江戸時代は、こんな男がモテていた 小栗清吾『吉原の江戸川柳はおもしろい』
記事:平凡社
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江戸の男たちは、吉原が大好きでした。その大好きな吉原のあれこれを、川柳作家たちが、どうでもいいことを細かく観察したり、いろいろデフォルメしたり、時には「もしこんなことがあったら面白いよなあ」と想像を膨らませたりしながら、可笑しい句に作り上げてくれました。
たとえば、もてる奴はこんな風だったようです。
もてたやつ夜中おいていていを言い 一一30
つねるのは愛情の表現です。一晩中あちこちつねられて、「おお痛え痛え」を連発するのです。
焼け煙管みだりに女郎おっつける 一四25
また、煙草の火で雁首が熱くなった煙管を押しつけるのも、遊女の媚態の一つのようです。何とも不思議なテクニックですので、「それ、本当にもてているの」とお疑いの向きもあろうかと思いますが、
あざや火傷へ湯のしみるもてた朝 一〇三9
という句があり、つねられたアザや焼け煙管の火傷は「もてた証拠」だと、はっきり言っていますので、そういうことなのでしょう。
もちろん、アザや火傷ではない楽しい世界を満喫するのは当然です。
小便に行くと太腿ゆるめさせ 桜20
一般の男女の句ともとれますが、やはり落語『明烏』の場面が連想されます。遊女が客の足に太腿を絡めて離さないのを、「小便に行くから、ちょっとゆるめてくれ」と言っているのです。
遠州灘を乗るようなもてた晩 一三二11
これは説明不要でしょう。蒲団が大きく揺れるのです。
吉原では、遊客が「振られる」ということが起こるとされています。すなわち、正当な対価を払っても、それに見合うサービスの提供を拒否されるのです。本当にそんなことが習慣としてあったのかどうかいつも疑問に思っていますが、江戸川柳には「振られる」ことを詠んだ句がたくさんあります。もてる男は痛がってばかりいましたが、振られる男たちは「いろいろ」のようです。
① 遊女が来ない
とにかく遊女が部屋へ来ないのです。客はひたすら待つしかありません。
しゃば中が寝静まったにうせぬなり 傍一43
「うせる」は、「来る」の卑語です。みんな寝静まった時間なのに、まだ遊女がやって来ねえと待ちかねているのです。
待ちわびる耳へ蛙の声ばかり 傍一15
遊女の上草履の音が聞こえてくるのを期待しているのに、聞こえてくるのは蛙の声ばかり。吉原は周囲を田圃に囲まれています。
上草履ばたばたばたと外へ行き 拾六18
上草履あとから来るも脇へきれ 拾八6
上草履隣まで来て滞り 安四桜4
そうこうしているうちに、やっと待望の上草履の音が聞こえてきます。ヤレ嬉しやと思ったのも束の間、ばたばたばたと外の方へ行ってしまいます。そのあとから来たのも脇へ切れて行ったり、隣の座敷で止まったりします。やんぬるかな!
けちな晩尺取虫のように待ち 筥二21 もてぬやつ馬の寝返りするごとく 拾八4
しかたがないから、尺取虫のように身体を動かしたり、馬のようにどたりどたりと寝返りを打ったりするしかありません。
鶏も鳴け鐘も鳴れ鳴れ振られた夜 三〇9
もうやけくそです。「一番鶏も鳴け。暁の鐘も鳴れ。早いとこ夜が明けちまえ。ちくしょうめ」。謡曲『通小町』に「鳥もよし鳴け。鐘も唯鳴れ。夜も明けよ唯一人寝ならば。辛からじ」とある文句のもじりです。
② 枕元で手紙を書く
ようやく遊女がやって来ました。でも喜ぶのはまだ早い。枕元で延々と手紙を書いたりします。これも振る手段の一つです。
そこはかとなく書き綴るけちな晩 安九鶴1
「そこはかとなく」は、「何ということもなく。とりとめもなく」というような意味ですが、『徒然草』(序段)の「そこはかとなく書きつくれば」の文句取りが趣向です。振るのが目的の手紙ですから「そこはかとなく」がぴったりですね。
寝たふりを心で笑い文を書き 傍五7
早く手紙を書き終えろと急かすのも野暮と心得て、鷹揚に寝たふりをしていたら、これがとんだやぶ蛇。そんなことは百も承知の遊女が、心の中で嘲笑しながら書き続けます。
目が覚めて見ればまだ書く長い文 一〇26
そのうち本当にうとうととしてしまい、目が覚めて見ればまだ書いている。何と長い手紙かと思うのですが、振るためですからとにかく長いのです。
一二寸搔き立ててまた墨をすり 傍四27
もうそろそろ終わりかと思った頃に、行灯の灯心を搔き立てて、また墨をすり始める遊女。おいおいまた新しく取りかかるのかい。参ったなあ。
よそへやる文を書いてて壱分取り 天元礼2
考えてみたら、他人にやる手紙じゃないか。それを俺の枕元で書いて俺から一分取るとはひでえなあ。
隣では弐番済んだに書いている 末二11
隣座敷ではもう二回も交合を済ませたようだが、こちらはまだ手紙を書いている。どうなってんだ!
