ちくま学芸文庫Math&Scienceは、数学を伝えられたか
記事:筑摩書房
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ちくま学芸文庫Math & Science(以下Math & Science)は、学芸文庫のシリーズとして2005年12月に刊行を始めました。これは社内のシリーズ企画の公募に応えたもので、『一般相対性理論』(P. A. M.ディラック)、『幾何学基礎論』(D.ヒルベルト)、『数学史入門』(佐々木力)の3冊が、初回配本時のラインナップです。その頃の筑摩書房はと言いますと、編集部内はもとより部の垣根を越えて毎晩お酒が酌み交わされていて、それぞれの本音をよくぶつけ合わせていました。ある日の夕刻、いつものように居酒屋の暖簾をくぐる前、営業部の先輩と書店に立ち寄り、何気なしに数学書の奥付を見て驚愕、めったに見ない数字、なんと50刷! 片端から奥付を見て廻ったところ、初刷から半世紀近く経ったものや刷数が三桁近くになっているものも数多くあるではないですか。度肝を抜かれたまま、足はもちろんそのままお店へ。お酒が大量に入ったこともあって酒席は誇大妄想に溢れたものになり、このときめでたくMath & Science の企画が芽吹きました。
私自身は文系(文化人類学)の出身です。それまでエリアーデ、バタイユ、フレイザー、モース、シュタイナーなどの人文書を手掛けてきて、理工書はまったく未知の領域、それまで関心もなく、ページを開こうとしたことすらありません。人文書の世界は、よく言えば多様性の世界、悪く言えば答えを求めての堂々巡りで、賽の河原での石積みに近いもののように思っていました。そろそろ飽きもきていたのでしょう。すでに人文書という海に半ば溺れかかっていたのかもしれません。それに引き換え数学はどうでしょうか。「いちど正しいと証明されれば永遠に正しい」という、まことに「きっぱり、すっきり」とした世界で、厳密さに対する畏れと同時に強烈な憧れも抱きました。
私ごとになりますが、ちょうどそのころ「よくない病気の可能性あり」と医者から診断を受けました。これでお終いかな、という思いが頭をよぎりつつ検査を繰り返し、お腹も開けてみましたが、結局悪いものはなし。誤診でした。せっかくの拾ったような命、生まれ変わったと思って、今まで知らなかった世界を覗いてみたい気持ちも強くなりました。「一生に一冊、天才の本の編集」というかねがねからの希望というか「野望」の実現のため、Math & Science に賭けてみようと心に決めたのもこの「誤診」のおかげです。「天才」という言葉は人文科学や社会科学には似合わない、この言葉は人類の叡智を極限まで拡げることができる数学か物理学のためにある、そんな個人的な思い込みも強く作用していたように思えます。
いざ実現に向けて動き出そうとしたとき、それまで見て見ぬふりをしてきたことを解決しなければならなくなりました。編集は誰がするのか。私は数式がからっきしダメなのです。苦手というレヴェルですらなく、根本から分からないのです。当時の筑摩書房の社員は100名弱、そのうち理科系出身はわずか3名(数学2名、物理学1名)でした。その昔、理工書系のシリーズ刊行を目論み、その要員として理系編集者を採用しましたが、ほどなくしてその方針がとん挫。このときの社員は編集の現場を離れ、入社時の志とは異なる部門に配属されていたのです。そのうちのひとり(電波天文学専攻)を編集部へ異動させてくれるよう営業部の責任者に掛け合い、なんとか編集部へ来てもらえるようにしました(後に1名増員)。
数学科出身のふたりからも激励とアドヴァイスを受けましたが、編集の現場から離れていても数学への情熱と興味を失っていないことを知り、思わず胸が熱くなったことを憶えています。資料として提供してもらった本を見ると、すでに入手困難な絶版、品切れ本も含まれていて、名著、良書も多数でした。数学なので表現は古くても中身は古くなるはずもなく、「もったいないなあ」と思い、のちにその中から何冊かを復刊しました。ちなみに人文書は、テーマや内容、訳文の賞味期限が短く、みるみる古くなってしまうことが多いので、ここでも数学の強さを見せつけられた思いです。
少しずつシリーズのアウトラインが定まってきたとき、どなたかにブレーンをお願いしようと思い立ち、まず真っ先に頭に浮かんだ森毅先生にご相談しました。それまでも筑摩書房とは浅からぬお付き合いがあったからです。「本格を目指しなさい」というのが森先生の第一声でした。数学者は原稿を依頼されるとき、「なるべく数式は少なく、易しく書いてほしいと言われることが多くてね、そう言われるだけでモチベーションが下がってしまうのや」、「『思う存分。数式もたっぷり』と頼まれれば、全力で書きたくなるのが数学者の性分」とおっしゃっていたことを記憶しています。その全力で書き上げたものを文庫に収録しなさい、という有難いアドヴァイスでした。
もうひとつ忘れてはいけないのが、Math & Science のキーマンとなる方をご紹介いただいたことです。「カメテツに会いなさい」と言われ、?となりましたが、この雑誌『数学セミナー』の編集長を永年務め、多くの数学書を世に送った名物編集者・亀井哲治郎さんのことでした。時を置かずお目にかかり、それ以来今日に至るまで、企画のご紹介や困りごとの相談、はたまたお酒の相手まで、大変お世話になっています。亀井さんの存在がなかったら、たぶんMath & Science ははやばやとポシャっていた運命にあったでしょう。
