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「人獣共通感染症」という視角 ――『スピルオーバー~ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』

記事:明石書店

『スピルオーバー~ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』(明石書店)
『スピルオーバー~ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』(明石書店)

それは風変わりな病気ではない

 本書は自然科学系のルポルタージュを数多く手掛ける米国人作家・ジャーナリストのデビッド・クアメン氏が、米誌『ナショナルジオグラフィック』の企画で行った「人獣共通感染症(ズーノーシス)」をテーマとする数年がかりの取材をまとめ、2012年に発表したSpillover: Animal Infections and the Next Human Pandemicの完訳版である。米国では出版時にベストセラーとなり、米科学著述者協会(NASW)の科学ジャーナリズム賞(Science in Society Journalism Award)や英国王立生物学会の図書賞(Science in Society Journalism Awards、一般生物学部門)を受賞した。ここへ来て、2019年末以降のいわゆる「新型」コロナウイルスの流行によって原書が再び世界の注目を集め、今回、日本語版登場の運びとなった。

 「新型」コロナウイルス、つまりSARSコロナウイルス2(SARS-CoV-2)の出現によって原書がとりわけ注目された理由の一つは、次にパンデミックを起こし得る病原体の候補としてコロナウイルスを挙げていたことだ。中には「予言」と評した米メディアもあった。だが、そうした反応に対し、当のクアメン氏は自分に先見の明があったわけではなく「10年前、『スピルオーバー』の取材をしていたときに、第一線の科学者たちの話を注意深く聞いていただけだ」と答えている。「人獣共通感染症は、医療の片隅に存在する風変わりな病気ではない。既知の人間の感染症の六割は人獣共通感染症だ」とクアメン氏は強調する。しかも「過去約半世紀の間に出現してアウトブレイクを引き起こし、存在が認識されるようになった人獣共通感染症の大半はウイルスによるものだ」。

 新たな人獣共通感染症は、どれも推理小説のようにスタートするとクアメン氏はいう。その病原体が普段、目立つ症状を起こさせることなく潜んでいる「保有宿主」はどの動物なのか? その保有宿主からヒトに病原体が飛び移る瞬間、それを指す言葉が本書のタイトルである「異種間伝播(スピルオーバー)」だ。人獣共通感染症、保有宿主、異種間伝播。クアメン氏いわく本書のテーマに関わる三つのキーワードこそが「未来の感染症をより良く理解する糸口」だ。

木を揺らせば、実が落ちる

 ではなぜ異種間伝播が発生するのか? そして異種間伝播した一部の疫病はなぜ、あっという間に世界を席巻するのか? クアメン氏は「破壊とつながり」という二語にその答えを見いだしている。多くの生物が生息する多様性豊かな自然の生態系を人類が破壊すればするほど、宿主に隠れていられなくなった病原体が押し出され、人間に感染する機会が増す。「木を揺らせば、実が落ちる」ようにだ。そして一度人間に侵入した病原体は増殖し、適応し、ヒトからヒトへ感染する方法を確立し、飛行機その他の交通機関に乗って拡散しながら、数多の人々を犠牲にする可能性がある。

 「破壊とつながり」とは言い換えれば、環境問題とグローバリゼーションといえよう。中世の「黒死病」のように、あるいは1918~19年のインフルエンザのように、歴史上の過去の出来事として一般には扱われていた疫病のパンデミックが21世紀に出現したという事実、しかもさらに範囲を広げ、速度を上げて世界を席巻し得るという事実をSARS-CoV-2の流行は突き付けた。そして科学者や医師といった専門家にとってさえも未知の病原体を前にして、特別な知識を持たない自分はどう対処したらいいのか、焦りと冷静さを保とうとする自制心の間で揺らいだ覚えがあるのはおそらく訳者だけではないだろう。

 この間、日本だけでなく世界の専門家たちが発してきた「正確な情報を入手し、正しく怖がる」ことが大切だというメッセージ(言い方は幾通りかあるが)は、個人的に大きな指針となったのだが、本書は過去の様々な疫病に関する「正しい情報」を得ようとする過程を現地での、あるいは当事者への取材によってスリリングに描き出している。マールブルグウイルスの宿主探しの中でコウモリがねぐらを移動していることが証明される瞬間や、HIV-1の人間へのスピルオーバー年代推定によってエイズ流行に関する経口ポリオワクチン汚染説を覆すリレーワークのくだりなどは、まさに推理小説の謎解きの如く鮮やかで、尽力した科学者たちとともに思わず快哉を叫びたくなる場面だ。

 人は自分が理解しやすいものに安心し、対して馴染みのないもの、未知のものを警戒し、時に恐怖する。しかしクアメン氏いわく、大きく後ろに引いて進化と生態学の広い視点から見れば、人類もコウモリも節足動物もウイルスも「自らの種を保存し生き延びる」という同じ原理で動いている。本書にあるように、細菌やウイルスの中には「善玉」といわれるように人間の健康に害を及ぼさない、あるいは有益なものもいる。善玉か悪玉かは人間の視点から付けた勝手なラベルであって、当の「病原体」は何か目的を持ってそう振る舞っているわけではなく、ただ生をまっとうしようとしているだけだ。

 クアメン氏が釣りが嵩じて住み着いたというモンタナ州の街で守ろうとしたような木が、わが家の周りにもある。百年近く生えていた太い木の幹でも、切り株になるには一時間とかからない。一度途絶えた湧き水は、二度と自然には湧いてこない。近所の川、里山の林、その後ろに(こちらから見ると)広がる山間や水辺や海。現代社会は自分が生きるのに精一杯で他人や社会や、ましてや自然や環境のことまで頭が回らないことが多い。でも生きにくい環境を変えるには、生きやすい環境に変える働き掛けが必要だ。それは「大きな意味での政治」とでも呼ぶべきものであり、そう思って周りの社会や環境や自然を眺めるときに、「後の世代」へ受け継ぐとはどういうことか、実感を伴って考えられるような気がする。

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