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ゴータマ・ブッダや直弟子たちの最古の仏教――パーリ語初期韻文経典よりみて(上)

記事:春秋社

ダンブッラ黄金寺院
ダンブッラ黄金寺院

四聖諦・三学の説示

 原始仏教の文献群を初期経典というが、それは古いといわれる韻文経典と後に成立した散文経典とで構成されている。韻文経典は、最古層・古層・新層の三層に区分でき、その中でも最古層経典といわれる『スッタニパータ』第四章「アッタカ・ヴァッガ」と第五章「パーラーヤナ・ヴァッガ」はゴータマ・ブッダや直弟子たちの仏教を知ることができる唯一の経典といってよいであろう。そこには、どういった内容がいかなる立場で説かれているのかを少し眺めてみよう。

 『スッタニパータ』第五章には悟りへの道程や修行に関する内容が繰り返し説かれる。例えば、ゴータマ・ブッダが最初に説法したと後に伝えられる四聖諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)についていえば、その祖型といってよい四つの聖なる真理に関する説示はみられるものの、それらは別々にそして素朴に説かれているだけで、まとめられてはいない。古層経典になってようやく四つの内容にまとめられ、四聖諦と称されるようになり、さらに別の修行法であった八聖道と一体化し、いわゆる四諦八正道といわれる修行体系の表現が定着する。また、三学に関しても最古層経典では戒、定、慧に該当する基本的な修行内容が具体的にそして多様に説かれるだけで、三種へと収束されていくのも古層経典以降で、三学という用語が説かれるのも韻文経典で最も遅い時期である。

無自覚な存在から自覚する存在へ

 修行を重ね悟りへの境地をめざす目的は、端的にいえば苦しみと苦しみの起こるもとから解き放たれるためである。最古層経典には、人の寿命は短く、死は避けることができないと人生の儚さを嘆く偈や、この世に存在するものは同じ状態にあり続けることはなく、常に移り変わるものであるにもかかわらず、人はそれにとらわれて悲しむ偈のように、この世において日常的に経験する苦しみやそれが起こるもととなるものが素朴に説かれている。こうした人生における苦しみに関しては不可避な病、老い、死の他に、日常的に経験する悲しみ、憂いなどがさまざまに説かれ、また苦しみの起こるもとに関しては次第に渇愛のような概念的な用語も説かれるようにはなるが、多くは対象への執着や興味、我がものというとらわれ、貪りなど日常的に目の当たりにできる行為が具体的に説かれる。そして、こうした苦しみと苦しみの起こるもとに対する無自覚な存在から自覚する存在へと自己を転換すべきであると繰り返し教示される。

サタ、サティの用法から見える修行の実態

 この自己転換に大きく関わる用語として「サタ(sata)」や「サティ(sati)」を挙げることができる。この用語は悟りへの修行の道程において絶えず自己の存在を心にとどめ、正しく自覚するという行為を意味する。これは自己を苦悩から解き放つための修行の第一歩でもあり根幹でもあると位置づけられ、繰り返し説かれる。そこには、自己への絶えまざる深い洞察と正しい自覚に基づき、自律的な修行を通して苦しみのない自己を確立するという、常に自己存在を軸とした仏教修行者の本来的なあり方が示されている。この用語の重要性はこれまでほとんど明らかにされてこなかっただけに、その用法を精査すればゴータマ・ブッダや直弟子たちの修行の実態や当時の仏教のあり方などが解明されるものと期待できる。

 たとえば、この語から当時の仏教は平等を説いていたのか否か、無我説を提唱していたのか否かなどの真相に迫ることもできる。誰であっても自己の存在をあるがままに自覚しつつ日々修行すれば、苦しみから解き放たれるという文脈でよく説かれる「サタ」は、当時の仏教の平等観を知る手掛かりともなる。つまり、この行為はすべての人々が分け隔てなく実践できるものであり、それを正しく実践さえすれば誰もが悟りを体得できるものであるという意味を有しており、ここに当時の仏教の平等観を知ることができる。

 また、バラモン教が唱える自我(アートマン)を批判した仏教は『スッタニパータ』第五章の偈に、自我は実在するという誤った見解を断ち、絶えず自己の存在を正しく自覚し、この世に存在するものは空しいと観察すれば、死を乗り越えられる、と説いている。この偈で何よりも重要な点は、普遍的な主体的原理である自我を否定した上で、「サタ」という自己への深い洞察や自覚を意味する行為を示し、この世を空しいと観察すれば死を乗り越えられると説いていることである。自我を否定した上で無我説を提唱したわけではなく、それとはまったく異なった宗教上の行為という視座から説いていることは大変興味深い。ここに、当時の仏教の根本的立場が表明されているものとみてよい。

 このように、最古層経典にみられる仏教の特色を挙げるとすれば、この世で苦しむ人々のさまざまな事象や、苦しみから解き放たれるために専念する修行の内容が素朴で具体的に説かれるのみで、いまだ教理性はみられず、また悟りへと導くさまざまな修行の重要性が繰り返し説かれている点であろう。

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