物理学は、科学史家・予備校講師の山本義隆先生にご相談いたしました。早速ご推薦いただいたのが、第一回目に配本したディラックの『一般相対性理論』です。その後もランダウ=リフシッツの小教程(『力学・場の理論』『量子力学』)やご自身の『重力と力学的世界』、『熱学思想の史的展開』、最近では『山本義隆自選論集』I・II も本シリーズに収録させていただくことができました。誠実なお人柄の山本先生、Math & Science を通して一緒にお仕事ができましたことは、幸せなことだと思っております。
そのほか江沢洋先生、清水達雄先生、村田全先生、佐々木力先生、安野光雅先生ほか多くの方々に準備段階から貴重なご意見を賜りました。
刊行後のMath & Science はまずまずのすべり出しで、新刊重版になったものも複数ありました。文庫で理数書を定期刊行する版元がないこと、エンタメ、人文書の筑摩が理系に手を出したことが面白がられたという側面もあったかもしれません。
初回配本の翌月、プリンストン大学で数学を教えていたという方から、編集部あてに手紙が届きました。中国の説話本の出版に関する依頼です。いったんはお断りしましたが、その後あの志村五郎先生であることが分かり(そのときは、志村五郎が何者かということを知りませんでした)、お引き受けすることにしました。以来、毎夏避暑のために帰国されるたびにお目にかかり、おしゃべりをするようになります。
話題は多岐にわたり、数学:その他=1:9といった感じだったでしょうか。プリンストン高等研究所に招かれた際の所長・オッペンハイマー博士、恩師の竹山道雄先生、盟友のヴェイユ等々歴史上の人物が次々と登場し、そのつど驚かされることがしばしばで、その折の話のいくつかが、その後刊行した『記憶の切繪図』、『鳥のように』に収録されています。
志村先生は紳士的でいつも穏やかな微笑みをたたえてお話をされていました。一般に言われている怖いと思うようなことはまったくありません。ただ、意表を突いてくる質問もたびたびで、その意味ではうかうかしていられないおしゃべりで、いつも軽い緊張感がありました。「神道って何だと思いますか」、「大江健三郎氏をどう思いますか」、矢がどこから飛んでくるのかまったく予測がつきません。こういった質問に百科事典的な答えをすると、「渡辺さんの意見、見方が聞きたいのです」と言われ、頭をフルに働かせ、考えを絞り出すようにしてお答えしました。これは、自分の言葉で語らなければいけませんよ、という志村先生からの暗黙のアドヴァイスであったのでしょう。
また、わずかに数学の話題になったとき、「フェルマーの最終定理」が解けたことが数学の未来に貢献することにはならない、新たな問いを立て、その問いが次の数学を拓くものでなければまったく無意味だとおっしゃっていたこともたいへん印象的でした。すでにある問いの答えを導き出すことよりも、新しい問いを生み出すことのほうが遥かに重要で、明日に繫がることをただただ自分の頭で考えなさい、ということを志村先生に教わったように思います。
森先生に「本格を目指しなさい」と言われ、志村先生には「自分の頭で考えなさい」と教えられ、しかも数式の分からない担当が編集したMath & Science とは何だったのだろうかと改めて考えてみますと、つまるところ「非理科系の素人が編集した理数書」ということに尽きるかと思います。もちろん中身は、腕っこきの理工書専門の校閲者の方に見ていただいていますので、誤りは極力正すようにしていました(元本の誤りはけっこう多いのです)。
「数学」、「天才」への憧れという出自からして不純ですので、由緒正しい理工書版元や理数科の正規の教育を受けた編集者からは、「なんとも見ていられない」と思われていたことでしょう。こちらも長い間引け目を感じてまいりました。ただあるときから少しずつですが、「素人だからこそできることもある」へと意識が変わっていったように思います。たぶん理工書生え抜きの編集者でしたら、内容を理解できるわけで、その難しさから出版に二の足を踏んでしまうような企画でも、私たち素人は「良さそうなので出そう」ときわめてシンプルに考えて出版することができたのです。「勢い」や「勘」といった「蛮勇」による刊行が可能でした。しかも社内には理数系の人間がほぼいないこともあって、企画会議で異論が出るはずもなく、ほぼ野放し状態、難易度というリミッターが最初から存在していませんでした。どれほど難しい数式が多く入っていても、そもそも難しさの程度そのものが分からないので、問題にもなりません。恥ずかしげもなく言えば、Math & Science は素人だからこそ可能だったシリーズだったのです。
私は2024年6月に定年退職を迎え、今では多少ともMath & Science を客観的に見られるようになりました。ただ、このシリーズがほんとうに「数学を伝える」ことの手助けになったのかどうかはいまだに確信がありません。このシリーズの一冊を手に取ってくださった読者がいらっしゃったのでしたら(この目で実際に見たことがありませんので)、これ以上の喜びはありません。