生命科学史上、最大の謎に迫る──『ウイルスと共生する世界』福岡伸一氏による日本語版序文
記事:日本実業出版社
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ウイルスとは何か。ウイルスが存在する意味はどこにあるのか。生命科学史上、最大の謎ともいうべきこの問いに対して、本書は、的確・明瞭な答えを与えた画期的な書である。
ウイルスとは極小の粒子であり、生物と無生物のあいだに漂う奇妙な存在だ。電子顕微鏡が開発される20世紀前半まで、その姿を見た科学者は誰もいなかった。だから、たとえば野口英世も黄熱病の病原体(当時はわからなかったがウイルスだった)を探し続けたまま命を絶った。
生命を、自己複製を唯一無二の目的とするシステムである、と利己的遺伝子論的に定義すれば、宿主から宿主に乗り移って自らのコピーを増やし続けるウイルスは、とりもなおさず典型的な生命体と呼べる。
しかし生命をもう1つ別の視点から定義すれば、ことはそれほど単純ではなくなる。それは生命を、絶えず自らを壊しつつ、常につくり変えて、エントロピー増大の法則に抗いつつ、あやうい一回性のバランスの上にたつ動的なシステムである、と定義する見方、つまり、動的平衡の生命観から見た場合である。
生命を動的平衡と定義すれば、代謝も呼吸も自己破壊もないウイルスは生物とは呼べない。
とはいえウイルスは単なる無生物でもない。単体で存在するときは静的な物質だが、ひとたび宿主細胞にとりつくと、とたんに動的に振る舞う。
ウイルスは、目に見えないテロリストのように密かに、一方的に襲撃してくるのではない。
ウイルスには自走能力も遊泳能力もない。今、私たちを悩ませている新型コロナウイルスのパンデミックはすべてヒトが運んだ結果である。しかも、コロナウイルスが、宿主の細胞に取りつく際には、まず、ウイルス表面のタンパク質が、宿主細胞の膜にある特殊なタンパク質と強力に結合する。つまり宿主タンパク質とウイルスタンパク質には親和性があるのだ。
それだけではない。さらに細胞膜に存在する宿主のタンパク質分解酵素が、ウイルスタンパク質に近づいてきて、これを特別な位置で切断する。するとその断端が指先のようにするすると伸びて、ウイルスの殻と宿主の細胞膜とを巧みにたぐりよせて融合させ、ウイルスの内部の核酸を細胞内に注入する。かくしてウイルスは宿主の細胞内に感染するわけだ。それは宿主側が極めて積極的にウイルスを招き入れているとさえいえる挙動の結果である。
これはいったいどういうことだろうか。本書はここに積極的な意味を与える。ウイルスは宿主の共生者なのだと。そして両者の関係は利他的なのである。ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかのように見えるが、実はそうではなく、細胞が登場した後、初めてウイルスは現れた。細胞から遺伝子の一部が外部へ飛び出したものとして。
つまり、ウイルスはもともと私たちの一部だった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。なぜか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。しかしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては種を超えてさえ伝達しうる。それゆえにウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたのだ。その端的な例は、本書に触れられているとおり、哺乳動物の胎盤の形成である。ここにウイルスが大きな寄与を果たした。ウイルスがいなければ哺乳動物は出現できなかった。
ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が占有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。つまり個体の死は最大の利他的行為なのである。
ウイルスはそれに手を貸している。
かくしてウイルスは私たち生命の一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共存し共生していくしかない。本書を通じて、読者諸賢のウイルスに関する知見が向上し、ひいては命に対する向き合い方、つまり生命哲学の深化がなされることを期待したい。