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料理研究家・山脇りこさんインタビュー 母の背を見て気づいた電子レンジ料理の可能性

山脇りこさん=北原千恵美撮影

【レシピはこちら】

山脇りこさん「私の一品」 レンジだからできる、食べごたえたっぷりの「豚みそ」

母から受け継いだものが最大の財産

――山脇さんが料理を好きになった原点はどんなところにあったんでしょうか。

 実家が長崎の観光旅館で、小さいころから食に関してはちょっと特殊な環境だったんですよね。梅干しを60kg漬けたり、毎晩水に浸けた昆布が並べてあって翌朝いっせいに出汁を引いたりする光景を見て育ってきました。板前さんの作業を見るのが大好きで、毎日旅館の台所に通っていたくらい。ふだん口にするのは母が作ってくれた家庭料理だったんですけど、旅館で出す料理と同じ食材を使うこともあり、子どものころから大人と同じものを食べていて、幼稚園児にしてブリのあら炊きなんかが大好きでした(笑)。

 それに、やっぱり季節感がすごくありましたね。梅干しの季節には屋根に梅干しが干されていたり、10月になるとみんなで柚子胡椒を作っていたり。長崎くんちや精霊流し、お正月など、行事のときに必ず作る料理というのもありましたし、食と季節が共にありました。そういう環境にいたこともあって、中学校ぐらいまでは料理人になりたいと思っていたんです。でも、当時は女性の料理人はほとんどいなかったので、親からは女の子がする仕事ではないという感じで、そのまま進学することを勧められました。

――それがこうして料理研究家として活動されるようになったのは、2007年にニューヨークに行かれたことがきっかけだったそうですね。

 そうです。仕事を休んで、夫の社費留学について行ったんですけど、初めてのアメリカでの暮らしは自由すぎて、明日の予定もないわけです。何をしたらいいんだろうという状態で、そんなときに同年代くらいでスタンドアップコメディアンを目指している人や自分自身を被写体にしているフォトグラファーの女性など、いろんな人に出会ったんです。決して食べていけているわけではないんだけど、彼らを見て、やりたいことをやらずしてこのまま終わっていいのかと思ったんです。そう考えたときに、やっぱり一番やりたいことは料理だったんです。

――料理に戻ってきたんですね。

 そうですね。一日中でもやっていたいことが料理だったんです。私には子どもがいないので、母や叔母から受け継いだ料理を伝える相手がいないから、それらを伝えるために料理教室を開こうと思いました。調理学校に通ったり、フードコーディネーターの資格を取ったりしながら準備を進める中、細々とやっていた料理ブログが出版社の編集者の目に留まり、初めてのレシピ本を出すきっかけとなり、今に至ります。

 それから、こんなに長く料理研究家を続けてこられるとは思ってなかったですね。一冊目のレシピ本を出す際、記念の一冊という気持ちがあって、本名ではなく「りこ」という母の名前を拝借して出したんです。母は料理がすごく好きで、上手で、台所にこもって一人でコツコツずっと料理していたので、家族はよく「鶴の恩返し」なんて言っていたんですけど、そういう母が作った料理を食べてきたことで、結果的に母がやっていたことに戻ってきた感じがします。母にもらったもので、今、生きている。私の最大の財産はやっぱり母からもらったものだなと感じます。

――お母さまから受け継いだレシピの中で思い入れのあるものはありますか。

 私の家庭料理の基本的なレシピは母のレシピなんですけど、どれも母より上手にできたことはないんですよね。中でも、私の永遠のテーマのようになっているのが、なます。ダイコンとニンジンを千切りにして塩もみし、さらしで絞って甘酢で和えるという、めちゃくちゃスタンダードでシンプルなレシピなんですけどね。塩もみの塩梅やさらしを使って必ず絞るなど、レシピの間にその人の手って出るなと思うんです。それが母は本当にきれいだった。私にとっては永遠の師匠です。

