「新型コロナワクチン」とウイルス変異株について、正しく伝えたい4つのこと
記事:春秋社
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――五條堀先生は遺伝学がご専門ですが、今回のパンデミックをどう見られますか。
2019年末、中国武漢市で確認された新型コロナウイルスは、瞬く間に地球全体に広がりパンデミックが襲いました。このウイルスは、正式にはSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)と言われ、このウイルスに感染するとCOVID-19(コロナウイルス感染症)で急性呼吸器疾患を引き起こします。
日本においてもダイヤモンド・プリンセス号での感染を皮切りに感染者が増え、対応策としてワクチン接種が始められると、私のところへさまざまな質問が殺到しました。寄せられた質問に応じるにつれ、ワクチンの仕組みやウイルスとの向き合い方など、基本的な正しい知見を皆さんに伝えなければならないとゲノム進化学者としての使命感のようなものが湧いてきました。これは、長年HIV(エイズウイルス)やC型肝炎ウイルスなど多くの感染症ウイルスについてゲノム進化の研究を行ってきたからです。
感染症対策としてはじめに取り入れられるのは、多くの場合、疫学的視点ですが、そこでは、感染した人の動態や人の流れ、感染者数の多さなどが重視されます。それを統計的に分析することによって、感染症の流行の仕方やその根源をつきとめていきます。そこには、ゲノム的なものは入っていません。
一方、遺伝学は、遺伝子の分子機構やDNAやRNA等の遺伝的メカニズムをあらゆる生命体を対象に解明していく営みです。その際、遺伝情報の総体である「ゲノム」がとても重要な鍵となってきます。ゲノム情報を解析し解読することによって、生命体におけるさまざまな現象の根底にある原理や仕組みが解明されていきます。
今回のような「たちの悪い」新型コロナに対しては、この遺伝学と疫学の両面からみた「ゲノム疫学」の視点で考えていかなければならないものと思います。
――具体的に今回の新型コロナウイルスにどう向かえばよいのでしょうか。
私は、1980年代にエイズウイルスが問題になった際、ウイルス進化の研究を行って「ワクチン開発は間に合わず、治療薬のみでの対応」との結論を出して以来、様々なウイルスの進化研究を行ってきました。
ウイルス対策で遺伝学的に大事な点は、基本的にみな同じです。ウイルスのゲノム上の変化が、ウイルスの変異というものです。ウイルスも私たちと同じく生き延びるためには環境に適応しなければならず、そのために常に変異しています。ウイルスのゲノム上でたった一つの塩基が変化しただけでも、基本的にそれは変異とみなされます。そのほとんどは淘汰的に中立的なもので問題ないですが、免疫反応を逃れたり、ワクチンが効かなかったり、感染性を高めたり、強い病原性により病気を重篤化させたりするものが「注意を喚起する変異株」として特定されているのです。
このため特に重要なのは、ウイルスのゲノムの塩基が他の塩基に置換していく速度、すなわちウイルスの進化速度を正確に知らなければなりません。この進化速度を正確に把握したうえで、ワクチンあるいは増殖阻害剤(治療薬)を開発していく必要があります。新型コロナウイルスの場合には、私たち人間の進化速度より約10万倍速い。しかし、エイズウイルスやA型インフルエンザウイルスに比べれば10分の1ほどの速さなので、ワクチン開発が現実に役立っています。これは、進化学で有名な「赤の女王」仮説の状態で、ウイルスと環境、ウイルスとワクチン開発がそれぞれ先を争っているのです。
2021年7月時点で、若い人にもワクチン接種が可能になっています。これを加速させ40代50代の働き世代のワクチン接種を早急に終え、新型コロナウイルスとの進化競争に迅速に対応していくことが緊要です。そうしなければ、現在のワクチンが全く効かない新たな変異株の出現を許すことになり、全てはまた最初からやり直しという状況になってしまうからです。
――今回、これまでとは違う製法で作られた「メッセンジャーRNA(mRNA)ワクチン」(ファイザー社・モデルナ社共に同じ)が使用されていますが、これについて何か特筆すべきことはありますか。
mRNAワクチンは、生命の基本的な流れ「DNA→mRNA→タンパク質」に沿って編み出されたものです。ここでは、弱毒化したウイルスのタンパク質の一部を直接投与するのではなく、安全性を確認した上で設計されたウイルス遺伝子に対応するmRNAを身体の中に入れ、自らの力でタンパク質を作っていきます。それによって有効性は高まり、変異への対応も柔軟に行うことができます。
ワクチン接種は1回だけですと免疫記憶が薄れてしまう可能性があるため、2回接種を行います。最近では、1回目と2回目において異なる種類のワクチンの混合接種をしているところもあるようですが、問題はないはずです。
なお、アストラゼネカ社のワクチンは、チンパンジーの風邪のウイルスを用いたウイルスベクターで作られていますので、別の製法となります。
――新型コロナを終息させるための手がかりはあるのでしょうか。
すべての感染者に対して全ゲノム解析検査を行うことです。PCR検査では、ある一部の状態しか感知できません。そのため、全ての変異株についてそのゲノムの状態を解明できるゲノム・シーケンシング検査が有効です。このウイルスとの進化競争に打ち勝つため、どの変異がいつどこで発生しどのように広がっていったかをゲノム情報とともに追跡するモニタリングを行って、変異株の出現を常時監視するのです。
私たちサウジアラビアの大学では、2020年の早い段階で変異追跡システムを構築し公開しています。それによって、現在の変異株の状況はもちろん、将来に問題となる変異株や変異が拡散される地域なども予測することができ、早い問題発見につながります。
しかし最終的には、ゲノム情報にAIを駆使して、どのような変異株にも対応可能なユニバーサルワクチンの開発や特効的な増殖阻害剤の開発が今後の終息の鍵になるものと思われます。