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難しそうな教養文庫をかわいく、楽しく 「チチカカコヘ」6社の編集長たちの挑戦

記事:じんぶん堂企画室

教文館(東京・銀座)の「チチカカコヘ」フェアの書棚。「フェアの選書のほかに、各編集長さんのさらなるおすすめを選んでいただいて、一緒に並べています」(同店和書部店長・津田篤志さん)
教文館(東京・銀座)の「チチカカコヘ」フェアの書棚。「フェアの選書のほかに、各編集長さんのさらなるおすすめを選んでいただいて、一緒に並べています」(同店和書部店長・津田篤志さん)

競争している場合ではなくなった

 「チチカカコヘ」は、6社の教養文庫レーベル共同のブックフェア。ちくま学芸文庫、中公文庫、角川ソフィア文庫、河出文庫、講談社学術文庫、平凡社ライブラリーの頭文字を並べたネーミングだ。

 2014年に5社共同の「チチカカコ」としてスタートし、翌年から平凡社ライブラリーが加わり、末尾に「ヘ」が付け加えられた。

 例年、年末に開催されてきたが、第7回にあたる今回はコロナ禍の影響により1カ月遅れの1月下旬からスタート、現在全国約500の書店で開催中だ。

パネルやPOPで使用されている6人の編集長の似顔絵
パネルやPOPで使用されている6人の編集長の似顔絵

 「チチカカコヘ」が始まったきっかけは、講談社学術文庫編集長の園部雅一さんと、当時角川学芸出版ブランドカンパニー長だった郡司聡さんの、とあるバーでの会話だった。

 「ある週末の夜 、『本、売れないですねぇ』と、いつものように話していたんです。“出版不況”の中、とりわけ、思想や哲学、歴史など学術的な内容をラインナップとする教養文庫レーベルはどこもきわめて厳しい状況にあった。一社の力で出来ることは限られている、『“ライバル”同士で競争している場合じゃない、一緒に組んでフェアをやりませんか』という言葉が口をついて出たんです」(園部さん)

 園部さんの思いを聞いた郡司さんは、週明けすぐ、各社の教養文庫編集長たちに次々に電話をかけた。「一緒にやってみませんか」。 

 当時、出版社が会社の垣根を越えて共同で何かに取り組むのは異例中の異例。しかし、園部さんと郡司さんの呼びかけに返ってきたのは、賛同の言葉ばかりだった。

メモから浮かびあがった南米の湖の名前

 講談社学術文庫、角川ソフィア文庫、河出文庫、ちくま学芸文庫、中公文庫それぞれの営業、編集、電子書籍の担当者が、毎週、角川書店の会議室に集まるようになった。

 「全部で15、6人集まるんですけど、なかなか皆さんの名前を覚えられなくて。社名とみなさんの名前を紙に書き出していつも眺めていたんです。そうしたらあるとき、あっ!と、気づきまして(笑)」(園部さん)

 集まっていた各社の名前の頭文字を並べると、ペルーとボリビアの国境にまたがる湖「チチカカ湖」の名前になった。園部さんがフェアの名前に提案してみると、即決だった。

 フェアの名前はすぐ決まったものの、それ以外は、話し合いと調整を重ねる日々が続いた。

 「何冊規模でいくか。紙だけにするか電子書籍も扱うか。販促についても、各社それぞれやり方も文化も違いますから、各社独自のやり方を教え合いました。へぇ、そんなふうにやっていたのか、と、とても勉強になりましたね」(園部さん)

本気で、かわいく

 当時、文庫全体の売り上げの中で教養文庫が占める割合は1%程度。新たな読者層を生み出す必要があった。しかし、難しそうという理由で近づいてこない人たちに、実際に難しいものが多い教養文庫の魅力をどうしたらわかってもらえるのか。

 あれこれアイデアを出し合った結果、各レーベルの編集長が前面に出て本の魅力を自ら「本気で」伝えること、人文書の硬質なイメージとかけ離れたかわいい世界観でいくこと、が決まった。