③ 仮病を使う
遊女がよく起こす病気に「癪」があります。辞書には「胸部または腹部の一種のけいれん痛で、多く女性にみられる。医学的には胃けいれん、子宮けいれん、腸神経痛などが考えられる」(『日本国語大辞典』)とあります。実際に持病持ちもいたでしょうが、にわかに発症する症状ですから、仮病に使うにはもってこいの病気です。
重宝な癪を傾城持っている 傍一49
遊女の癪は、どうも相手を見て起こる病気のようで、なかなか重宝な癪を持っているというのです。
横っ腹押さえお許しなんしなり 安八礼3
遊女が横っ腹を押さえ、「あれまた、持病の癪が起こりんした。もうもうお許しなんし」などと言って、向こうを向いて寝てしまったりします。
こんな仮病の仕打ちを受けた時、遊客の対応はいろいろです。
もてぬ奴まだ薬でもやる気なり 四27
自分が振られているのに気がつかないで、本当に病気と思って手持ちの薬でもやろうと思っているもてぬ奴。その鈍感さが振られる理由なのです。
壱分出し夜の明けるまで癪を押し 三二4
癪は、痛む箇所を押すと痛みが軽減するそうです。この遊客は夜明けまでずっと癪を押し続けていたのです。もちろん揚げ代の一分は取られっぱなしで、わかりやすく言えば、
病人に壱分払って帰るなり 安九義3
ということになるわけです。この句の遊客は諦めておとなしく帰ったかも知れませんが、中には納得しない客もいます。
看病に来はせないぞと怒鳴るなり 明三礼3
「看病に来たわけじゃないんだ」と妓楼の人を怒鳴りつけたりします。
④ 尻を向けて眠る
手紙を書いたり仮病を使ったり、そんなまだるっこしいことをしないで、蒲団に入ったら客に尻を向けて眠ってしまう遊女もいます。同衾しているのに、向こうを向いたまま相手にしないというのは、ある意味では最も冷酷な振り方かも知れません。
鼻どこか尻であしらうけちな晩 一四一35
「鼻であしらう」のはまだしも、「尻であしらう」とはなんたる仕打ちか。いまいましい晩です。
枕ならべて寝たれども尻を抱き 九二21
枕は並んでいても、身体の向きが違っては何にもなりません。「尻を抱き」と言っても後背位でコトに及んだというのではありません。そんな気になって、
もてぬやつ尻へ押っ付け叱られる 四七39
一物を押し付けでもしたら叱られること必定です。それどころか、
もてぬやつ尻をいじって叱られる 一四17
触っただけでも怒られる始末です。
くやしさは夕べ三分の尻を買い 八七9
三分も払って尻を向けられたら、それはくやしいでしょうなあ。
といった具合です。
では、どうすればもてるのでしょうか。先人はいろいろなことを言っています。
もてんとすべからずふられじとすべし 二二16
「~すべからず、~すべし」と、もっともらしい口調で色事の極意を言っている(?)のでしょうが、禅問答みたいでよくわかりません。もてようとして生半可なパフォーマンスをしてはいけない、遊女に嫌われない行動を心がける、というようなことでしょうか。
野暮にしていることだよと通な奴 拾七24
吉原では「野暮」は最も嫌われることですから、この句の「野暮」は本物の野暮ではなく、前の句と同じように、妙に通人ぶったりしない態度でいるべし、ということでしょう。なにしろ相手は百戦錬磨の強者ですから、付け焼き刃の半可通はすぐに見破られます。ですから、まるっきり何も知らないうぶな息子が意外にもてたりします。
いただいて飲んだ息子がいっちもて 二六36
団体さんでしょうか。差された盃を頭上にいただいて飲むような息子がいっち(一番)もてたというのです。盃をいただいて飲むのは野暮な行動ですから、
いただいて飲むと傾城脇へ向き 拾六29
という句もあるくらいで、遊女に馬鹿にされるのがオチなのですが、この息子の場合は、「野暮」の概念とは少し違って、気取らず律儀で好ましく見えたのでしょう。
もてるように行動するのはなかなか難しいですが、とりあえず誰にでもトライできることが一つだけありました。
惚れ薬佐渡から出るがいっち効き 二五18
「イモリの黒焼き」など惚れ薬にもいろいろありますが、いちばん効くのが佐渡から出てくるもの、すなわち佐渡金山産出の小判です。
ここで取り上げたのは、妓楼での遊女と客のほんのひとコマです。
吉原で繰り広げられる男たち、女たちの大活劇は、下心満載の男たちが吉原を向かう道中から、もっと言うとどうやって家を抜け出すか、といったあたりから始まったりします。
妓楼の登場人物たちも、「遊女」やその予備軍の若い子たち、店の営業を差配する「遣り手」や若くても若くなくても「若い者」と呼ばれた男衆、時には女たちの味方にもなった「お針」、吉原遊びの通訳でもあった「太鼓持ち」と個性派ぞろい。
一方、お客のほうも、「どら息子」や「亭主」から、野暮のお手本のような「浅黄裏(武士)」、「僧侶」「老人」から冷やかしの客「素見」まで、多士済々。
とにもかくにも吉原は、昼も夜もそれはそれは賑やかなものだったようです。
(『吉原の江戸川柳はおもしろい』より抜粋)