文系のための科学本ガイド③『バッタを倒しにアフリカへ』(評・東えりかさん)
記事:白揚社
記事:白揚社
「蝗害(こうがい)」という天災を知っているだろうか。「蝗」はバッタやイナゴ類を表す漢字で、ある種の蝗は大量発生によって作物に大被害を出す。これを蝗害と呼び、旧約聖書にも被害が報告されているほど人類にとって古くからの脅威であったことがわかる。
最近では2019年末から2020年にかけて、アフリカ東部、中東、インド、パキスタンなどにサバクトビバッタが広範囲で発生した。この被害は2020年の発表によると約1800万人分の食料が失われ、深刻な飢餓を引き起こしたといわれる。
地表から空から覆い隠す黒雲のような大群のバッタが、作物や森林を喰い荒らし、あとは荒野になってしまった映像を見たことがある人は多いだろう。古くから大飢饉は繰り返された。
このサバクトビバッタと戦う若き昆虫学者の記録が『バッタを倒しにアフリカへ』とその続編である『バッタを倒すぜ アフリカで』(どちらも光文社新書)である。
表紙はどちらも、バッタに似せているのだろう、顔を緑に塗り全身緑色づくめの衣装を着た怪しい男がポーズを決めている。この人こそ著者の前野ウルド浩太郎博士自身である。
歴史的な問題を解決するために奮闘しているようには到底見えないふざけた格好なのだが、実はこれには深遠な意味があった。幼いころ、外国に大発生したバッタを見学中の女性観光客が緑の服を喰われてしまったことを科学雑誌の記事で知った、当時ファーブルに憧れていた浩太郎少年は「バッタに食べられたい」という夢を持つ。この扮装は夢を叶えたことを示す正装なのだ。
真摯な研究者ほど狂気を孕む。真面目に問題に取り組み過ぎて、一般常識から外れてしまう。とくに科学者はその傾向が強く「マッド・サイエンティスト」と言われるほど研究に没頭し、世間とはかけ離れた生き方を選ぶものだ。人になんと思われても構わないという気概と気骨、さらに真実を追求する姿は時に清々しくて羨ましくもある。
2年の期限付きではあるが、西アフリカのモーリタニアに移り住んで研究を始めたのが2011年のこと。居を構えた「モーリタニア国立サバクトビバッタ研究所」では日夜、バッタの発生を見守り、いざという時は殺虫剤で駆除を行い大きな被害を食い止めていた。
だが大量の殺虫剤が使用されると、人や家畜に有害なばかりでなく環境汚染を引き起こす恐れがある。ならばサバクトビバッタの習性を詳しく知り、大発生前に未然に防ぎたい。前野の研究の目的はそこにあった。成果を出せば昆虫学者としての前途は洋々だ。
大望を抱いた前野に思いもかけない不幸が訪れる。なんと契約期間にバッタが発生しなかったのだ。何の成果も得られず(別の虫の研究の成果は出せたが)契約は切れ、無一文になりながら、果たしてこのまま研究が続けられるのか。読者はハラハラしながら読み続けることになる。
この2冊を読むことで、前野博士がいかに偉大な研究を完遂したか理解できるだろう。まじめな研究でありながら、洒脱な文章は誰でも楽しめるし、荒唐無稽な異世界転生ノンフィクションともいえる内容が多くの人の興味を惹き、『バッタを倒しにアフリカへ』の新書版は大ベストセラーとなった。
バッタを研究すること20年。習性を研究し、大発生の仕組みを解明したことで、2020年、モーリタニア政府からはシンゲッティ賞、2023年、日本学術振興会からは第19回日本学術振興会賞を、さらに日本科学技術ジャーナリスト会議から科学ジャーナリスト賞2025・大賞が授与された。
さらにさらに昆虫好きの子供たちのために、『バッタを倒しにアフリカへ』の児童書版も発売されている。
書店でこの本を見つけたとき、私はうれしくて思わず声を上げてしまった。子供たちに読ませたいと、ずっと思っていたのだ。
昆虫好きで「三つ子の魂百まで」のことわざ通り、自身が初志貫徹したことを記念し、判型と文字を大きくし、内容はそのままに小学3年生以上が学ぶ漢字は総ルビが振られ、難しい言葉の意味は分かりやすい解説を付けてある。
新書版では、ふざけているとしか思えない本人の姿や、あまりに小さくてなんだかわからない大群のバッタの色や形が、大判の写真となったことで鮮明になり、写真やイラストを眺めるだけで親子一緒に楽しむことができるようになったと思う。好きなことに邁進し、人の役に立ちたいと努力する姿がこんなにも笑いと感動を呼び起こすのか。
世界を救うヒーローは実在した。奇人変人と笑わば笑え。彼が救いたいのは地球上の命すべてなのだ。