教養文庫のたのしみ(前篇)――第12回教養文庫コラボフェア開催に寄せて 山本貴光
記事:平凡社
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チチカカ湖――なんだかワクワクする言葉だ。なぜだか探検や冒険という言葉も思い浮かぶ。はて、なんだろう。そこは本屋の店先で、目の前には文庫のフェアが展開している。時は2014年のこと。探検方面のフェアかなと思ってよく見ると、チチカカ湖ではない。チチカカコだ。各種文庫レーベルが出版社の垣根を越えて、「教養文庫」というテーマで共同開催するフェアだった。冒険は冒険でも知の冒険である。
なによりレーベルを超えてというところがいい。知に国境はなく、ときに時代や言語も超えて伝わるものだ。読者としても、日頃は書店の棚で、レーベルごとに別の国のように区別されて見えづらい共通点やつながりが目に入ってありがたい。
待ってましたとフェア台から何冊かを手にとり、配布されていた小冊子とともにレジに運んだ。そんなときには「ぜひ次回も開催してくださいね」と願いを込めている。それが通じたのかどうかはさておき、翌年もその次の年もと回が重なって、やがては年の瀬が近づく頃、季節の恒例行事のように楽しみにするようになった。聞けば今年で12回目というから、干支の十二支でいえば一周する勘定である。人間でいえば、生まれた赤ちゃんがもうすぐ中学生という時間だ。これだけ続いたと言葉で言うのは簡単だが、実際に続けるのは容易なことでも尋常なことでもない。これまで企画・運営してきたみなさんや、それぞれの書店でフェアを実現したみなさんに心からの敬意と感謝の念を捧げたい。
ここでは、この教養文庫フェアの軌跡を振り返りながら、かたときあれこれ述べてみようと思う。といっても、これを書いている私は通りすがりの一愛読者に過ぎない。少しだけ変わったところがあるとしたら、その愛がちょっぴり重めなところだろうか。
ところで、いまではすっかりお馴染みの文庫本だが、私たちが「文庫」と呼んでいるこうした本は、ずっと前からあったわけではない。諸説あるものの、現在のような文庫のはじまりを検討した鈴木徳三氏によれば、こうした文庫のはじまりは、1891(明治24)年に創刊された「国民叢書」(民友社)と目される。この国民叢書というシリーズは、ジャーナリストで「近世日本国民史」(講談社学術文庫)などの著者でもある徳富蘇峰(1863-1957)が出版したもので、名前にこそ「文庫」と入っていないものの、大きさといい、体裁といい、手にとれば、「あ、文庫だ」と感じるに違いない。私も古本で取り寄せてみて「これは文庫だわ」と思った(後に同名の叢書がいくつか出ているので混同しないようご注意あれ)。
肝心の中身はどうか。『青年と教育』『静思余録』『読書余禄』といった書目は、蘇峰が発行していた新聞や雑誌に掲載した文章を集め編まれたものだ。当時、学生に広く読まれたという。廉価で知識やものの見方や学び方を養うための小型本が、まだお金も自由に使いづらい学生によく読まれたのは頷ける。その頃、19世紀末から20世紀はじめにかけて刊行された文庫には、日本の古典を集めたもの(袖珍名著文庫〔冨山房〕)であったり、世界の名著をダイジェストするものだったり(アカギ叢書〔赤城正蔵〕)、学術一般の案内だったり(寸珍百種〔博文館〕、普通学問答全書〔冨山房〕)という具合に、いまで言う教養文庫が多かった。文庫のはじまりは教養文庫だったと言ってよいくらいだ。そう思うと、教養文庫フェアは130年以上にわたる文庫の伝統のど真ん中を継ぐ試みなのである。
さて、この文章を書くにあたって、2014年から2024年にかけて開催された教養文庫フェア11年分の小冊子を読み直してみた。毎回5、6社の版元が参加して、それぞれの文庫編集長(もしくは代表者)が選んだ自社の本にコメントをつけて並べるというのが基本形である。また、それぞれの本に対して他社の編集長が短いコメントをつけている。第8回からはさらに「『じっくり』もう一冊!」と題して類書を1冊添えており、本同士のあいだにリンクも張り巡らされるようになった。それぞれの編集長のコメントは、さすがというべきか、限られた文字数で思わず手にとりたくなる紹介が並ぶので、読む際にはご用心。
掲載冊数は年によって幅があり、40冊から60冊の規模で、これだけ並ぶと見応えがある。規模はもっと小さいながら、ときどきこうしたブックリストを作ってみた経験からすると、執筆と準備にはなかなかの手間がかかっているはずで、本の編集と並行してこれだけのものを書いて編むご苦労も偲ばれる。
ものは試しと全11回を通じて紹介された本をリストにしてみた。累計で562冊になる。複数回登場した本を1冊と数えると、それでも420冊。11年をかけてコツコツと積み上げられた教養文庫の山だ。
登場回数の多い本ベスト3は次の通り。
・アドラー、ドーレン『本を読む本』(外山滋比古、槇未知子訳、講談社学術文庫、1997〔1940; 1972〕)【8】
・渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005〔1998〕)【5】
・イザベラ・バード『日本奥地紀行』(高梨健吉訳、平凡社ライブラリー、2000〔1880; 1885〕)【5】