 毎年テーマを設定し、各社編集長が、定評あるロングセラーを中心に10冊前後の本を選定する。店頭で無料配布する小冊子に一冊一冊紹介文を書く。POPには編集長が手書きでコメントを書く。また、互いに他社の本の感想やおすすめの読み方もコメントし合う。

あの色、この色、と、カラーペンを変えながら一生懸命手書きする編集長たちの姿が目に浮かぶPOP(教文館にて。以下の店内写真も)
あの色、この色、と、カラーペンを変えながら一生懸命手書きする編集長たちの姿が目に浮かぶPOP(教文館にて。以下の店内写真も)

 POPやパネルには、編集長一人一人の顔が見えるように、似顔絵を入れた。似顔絵を担当したのは、河出書房新社の新屋敷朋子さん。カラフルなPOPやパネルが並ぶフェア棚は、人文書売り場でひときわ目立つ。

 「カラフルでかわいいものにしたのは、じつは、書店員さんたちへの思いもあります。フェアを準備していただくときに、少しでも楽しい気持ちになっていただけたらと」(園部さん)

 6社共同。教養文庫フェアなのにかわいい。各編集長が前面に出て「本気で推す」。異例ずくめのフェアはすぐに話題を呼んだ。以後、毎回、売り上げは右肩上がりを続けているという。店頭の小冊子も、毎回すぐになくなってしまう人気ぶりだ。

第7回「チチカカコヘ」の小冊子。選書全48冊が編集長のコメントとともに紹介されている
第7回「チチカカコヘ」の小冊子。選書全48冊が編集長のコメントとともに紹介されている

 ところで、平凡社が加わって「チチカカコへ」となったが、この「へ」の部分はどう読めばいいのだろう。

 この問題については、平凡社ライブラリーがTwitterで声明を出していたので、紹介しておこう(下の画像参照)。ちなみに、平凡社ライブラリーが参加したきっかけはTwitterだったそうだ。

 「『チチカカコ』アカウントのツイートに平凡社ライブラリーさんがよく絡んでこられていたので、お誘いしたんです(笑)」(園部さん)

「チチカカコヘ」の「へ」はどう読むかについて、平凡社ライブラリーがツイートで出した声明
「チチカカコヘ」の「へ」はどう読むかについて、平凡社ライブラリーがツイートで出した声明

読み通したという“成功体験”をしてほしい

 だが、「チチカカコヘ」で紹介する本はあくまで教養文庫。難しい本が苦手な人でも本当に大丈夫なのだろうか。

 「大丈夫です。各社、読みやすいものを選んでいます。読書は慣れです。まず、慣れていただけたら。途中でダウンした、と、教養書にいやな思い出が残ってる人も多いと思うんです。そういう方たちに『チチカカコヘ』が紹介する本で、まず、読み切った!という体験をしていただきたいです」(園部さん)

小冊子の一部。各ページ末尾の「他社編集長から」で、互いに他社の本を3行でコメント
小冊子の一部。各ページ末尾の「他社編集長から」で、互いに他社の本を3行でコメント

 本の作り手であり、読み手のプロでもある編集長たちがすすめてくれる信頼性と親近感が、「チチカカコヘ」の魅力だ。

 提案のスタイルは、試行錯誤を重ねて毎年変えており、今回のメイン・タイトルは「教養と生きよう」。コロナ禍を受けてのものだ。

 「人間を知る/人文」、「より良く生きる/社会」、「宇宙の理を解く/自然」、「世界はどこへ行く/歴史」という4つのテーマごとに選書した。前回の4テーマのうち「世界を感じる/芸術」を「世界はどこへ行く/歴史」に変えた。未曽有の事態を迎えた今こそ、歴史から学ぶことがあるはずだ、という思いからだ。

