いま古生物学がおもしろい! 最新研究で見えてきた壮大な地球生命史をめぐる旅
記事:東京化学同人
記事:東京化学同人
三畳紀に恐竜が世界を席巻した経緯には、生物学的な革新と、大量絶滅をひき起こした深刻な気候変動が混在している。生物学的な革新の中心となるのは、恒温性と呼吸と関連した直立型の姿勢であった。呼吸、移動様式、生理の間の関連性を最初に指摘したのはDavid Carrier である(Carrier、 1987)。
鍵となるのは、這い歩き型の動物と、恐竜や哺乳類のような直立型の動物との違いだ。現生のサンショウウオやトカゲなど、両生類や爬虫類の多くは動きがぎこちなくみえる。これらの動物が左前足を前に踏み出すと、胸の右側とその中の肺が圧縮され、同時に左側は膨張する(下図)。そして、次の一歩では、このサイクルが逆になる。このような胸部のねじれは、左右の胸腔と両肺が同時に膨張と圧縮を繰返す正常な呼吸を大きく妨げてしまう。這い歩き型の脊椎動物は、歩いていれば一歩と一歩の間に呼吸することができるかもしれないが、走りながら呼吸することができないのだ。本書の初版でRichard Cowen はこれをキャリアの制約(Carrier’s Constraint)とよび、その名が定着したようだ。
動物は呼吸をせずにしばらく走ることができる。たとえば、オリンピックの選手は通常100 m 走では呼吸をしない。動物は、嫌気的解糖によって酸素を使わずに血液中の糖を分解し、一時的なエネルギーを得ることができる。しかし、この方法ではすぐに酸素不足になり、血液中の乳酸濃度が危険なほど高くなってしまう。哺乳類のランナー(たとえばチーターやヒトなど)は、走っている間に呼吸ができるにもかかわらず、嫌気的解糖をよく行う。これはジェット戦闘機のアフターバーナーのように、便利ではあるが、基本的には短期的な緊急時のブースト機能にすぎない。
現在の両生類や爬虫類は、肺や血液に蓄えられた酸素を使い切っても、嫌気的解糖に切り替えることで、短時間のみ高速で跳んだり走ったりすることができる。しかし、長時間全力疾走することはできない。もしトカゲが呼吸したければ、立ち止まらなければならない(下図)。トカゲは短い距離を走っては止まり、走っては止まりを繰返す。長距離を走れない現生の両生類と爬虫類の肉食動物は、機敏な獲物を捕らえるために待ち伏せ戦術を用いる。たとえば、カメレオンやヒキガエルは、通りすぎる昆虫を長い舌で捕らえる。
初期の四足動物はみな、這い歩き型だったが、前述のような問題に直面していた。イクチオステガが、数歩あるいては立ち止まってあえぐのを繰返しながら、水中から繁殖用の水たまりまでたどりつく苦労を想像してみてほしい。多くのデボン紀や石炭紀の初期の四足動物が、ほとんどの時間を水中で過ごす生活を続けたのは、これが理由なのかもしれない。
哺乳類と鳥類は、“キャリアの制約” に対する美しい答えを進化させた。彼らは直立型の姿勢に進化することで、呼吸のメカニズムを運動のメカニズムから分離した。肢が直立していると、歩いたり走ったりしても胸郭はあまりねじれないので、肺もほとんどねじれずに呼吸ができる。
哺乳類では、鳥類より一歩進んで横隔膜が進化した。横隔膜は胸腔に空気を出し入れするための一連の筋肉である。横隔膜の収縮により空気が吸い込まれ、もとに戻ることにより空気が押し出される。同時に、ほとんどの哺乳類の移動様式は、走行中の呼吸が可能となる進化をしてきた。脊柱が一歩ごとに背腹方向の屈曲を繰返すことで、胸郭を交互に膨らませたり縮めたりする(下図)。このような走行中の胸腔のリズミカルな膨張と圧縮を横隔膜の働きと同期させることで、少ない力で肺に空気を出し入れすることができる。そのため、全速力で走る四足動物(スナネズミ、ジャックウサギ、イヌ、ウマ、サイ)は、1 歩ごとに1 回の呼吸をし、ワラビーは1 跳躍ごとに1 回の呼吸をしているのだ。
これらの変化は、現生の直立型の姿勢の鳥類や哺乳類の祖先である双弓類と単弓類の両方で三畳紀に起こった。証拠として足跡と骨の組織学の二つがある。日本の古生物学者である久保 泰は、四足動物の足跡に関する大規模なデータベースを作成し、ペルム紀と三畳紀の境界で一足飛びの変化があることを発見した(下図)。ペルム紀の足跡はすべて這い歩き型の動物がつくったもので、三畳紀の足跡の多くは直立姿勢の動物がつくったものだった。彼は、這い歩き型の姿勢を続けたトカゲ程度の大きさの動物よりも体長1 m 以上の動物の足跡に焦点を当てた。つまり、単弓類も双弓類も同じように、這い歩き型から直立型の姿勢に切り替わったのだ。これは、Carrier が予測したように、生理学的な切り替わりを示し、捕食者と被食者の両者がすばやく動けるようになっていった、いわゆる軍拡競争の証拠でもあるのだ。
第二に、三畳紀の四足動物はすべて、骨の組織学、つまり顕微鏡で見た骨の細胞構造に、温血動物であることを示す何らかの証拠がある。かつては恐竜だけが温血動物ではないかと主張されていたが、温血の証拠はその祖先でもみられることがわかってきた。さらに、これらの生物のなかには単純な羽毛をもっていたものもいたかもしれない。哺乳類になる途上の三畳紀の単弓類も、彼らの胸郭が前方に移動することからわかるように(下図)、すでに横隔膜をもっており、おそらくは毛の生えた温血動物だった。これらはすべて、三畳紀の四足動物の行動の高速化を示す事例の一部である。(本文より一部抜粋)