私たちはなぜ祭に熱狂するのか――『日本の祭と神賑(かみにぎわい)』
記事:創元社
記事:創元社
皆さんの「祭」の風景(イメージ)はどのようなものでしょうか。
私の祭の原風景は、大阪南部、岸和田市の八木という地域の地車(だんじり)です。
子供の頃、祭が近づくと居ても立ってもいられなくなり、学校から帰ってくると法被(はっぴ)を着て団扇(うちわ)を手にはしゃぎ回っていました。
祭の日、祖父の家の土間で地下足袋(じかたび)を履くのですが、子供にとって足袋の小鉤(こはぜ)は、洋服のボタンとは比べものにならないほどの難物です。「ドンチチ・ドンチチ・ドンチチ」と太鼓の音とともに地車が近づくものの、気持ちだけ焦ってなかなか準備が整いません。「何やってんの。ダンジリ行ってしまうで」と言うが早いか、母が見事な手さばきで小鉤を次々にはめ込んでくれました。
夜の地車は提灯に彩られます。祖父が持たせてくれた弓張(ゆみはり)提灯に立つロウソクの炎の暖かさを、今でも思い出すことができます。地車囃子の「トロラヒャリツロ」という透明な笛の遠音は、篠笛奏者としての私の原点でもあります。
当初は、祭といえば岸和田の地車、地車といえば笛と太鼓といった、限定した祭にしか興味がありませんでした。ところが20代後半になって多くの出会いに恵まれ、御迎提灯(おむかえちょうちん)や太鼓台、岸和田以外の地車、唐獅子などが出る、他地域のさまざまな祭に接する機会が増えました。
平成18年に岸和田祭が土日開催となった頃からでしょうか、「祭とは何か」「祭は誰のものか」といった祭の本質について考えるようになりました。本書は、このような来歴を経た私の祭研究の集大成です。
祭の形態は、地域の風土や歴史を反映して多種多彩ですが、時代や地域を越えて、まったく異なる祭具や芸能の中にも、多くの共通点を見出すことができます。
例えば、祭に欠かせない提灯の灯の源流は、カミ迎えのための庭燎(にわび)であることがわかりました。台舁(だいがく)と呼ばれる巨大な御迎提灯も、元をたどればカミ迎えの灯です。
太鼓台の形態は多様で、布団を重ねたような布団太鼓や、鳳輦(ほうれん)の屋根を模したもの、神社の社殿を模したものまでさまざまですが、頭巾をかぶり装束で着飾った乗子(のりこ)たちが、地面に足をつけず大人に肩車されて移動するという共通点を持ちます。太鼓台の起源は、神輿を先導する触(ふれ)太鼓です。
地車といえば、現在は岸和田が有名ですが、その発祥は天神祭などの現・大阪市域の夏祭です。地車という大阪独特の練物(ねりもの)の原型は、江戸時代、西国大名や幕府が所有していた豪華絢爛の川御座船で、ニワカ(俄)と呼ばれる滑稽寸劇をはじめとした芸能を披露するための移動舞台であることがわかりました。
獅子舞は正月の行事というイメージが強いですが、祭の唐獅子は、もちろん正月に限りません。唐獅子は古く奈良時代以前に大陸から日本へと伝来し、長い祭の歴史の中で、さまざまな役割を担うようになりました。有名な管弦楽曲にも採り入れられた大阪の夏祭における獅子舞の笛の旋律は、明治期に伊勢大神楽から習ったものです。
カミの乗物である神輿にも、さまざまな形態があり、それぞれ独自の歴史をたどってきました。金色の神輿は、神仏習合の産物です。
このように、一見、無関係に見えるさまざまな祭具や芸能も、竹林の地下茎のごとく根底では互いにつながっています。祭具の歴史的な背景が見えてくると、祭への理解がぐっと深くなると思います。
以上のように、私たちを惹きつけてやまない祭には、まだまだ知られていない魅力が満ちあふれています。
本来は、そこで筆をおきたいところですが、本書では、もう一歩踏み込んで、祭の未来についても考えます。「祭は誰のものか」と題した章では、現在の祭が抱える課題をいくつか取り上げます。その際、本文で何度も述べることになる「神賑(かみにぎわい)」というキーワードが重要となります。
祭の中のヒトの楽しみの部分である神賑行事は、長い期間をかけて培われてきた、喜びのかたちです。ただし近年、祀る対象であるはずのカミの存在を意識することが少なくなってきていると感じるのは私だけでしょうか。
その問題が表面化したわかりやすい事例が、「祭の土日開催」です。祭の中の神賑行事が、神事に対して大きくなりすぎると、共同体のアイデンティティであるはずの祭が、地域を弱体化させる危険性すらあります。今一度、祭のあり方を見つめ直さなければなりません。
これまでも文化の継承や、祭の地域に果たす役割といった問題は、さまざまな機会に語られてきましたが、祭についての基礎知識や共通言語がない状態でなされることが多かったように思います。本書を読んでいただいた上での祭談義は、これまで以上に、楽しく、意義のあるものになるはずです。
この10年は、何よりも祭のフィールドに出かけることを優先して予定を組んできました。また、過去に記された文献を検証することにも時間を費やしました。そこからは、地域や時代を越えて、祭に携わる人々の熱い想い、見聞した人々の感動、祈りのかたち、喜びの感情が、強く伝わってきました。私は、そこで得たものを次の世代へと伝えていかなければなりません。現時点で、私が語ることができる内容はすべて盛り込んだつもりです。
本書が、祭に携わる皆さん、祭に興味を持っている皆さんにとって、祭のゆくえを舵取りするための羅針盤となれば、筆者として幸いです。