 小冊子の挨拶文を読むと、「すぐに答えの出ない課題に立ち向かう時に、考えるための手がかりを与えてくれるのが教養だ」と書かれている。

 この挨拶文を書いた園部さんが考える「教養」とはどんなものなのか、聞いてみた。

 「わたしたち人間の根底には、いつも、答えのない問いがあると思うのです。そうした問いを射程にし、それに答えようとする思想や論考が『教養』だと思います。人間とは何なのか。そういう問いに、時々立ち戻ったほうがいいのではないでしょうか」

 挨拶文には、カミュの『ペスト』の次の一節が引用されている。

ペストと生との賭けにおいて、およそ人間が勝ちうることのできたものは、それは知識と記憶であった(宮崎嶺男訳)

 「『ペスト』は、コロナ禍の影響で今再び読まれていますが、私は3年前にたまたま手にとったんです。私の卒論はカミュについてなんですが、『ペスト』は、大学生の頃はなんだかちょっと甘いと思って真剣に読んでいなかった。でも、自分もだいぶ年を重ねて、連帯とつながりにずっと価値を感じるようになって、あらためて読み直してみよう、と『ペスト』をふと手にとってみたんです。そんなふうに、古典をはじめ読み継がれてきた本は、再読に値するものだし、その人その人のタイミングで何か新しいことを伝えてくれるものとして存在し続けているのではないでしょうか」

POPを眺めていると編集長たちと一緒に本を選んでいる気分になる
POPを眺めていると編集長たちと一緒に本を選んでいる気分になる

コロナ禍で力になる一冊

 各社編集長・営業担当に、今年の選書の中から、とりわけ「コロナ禍で力になる」と思う一冊を紹介してもらった。

●呉座勇一『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)

 一揆とは、暴発的な武装蜂起ではなく、既成の社会関係では対応できない危機に直面した人々が生み出した、新たな社会的つながりだった。激動の中世で創り出された連帯は、コロナ禍に揺らぐ今こそ「人のつながり」を見つめ直す糸口となるでしょう。(筑摩書房 チチカカコヘ営業担当・横山絢音)

●吉本隆明『親鸞の言葉』(中公文庫)

 念仏を選んで信じるのも捨てるのも「皆さま方のお計らい次第」です(『歎異抄』)――。死が身近にあった時代、救済を求める人びとに、親鸞は何を説いたのか。いまこそ、その言葉を吉本隆明訳でじっくりかみしめたい。(中公文庫編集長・太田和徳)

●石弘之『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫)

 感染症の発生は生物進化の一環であり、地球に住むかぎり完全に逃れるすべがないのは地震と同じだ、と著者は説きます。20万年にわたるヒトとウイルスの「共存」を描く本書は、疫禍にふりまわされる私たちの今を、はるか人類史的なスケールから問い直すかのようです。(角川ソフィア文庫編集長・伊集院元郁)

●カルロ・ロヴェッリ 竹内薫[監訳]/栗原俊秀[訳]『すごい物理学講義』(河出文庫)

 読書とは能動的に自分の時間を流して初めて成立するもの。この数カ月でその「自由」に改めて目覚めた方も多いのではないでしょうか。そんな自由な時間に寄り添いながら、あれこれ思考を巡らせる助けになるのが教養の書ならば、本書は自信をもっておすすめできます。(河出書房新社編集長・藤﨑寛之)

●梶田昭『医学の歴史』(講談社学術文庫)

 寺田寅彦は「正当にこわがることはなかなかむつかしい」と言っています。想定外に対抗するためには、知識と記憶が戦うための武器になります。人類と疾病の歴史を描く『医学の歴史』には、叡智と勇気が詰まっています。(講談社学術文庫編集長・園部雅一)

●半藤一利『世界史のなかの昭和史』(平凡社ライブラリー)

 著者の半藤一利さんが、1月に急逝しました。「大事なことは全て昭和史に書いてある」「歴史は自分から学ばなければ、決して何も教えてくれない」と生前に何度も語りました。「昭和史」の必要性が今こそ問われています。(平凡社 チチカカコヘ営業担当・清田康晃)

*開催中の書店情報など、詳しくは「チチカカコヘ」のTwitterをご覧ください。

(じんぶん堂企画室 伏貫淳子)

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