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「二人の意外なデビュー作」――料理研究家・上田淳子さん×エッセイスト・大平一枝さん新刊記念トークイベント【前編】

記事:平凡社

料理研究家の上田淳子さん(右)とエッセイストの大平一枝さん(左)。当日はこれまでの著作をスライドで紹介しながらのトークとなった
料理研究家の上田淳子さん(右)とエッセイストの大平一枝さん(左)。当日はこれまでの著作をスライドで紹介しながらのトークとなった

50歳を過ぎてできた友達

大平一枝:今日は2人の新刊発売がほぼ同時ということで、こういう場を設けさせていただきました。

上田淳子:今回の『フランス人が家庭で作る3種のソース』は、「フランス人の料理」シリーズの10作目です。日本人にとってはちょっと敷居が高く感じるけれど、フランス人が毎日普通に食べている料理をいろんなテーマで紹介していきたいなというのがシリーズの始まりです。大平さんの新刊も料理がテーマですよね。

大平:『台所が教えてくれたこと ようやくわかった料理のいろは』というタイトルなんですけど、山あり谷ありの自分の台所・料理の歴史や、忘れられない味の思い出、家族と過ごした食の時間などを綴った食エッセイです。

 実は今回の新刊の誕生には上田さんが大きく関わっているんです。食をテーマにした本を作ろうということは決まっていたのですが、編集者とどういうコンセプトにするかをいろいろ話し合っていて、その時にふと思い出したんです。帯にも書いたんですけど(帯コピー:「自分のサラダがおいしいと思えたのは50歳を過ぎてからだ」)、50歳を過ぎてようやくグリーンサラダがおいしく作れるようになって、それは上田さんが我が家に来てくれたときに、サラダ菜のちぎり方を教えてもらったからなんだよ、と。それで、じゃあそれを起点に本を作りましょう、ということになりました。

上田:そもそも私たちが出会ったのがそのサラダの会でしたね。共通の友人が、私たちは似ているところがあるから、会わせてみたいということで。それで、いざ話してみると、同年代で畑は違えどずっとフリーでやっていることとか、働きながら子どもを育ててきたこととか共通点が多くてすぐに仲良くなりましたよね。

大平:それが3~4年前になるんだけど何十年来の友人のような気がして、50歳を過ぎても友達ってできるんだなととても嬉しくて。

上田さんの新刊『フランス人が家庭で作る3種のソース。』と大平さんの新刊『台所が教えてくれたこと』
上田さんの新刊『フランス人が家庭で作る3種のソース。』と大平さんの新刊『台所が教えてくれたこと』

意外なデビュー作

大平:今日は、イベントのタイトルが「食と人を追いかけて30年 私たちの本作りの舞台裏」ということで、私たちがこれまでどうやって本を作ってきたかについてお話ししたいと思っています。まず、上田さんが料理の世界に入ったきっかけは?

上田:子ども時代に遡るんですけど、まあとにかく食いしん坊で。西洋料理は当時まだお店じゃないと食べられない時代で、そのおいしさに衝撃を受けて、食の道を志しました。調理学校で学び、フランスに渡り、料理修行して。でも、その頃フレンチの世界には女性の料理人はほとんどいなかった。

大平:日本に帰ってきてもすぐに雇用の機会がなかったそうですね。

上田:お菓子を作る仕事をしていたんですけど、その時に舞い込んだのが、この本(『ヨーロッパ「食」の職人たち』1996年)の仕事です。当時いろんなテーマで写真入りの解説本が流行っていて、ヨーロッパの食の職人たちをずっと撮影している方がいて、それに文章をつけられる人がいないかということでお話をいただきました。

大平:料理家というよりライターの仕事ですね。

上田:今はこういう情報はネットですぐ出てくる時代だけど、当時は貴重な資料ということで多くの人に読んでもらえて。こういう仕事が続くかなと思っていたら、双子が産まれてしまった。

大平:当時は家事シェアという言葉もありませんでしたね。

上田:それで離乳食などの仕事をいただくようになりました。がむしゃらに子育てしながら仕事していたら、お弁当についての本を作りませんかというお話をいただいて。当時息子たちが通っていた幼稚園は、きちんとお箸を使えるようにおにぎりはダメ、ピックは危ないからダメ、など決め事が多かったんです。そんな事情に対応したリアルで、派手じゃないお弁当のレシピを紹介した本(『3歳からのおべんとう』2003年)を作ったところ反響が大きく。リアルで夢物語じゃない料理に共感してくださる方がいるんだなと。これが私の料理の原点かもしれません。

上田淳子さんのキャリアのはじまりの本
上田淳子さんのキャリアのはじまりの本

大平:「ホントはフレンチが専門なんだけどな……」っていうのはありましたか?

上田:全くないと言えば嘘になりますが、双子を育てて、フランスに行けてもいない人間がフレンチを語っても説得力がないので、自分が今きちっと伝えられるのは子ども周りのことだろうというのは感じてましたね。

大平:私も最初の本(『ずぼらママのアトピー育児』)は子どもがきっかけでした。当時(1996年)コミックとエッセイを組み合わせた本が流行っていて。長男がアトピーで、今は保育園が除去食とか対応してくれることが多いですが、当時は家から持たせなければいけなかった。しかも、他の子どもがうらやましがらないようなものを、などハードルも高く、朝早く起きてパンを焼いたりしていました。上田さんのお弁当もそうですけど、多くの保育園・幼稚園は、親御さんがやってくださいね、という時代でしたよね。でも、その頃は除去食や自然食の情報も少なくて、自分の体験は困っている人が読んだらきっと助かるだろうなと思ったんですね。

上田:親が課されることが多い時代でしたね。

大平:そうですね。それで、次の本が『自分たちでマンションを建ててみた』(2000年)です。これは当時走りだった、不動産会社を入れずに住民で組合を作ってリーズナブルに自由設計で建てる集合住宅の話なんですけど、自分で体験して、本当に理にかなっているし安上がりだと実感しました。これも情報がなかったので、世の中に伝えると役に立つのではと思ったんです。

上田:当時は、本では世の中に情報がないものをきちんと伝えようという使命感みたいなものがありましたよね。

大平:そうですね。ずっと雑誌の仕事をしてきて、自分の本を出せるというのはやっぱりとっても嬉しくて。この機会に2冊を引っ張り出してきて、当時の自分の精一杯が詰まっていて胸がいっぱいになりました。

上田:それ、この前も言っていましたよね(笑)。

大平一枝さんのキャリアのはじまりの本
大平一枝さんのキャリアのはじまりの本

大平:一方で、苦い思い出もあって。この2冊は売れなかったんですね。自分なりの分析としては、体験談というのは、誰かの役には立つけど、それ限りの打ち上げ花火で終わってしまう。それに自分の体験だけを書いていたらいつかネタが尽きてしまう。これは、私の尊敬する作家の方からも言われたんですけど、自分のことを書かない方がいい、いつか嘘を書くことになるから、と。それで、これから自分のことを書くのではなく、人を書いていきたいと思いました。

〈後編に続く〉

※後編では、上田さん、大平さんにとってターニングポイントとなった本について語ります。

(構成/佐藤暁子)

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