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美術作品が生きていく「長い時間」に思いを馳せる――田口かおり『改訂 保存修復の技法と思想』

記事:平凡社

アントネッロ・ダ・メッシーナ《受胎告知》(部分)、1474年、ベッローモ州立美術館、シラク―サ、1942年の介入
アントネッロ・ダ・メッシーナ《受胎告知》(部分)、1474年、ベッローモ州立美術館、シラク―サ、1942年の介入

2024年6月19日刊、平凡社ライブラリー『改訂 保存修復の技法と思想——古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』(田口かおり著)
2024年6月19日刊、平凡社ライブラリー『改訂 保存修復の技法と思想——古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』(田口かおり著)

 ここに一枚の絵画があります。本書のカバーにもなっているアントネッロ・ダ・メッシーナによる15世紀の作品《受胎告知》です。美しい絵画ですが、それよりもまず目に飛びこんでくるのは、絵具がない部分を埋める黄土色の色彩でしょう。20世紀イタリアを代表する修復士チェーザレ・ブランディは、絵具の剥落部分にすでに施されていた補彩(作品完成当時の色彩を再現すること)をすべて取り除き、その代わりに「中間色」と呼ばれる黄土色―赤褐色で欠損部分を埋めました。

 いったいなぜ、そのようなことをしたのでしょうか。

 ブランディは、修復を大きく二つに分類しています。完成当時の作品を再現する「復元的修復」、そして、現在の状態を保つための「保存的修復」です。ブランディは、ひとつ目の「復元的修復」を批判しています。

 ブランディが用いた「中間色」は、作品の状態を保全する修復を施したことは明らかにしつつも、完成当時の姿に時間を巻き戻すことなく、その作品が歩んできた時の流れをそのまま残すための「保存的修復」の一手段でした。

作品の長い生命の「ほんの一瞬」に接する

 ただ、ブランディはのちに中間色の使用を取りやめます。その理由は、いかに「目立たない」「中間の」色彩であっても、オリジナルの力を弱めてしまうから。確かに、《受胎告知》を見ても、印象に残るのは、聖母の衣の美しい青色でも天使の穏やかな表情でもなく、画面上にちらばる黄土色の面です。

 また、「中間色」は、修復士によって「中間」の解釈が異なることから色調が多様化しすぎてしまったり、結果として恣意的な修復となってしまったりなど、さまざまな問題をはらんでいました。

 とはいえ、ブランディが考案した「中間色」を施した作品は、多少の修正が施されながらも、今もなお一定の評価を受け、保存され続けています。

鑑賞者は、過去から鑑賞者を超えてさらに未来へと伸びる作品の「生命時間」のなかの一地点における一存在として、作品と対峙していることに気づくだろう。中間色は、まさにその配合そのもののように「何色ということができない」「奇妙な」方法で、現在に生きる私たちと、作品の生命時間との接続を試みるのである。
(本書第二章「補彩の技法」より)

現代美術はいかにして受け継がれていくのか?

 古代から連綿と続く美術作品の保存修復の仕事は、このように常に試行錯誤の繰り返しでした。そして今なお、保存修復の現場では新たな試みが続けられています。

 「保存修復」というと、「昔の作品をきれいにしたり、直したりすること」というイメージを持つ方も多いことと思います。現に、ここでは例としてルネサンス期の絵画を取り上げましたが、本書では現代美術の保存修復についても多くのページを割いています。

 公共の場で落書きの危機にさらされているパブリック・アートの保護、新素材を使用した作品の保管や、形を持たないインスタレーション作品の記録……。美術作品を後世に受け継いでいくために、修復士たちは今まで経験したことのなかったたくさんの問題に直面しているのです。

 ぜひ本書をお読みいただき、保存修復という仕事について考えながら、美術作品と向き合ってみてください。作品の美しさばかりでなく、その作品が歩んできた、そしてこれから歩んでいく途方もなく長い生命が感じられるのではないでしょうか。

(文 平凡社編集部 安藤優花)

『改訂 保存修復の技法と思想』目次

序章 「診断」
第一章 洗浄の哲学――可逆性
第二章 補彩の技法――判別可能性
第三章 甦る芸術の生を求めて――適合性
第四章 修復という「噓/ファンタジー」――最小限の介入
第五章 欠落と証言のアーカイヴ――保存修復としてのドキュメンテーション
第六章 保存修復学再考――「修復は、一瞬の閃光ではない」
資料 ウンベルト・バルディーニ『修復の理論――方法論の統一 第一巻』

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