いかがだろうか。アドラーとドーレンの『本を読む本』は、「本の読み方(How to read a book)」という原題で、初歩から上級篇まで本の読み方を指南する本を抄訳したもので、日本でも長く読まれている。本を通じてものを学ぼうと思えば、読書法を身につけることが基礎になる。そう考えると、この本が教養文庫のおすすめ常連にいてもおかしくはない。毎回の「教養文庫フェア」では、他にも作文法や読書法、言語の学び方など、読み書きをトレーニングするための本も多様に紹介されている。
『本を読む本』に次いで登場回数が多かった渡辺京二とイザベラ・バードの本は、奇しくも明治の開国前後の日本の姿を後世の目から見たもの、同時代の異邦人の目で見たものとである。ついでながら、先ほど述べた全体420冊のうち、歴史はかなりの割合を占める。日本に限らず歴史に関する本は全体の17%ほど。現在の社会や自分たちがいる状況を知るには、いまだけを見ても分からない。なにがどのような経緯や試行錯誤の積み重ねがあったのか、歴史を見直すことでようやく分かることもある、という次第を思い出すなら、教養文庫フェアに歴史方面の本が多いことも頷ける。ただし、いま挙げた17%という数字は、私がそれぞれの本を大まかに分類した結果によるもので、分類が違えば結果もまた違うはずである。
この流れで、分野ごとの割合を大まかに見てみると、最も多いのはいま述べた歴史で、次に哲学の14%がこれに続く。思えば、哲学は教養と分かちがたく結びついていたものだった。というのも、日本で教養ということが学生や知識人のあいだで流行りだしたのは、大正のころで「大正教養主義」と呼ばれたりもする。明治期から日本の文化や学術には、西洋式が大いにとりこまれて、生活や社会も様変わりしたわけだが、そうした中でドイツ哲学が1つの手本のように扱われるようになったという経緯もあった。
また、古文・漢文などの古典も含んで大きく「文学」と言えそうな分野は12.6%ほどあった。この3つは、それこそ西洋流の大学がつくられた頃、「哲史文」という文学部の3本柱とされた分野である。この場合の「文学部」の「文学」は、文芸ではなく人文学、人間がつくった文化を対象とする領域のことだ。
他方で、こうした「教養文庫」では、人文・社会科学方面が中心になる印象があるかもしれない。というのも、実際に学術全般に関する文庫について調べてみると、自然科学や数学にかんする本はけっして多くないからだ。以前別の機会に調べたことがあるのでご紹介すると、ここ5年で刊行された広く学術にかんすると言えそうな文庫の新刊に含まれる理系書目の割合は、少ないときは5%、多くて15%程度だった(詳しくは、ここ何年かの『おすすめ文庫王国』本の雑誌社に書いている「学術系文庫の一年」でご覧いただけます)。では、この教養文庫フェアの全420冊ではどうかと見てみると、自然科学(物理、生物、化学など)、医学、数学を加えて約19%になる。この割合をどう感じるかは人によろうけれど、5冊に1冊程度という割合はなかなかではないだろうか。
今度は全420冊を著者で見てみよう。1人の著者ごとに、紹介されている本の種類数を比べてみる。アドラーとドーレンは先ほど触れたように『本を読む本』で8回登場している一方で、彼らの著作はこれ以外には出ていない。いま眺めてみたいのは、1人の著者による複数の本が登場しているケースである。
・半藤一利(1930-2021)【6点】
『昭和史1926-1945』『B面昭和史 1926-1945』『昭和史 戦後篇 1945-1989』『世界史のなかの昭和史』『墨子よみがえる』『名言で楽しむ日本史』
・網野善彦(1928-2004)【5点】
『異形の王権』『職人歌合』『増補 無縁・公界・楽』『日本の歴史をよみなおす(全)』『対談 中世の再発見』(阿部謹也との対談)
・河合隼雄(1928-2007)【5点】
『大人の友情』『カウンセリングを語る』『影の現象学』『中空構造日本の深層』『私が語り伝えたかったこと』
・柳田国男(1875-1962)【5点】
『日本の伝説』『禁忌習俗事典』『口語訳 遠野物語』『葬送習俗事典』『日本の民俗学』
分野でいえば、歴史(半藤、網野)、心理(河合)、民俗(柳田)となろうか。いずれも多くの本を書いた男性で、柳田を除く3人は1930年前後生まれの人たちである。これに続くのは、白川静、鈴木大拙、宮本常一、湯川秀樹で、それぞれ4点だった。もし50年後、100年後に「教養文庫フェア」が開催されたら、ここにはどんな名前が並ぶのだろうと、つい空想してみたくなる。
もう一つ、教養文庫にとって重要な翻訳書についても見ておこう。全420冊のうち、翻訳書は146冊で約35%を占める。ここには中国や日本の古典の現代語訳も含む。最も多く登場した翻訳者は矢野真千子氏で、以下の4冊を手がけている(いずれも河出文庫)。
・アランナ・コリン『あなたの体は9割が細菌』
・ウェンディ・ムーア『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』
・スティーヴン・ジョンソン『感染地図』
・ダニエル・チャモヴィッツ『植物はそこまで知っている』
ご覧のようにこれらは自然科学や医学方面の本で、「教養文庫」フェアの理系書目比率にも貢献しているものだ。
ところで、みなさんのなかにも、そういう本の選び方をする人がいるのではないかと思うのだけれど、私はしばしば翻訳書を読んで「この訳者さんの仕事はいいなあ」と感じると、その訳者が手がけた本を追いかけるようにしている。ある著者のファンになるように、訳者のファンというわけだ。矢野真千子氏もその1人で、最近では化学同人のDOJIN文庫に入ったカーク・ウォレス・ジョンソン『大英自然史博物館珍鳥標本盗難事件』を楽しく読んだところだった。
(後篇に続きます)