未来の自分のための電子レンジレシピを

――新刊の『おいしいものを手軽に少量で 50歳からはじめる、大人のレンジ料理』も、お母さまがきっかけで生まれたと聞きました。

 あんなに料理が好きだった母が、70代半ばを過ぎたころから、料理がつらくなってきたと言うんです。長い時間かけて作れなかったり、消し忘れなど火がちょっと怖くなったりするらしくて。私もびっくりしてしまって、離れて暮らす母のために煮物などをたくさん作り置きしたんですけど、母は電子レンジを全く使ってこなかったので、結局料理を温めるときに鍋に入れて火にかけるんですよね。電子レンジが普及し始めた50年くらい前って、母の世代は自分の料理のスタイルが既に固まっていて、電子レンジを使う必要がなかったんだと思います。

 今こそ電子レンジが使いこなせたらいいのにと思ってみたものの、すぐに自分も使えないことに気がついたんです。母が使っていなかったこともあり、私もまったく使っていなかった。だったら、50代の今からレンジ調理の練習をしておけば、70代、80代になって料理がつらくなっても助けになるのではないかと思いました。

――そうやってレンジ調理の研究が始まったんですね。

 フライパンや鍋などと同じように、電子レンジも調理道具の一つとして練習しておけば、将来助かるよということをお伝えしたいなと思って、この本を作りました。

 それと、これまでは電子レンジを使うことに、どこかラクしているような、ちょっとした罪悪感があったんですけど、いざ使ってみると電子レンジの良さを知ることができました。レンジを使った方がおいしいこともあるんですよね。忙しいから仕方なくレンジを使うのではなくて、おいしさを諦めずに使ってもらいたい。そんな思いもあって、レンジだから早くて、おいしくできるレシピを載せました。味付けも家庭にある基本の調味料でできて、50代からの口に合うようなシンプルなものばかりにしています。

――タイトルの「大人の」というところに、そうしたこだわりが集約されているんですね。レンジ調理を研究される中で、最大の発見は何でしたか。

 70代、80代の将来の自分が料理がつらくなったときのために始めたんですが、50代の今の自分がとてもラクになりました。電子レンジが苦手という方にこそ、ぜひ始めてほしいです。これからもずっと自分の味で食べ続けることができるし、洗い物も少なくて後片付けもラクです。

 これまでは電子レンジは堕落の始まり、なんて思っていたんですけど、まったく違ってすごく楽しかったですね。肉汁や野菜のうま味は逃げないし、長時間加熱しても煮崩れないので、そういうレンジ調理の特徴を上手に使う面白さもあります。

――電子レンジに対する思い込みから一気に解き放たれたように、他にも何か料理の思い込みから解放された経験はありますか。

 料理研究家として活動し始めた当初は、自分が家庭で作っている料理を皆さんに紹介すればいいと思っていたんです。私は料理が大好きなので、出汁も自分で引くし、細かい工程も苦にならないので、自分が作っているとおりのレシピを本にも載せていました。でも、経験を重ねていくなかで、さまざまな媒体や場によって求められるものが違うんです。

 料理研究家の仕事って、自分のポリシーを全面に出すというよりは、このプロセスは省略してもOKとか、他の方法をお伝えする仕事でもあると思えてきたんです。料理教室では面倒な工程でやったとしても、レシピ本などのたくさんの人が目にするものでは、何度も試作して、はしょっていいプロセスや近道を探す。そういうことを繰り返すなかで、結果として私も教えられたことはいっぱいありますね。昔からやっていた工程が、実はやってもやらなくてもほとんど変わらなかったとか。そういう思い込みみたいなものは自分の中にもありました。

――今後、挑戦してみたいことは?

 近い未来に、長崎の郷土料理を何らかの形で紹介して残したいです。結局、これもやっぱり母の料理なんですけどね。

 長崎の中華街は福建省から来た人たちで成り立っていて、長崎名物といわれる「ちゃんぽん」や「ハトシ」(エビのすり身を食パンで挟んで揚げた料理)も福建料理にルーツがあるんです。私は台湾が好きでけっこう通っているんですけど、台湾にも清朝時代に福建省から移り住んだ方が多くて、特に当時の中心地だった台南に行くと、まさに「ちゃんぽん」の原型になったような料理があるんですよ。そういうつながりを見ると、料理ってすごく面白い。長崎料理はいろんな国や地域の影響を受けていて、文化としてもすごく魅力的だと思います。