レジ袋の有料化は意味がある? 見えないムダの構造を読み解く『この世からすべての「ムダ」が消えたなら』
記事:白揚社
記事:白揚社
レジ袋が有料化されたのは6年も前なのに、我が家にはまだ大きな紙袋に満杯になるほど大量に保管されている。何かの役に立つだろうと捨てずにいたものが、いまだに使い切れずに残っているのだ。このままではスペースのムダだが、捨ててしまうのもムダにしてしまうようで嫌だ。
街に捨てられ、風で飛ばされて海に落ち、亀がクラゲと間違えて食べてしまうなど環境破壊の元凶とされるレジ袋。本書によると、ケニアの牛の半数の胃袋からレジ袋が見つかったという。ならばレジ袋なんてなくしてしまえ――というわけにはいかないらしい。米カリフォルニア州でレジ袋を禁止したところ、1800万キロの削減に成功したが、その代わりに小型ごみ袋の販売量が激増し、その効果は3分の2ほどに留まったという。
このように削減効果が表れにくい事例として、缶飲料などに用いられるアルミニウムのリサイクルが挙げられている。本来アルミはリサイクルが容易な資源ゴミだが、仮に1キロのアルミを再利用しても、新たに採掘され精錬されるアルミが1キロ減ることにはならないというのだ。つまり、再資源化されることでアルミの供給量が増し価格が下がる。市場価格が下がると、採掘業者は競争のために売り値を下げる。値が下がることで新たな需要が増えて、消費者はこれまで以上のアルミを使うこととなる。ムダの削減は一筋縄にはいかないのだ。
本書は、ムダを削減する方法を指南するものではない。資源や食品、お金や時間といった、減らすことが難しいムダがどのように浪費されているのかを豊富なデータを基に検証するというものだ。ムダをなくすための行為そのものがムダを生み出していたり、便利だと思っていたものに巨大なムダが潜んでいたりする。そんな「ムダ」の複雑な構造が読むほどにあぶり出されていく。
たとえば、輸送のコストを削減できる地産地消についても、本書はかえってムダを生む可能性もあると指摘している。ニュージーランドの研究によると、イギリスでラム肉を生産するのに使うエネルギーはニュージーランドのそれの4倍に上り、輸送費を差し引いても割に合わないという。かつてアイスランドでバナナを生産するという無謀な試みが、あっけなく失敗に終わった事例などと併せて、地産地消が正解とは限らないと教えてくれる章は、私にとって「目から鱗」となった。
ほかにも食品ロス、CO2排出量、水問題など、世界規模の課題についてもムダがたくさんあることを、想像を超えた視点から解説しているので、ここはぜひ読んでほしい。特に二酸化炭素について書かれた章は驚きの連続となるだろう。たとえば、地球上の全人類の体重を合計しても1ギガトン(10億トン)に満たないが、人間が燃やす化石燃料によって発生する二酸化炭素は40万ギガトンにも上るのだ。
でもここからが難しい。たとえば、大量のCO2を排出する飛行機に乗らないという選択をする。たしかにCO2排出量は減らせるが、大きな時間のムダを生んでしまう。要は、どちらのムダを選ぶか、ムダを考えることは自分の価値観を考えることだとわかってくる。
世の中には読書は時間のムダという人もいる。でも、本書をじっくりと時間をかけて読み込んだ私の読後感は、失われた時間を差し引いても大満足だった。大局的な見地から人類のムダを考え、自分がどう生きるべきかに思いを馳せたその時間は、掛け値なしに有意義と感じられた。