのない涙がとめどなくあふれた。

樹々に囲まれた御嶽の中からは昼間でも星が見えたという話も
樹々に囲まれた御嶽の中からは昼間でも星が見えたという話も

神様は15㎝?

 その後大学院に進学し、西原の神役が所属するナナムイという祭祀組織の調査のために、約1年間、仮住まいしながら御嶽での神行事に同行させていただいた。神行事があるときは、前日から「神様」は御嶽の中の神庭と呼ばれる場所に姿勢よく座って待っていたり、神歌を歌うと立ち現れるという。その姿は、白いあご髭を生やし、木の杖を持った老人であったり、龍神であったりする。西原のある御嶽の女神様は見目麗しく、すれ違うと柔軟剤のような甘い香りが広がるのだという。

 ある日のお昼、西原で同居させてもらっていた家のお母さんとお好み焼きを作っていた。小麦粉を袋から出していると、「神様ってね、こんな姿よ」と教えられた。沖縄製粉の黄色のパッケージに描かれた羽衣姿の女神様にそっくりな「神様」は、15㎝ほどの大きさでふわふわと線香の炎の中に浮かび上がるそう。

 それを機に、線香の炎の中にいろいろと目撃している神役の方が多いことを知る。聞けば、おくるみに包まれた赤ちゃんを手渡してくる女神様、上品な反物、毛並みのいい立派な馬、大きなタンス、中にはペンギンを見た、という人もいた。映し出されるものから、おのおのが神々の意志を判断することもあれば、地域のユタを訪れることもある。

 ユタとは霊力によって神々との交流を可能とする人々のことである。神々の真意は直接的に示されないことが多く、受け手側の正しい解釈が必要となる。神意を確実に受け取るためにはそれ相応の修業が必要となる。ユタになるためには、病苦、貧困、家族の不和や死にあえぐほどの過酷な体験をする人が多い。これをカミダーリとも呼ぶ。ひとたび選ばれた人は、ユタとして神の道を生きなければならない。それは決して逃れることのできない、神による絶対的な定め、というのがこれまでの通説であった。

神様がいるという洞窟から見上げた空(宮古島)
神様がいるという洞窟から見上げた空(宮古島)

神様は3m?

 しかし近頃、ユタのイメージは変わりつつある。カミダーリをさほど経験しないユタ、沖縄の伝統的なユタの概念に当てはまらないユタ。ユタ以外の神の道を明るくポジティブなイメージで生きる方々を本書では「ユタの境界を生きる人々」と新たに定義した。

 本書で紹介したのは宮古島出身の40代女性、佳宮水樹(よしみや・みずき)さん。水樹さんの眼には神々の存在が視え、声が聴こえる。3mを越す大きな「神様」からの指示を日々こなす。「神様」は悩みを聞き、アドバイスをくれる。病気を治療し、必要な道具を授けてくれる。

 水樹さんは「神様」からの(一般的には目には見えない)授与品に直接触れることができる。ある「神様」から預かった書類を別の「神様」に届けたりもする。授与品の数々は聞いているだけでも美しい。薄紅色の丸い珊瑚がちりばめられた冠や、藤色の透けるやわらかな羽衣、そしてしゃぼん玉のように半透明で水のしずくがこぼれ落ちるキラキラとした水の玉。

 「神様」は叱ったり、厳しく接するときもあるが、「ただただ惜しみない愛をあげたいと思ってる、親のような存在」だと水樹さんは話す。「神様」は喜ぶと歌ったり、踊ったり、笑ったりもするそう。高校生の時の思いがけない体験から畏れ続けてきた神々の世界は、水樹さんを通してみると、しごく温かいものに感じる。

 残念ながら、私には(今のところは…)何も見えない。見えそうな気配すらない。しかし、神々の清らかな話は、どうしようもなく強く胸を打つ。そして目にはさやかに見えずとも、神の道を生きておられる方々が信じ、見ておられる世界を心から尊いと考えている。

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