桜の早稲田で、大人の社会科見学。〈人文知への扉〉を開く
記事:白水社
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早稲田に桜が咲く頃、ここが「革命の街」だったことを知る人は、どれほどいるだろう。
明治・大正の東京に、1万人を超える中国人留学生が押し寄せた。梁啓超は亡命先としてこの街を選び、魯迅は本郷西片の下宿で漱石を読んだ。若き周恩来は神田の日本語学校に通い、蔣介石は早稲田の近くの軍事学校で銃の扱いを学んだ。革命は北京でも上海でもなく、帝都東京の路地裏で静かに準備されていたのだ。
譚璐美の新刊『帝都東京を中国革命で歩く』(白水Uブックス〈人文知への扉〉)は、そんな「もうひとつの東京史」を、実際に歩きながら掘り起こす1冊だ。
辛亥革命前後の1900年代初頭から20年代にかけて、日本の年号でいえば明治から大正初めの頃、日本には中国人の留学生があふれていた。明治維新を成し遂げた日本はアジアでいち早く近代化を実現した国であり、清国で「日本ブーム」が巻き起こったからである。日本の成功に学ぼうとやってきた留学生は、最も多い時期には1万人近く日本に滞在し、その9割が帝都東京に住んでいたという。譚璐美『帝都東京を中国革命で歩く』(白水Uブックス〈人文知への扉〉)所収「はじめに」p10より
著者が歩くのは、早稲田、本郷、神田の3つのエリア。いずれも今日の東京では「大学の街」として知られるが、本書を読み終えると、その景色が一変する。早稲田の電車通りは清国留学生たちのチャイナタウンが広がった場所であり、本郷の路地には中国革命最初期の組織が息づいていた。神田・神保町の古書店街は、当時の留学生たちにとって「革命の知恵袋」そのものだった。
かつて、早稲田界隈にはチャイナタウンがあって、旅館や料理店、床屋の店先に清朝の国旗・黄龍旗が翻っていたという。神田には清国留学生のための日本語学校や留学生クラブがあり、郷土料理を出す食堂があった。神楽坂や飯田橋界隈には、革命家たちが密談を交わした料亭があり、中国同盟会が生まれたのは虎ノ門のホテル・オークラ本館がある場所である。譚璐美『帝都東京を中国革命で歩く』(白水Uブックス〈人文知への扉〉)所収「はじめに」p11より
この本が白水Uブックスの新シリーズ「人文知への扉」の1冊として刊行されたのは、今年2月のことだ。
そしてちょうど桜の咲く3月20日(金・祝)・21日(土)、白水社の物流拠点「白水出版センター」(東京都豊島区高田、都電早稲田駅そば)で、「さくらブックマルシェ@わせだ」が開催される。
倉庫に眠る「在庫本即売」に加え、先着限定の「倉庫内見学ツアー」、小指さんの描き下ろしコミックエッセイを収めた「PR誌の特別号無料配布」──と内容は盛りだくさんだが、何よりの魅力は、この催しが「早稲田」という場所で開かれることにある。
白水出版センターは昔から都電荒川線の早稲田駅のそばに位置し、白水社と早稲田との縁は110年を超える。梁啓超が嘆き、魯迅が夢を見た街の、同じ土地で本を手に取る。そう思うだけで、桜の下で手にする1冊の感触もまたひと味変わってくる。あなたは、なにを感じるだろうか?
白水社〈人文知への扉〉編集部