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人材投資が少ないのはなぜか? データで読み解く日本経済の弱点 宮川努『生産性とは何か』より

記事:筑摩書房

original image: Cristina Conti / stock.adobe.com
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国民経済計算の中に含まれない無形資産投資は、どれも重要だが、日本の場合は特に企業特殊的人的資本投資、いわゆる人材投資の動向が問題である。この企業特殊的人的資本投資は、企業が研修などで実施する人材育成投資の一部である。企業の人材育成投資は、業務時間内に先輩から業務の効率的な進め方や製造技術を学ぶon the job training (OJT)と業務時間外に、業務と関わりのある専門知識について学ぶoff the job training に大別することができる。欧米ではあまりOJTは普及しておらず、またデータとしても把握しにくいため、ここでの人材育成投資は、後者のoff the job training を対象としている。

図1を見るとわかるように、日本はこの人材育成投資の部分が、他の先進国と比べて極めて低い。日本におけるこの人材育成投資のピークは、バブルが崩壊した直後の1991年であった。その後徐々に低下し、1997年、1998年の金融危機を経ると一層減少が大きくなった。この結果2015年の人材育成投資額は、ピーク時のわずか16%になっている。

図1 人材投資/GDP 比率 国民経済計算、JIP 2015(一部宮川簡易推計)及びINTAN-Invest databaseより作成
図1 人材投資/GDP 比率 国民経済計算、JIP 2015(一部宮川簡易推計)及びINTAN-Invest databaseより作成

日本の経営者は機会があるごとに、武田信玄の名言とされている「人は石垣、人は城、人は堀」を真似るかのように、「わが社の強みは人材だ」とか「人材こそすべて」などと人材の重要性を強調していたのにこれはどうしたことだろうか。残念ながら、バブル崩壊後の企業は生き延びるためになりふりかまっていられなかったのだろう。人材育成を必要としない非正規雇用を急速に増やし、少しでも費用を節減するために研修費を減らしていった。

これに対して日本では、伝統的に仕事の現場で育成を行うon the job training が中心なのだから、off the job training が少なくても大丈夫だという反論もあるかもしれない。例えば、猪木(2016)は、綿密な工場現場での調査をもとに、OJTの重要性を説いている。確かに筆者が行った調査では、日本企業は就業時間の10%程度をon the jobtraining にあてている。したがってこの期間に支払われている賃金を、研修費相当として換算すれば、日本の人材育成費は先進国間でも見劣りのしないものになる。

しかし、私も社会人時代に経験したが、on the job training は、これまでの仕事をより手際よく遂行する術を学ぶには適しているが、新しい技術やビジネス・モデルを学ぶことはできない。さらに(独)経済産業研究所の森川正之副所長の研究が示すように、サービス業では製造業よりもoff the job training が生産性を向上させる度合いが大きくなっている(森川、2018)。戦国時代、武田の騎馬隊は最強と謳われたが、長篠の戦いで鉄砲を中心とした革新的な戦術に大敗する。残念ながら既存技術の継承だけでは組織や国を守ることはできないのである。

無形資産投資は他の革新的投資と連動することで生産性の向上に寄与する。しかし、日本の場合はIT投資が堅調な増加を示しているのに対し、人材投資は全く逆方向の動きを示している。この点は研究開発投資と人材投資との関係についても同様である。しかし、ほとんどの先進国ではIT投資や研究開発投資の増加とともに、人材投資や組織改革投資を増やしている。この点が先進国の中でも日本の生産性上昇率がひときわ低い一因と言えよう。

もっとも日本にも不運な点はある。IT革命が起きた1990年代後半期に金融危機が起き、人材育成投資をはじめとする多くの無形資産投資を削らなくてはならなくなったからだ。同様のことは、世界金融危機後の先進国で一様に起きており、図1で2000年代後半からの人材投資が減少している理由は、世界金融危機以降の減少が影響しているからである。このことは、日本における無形資産投資の傾向が日本特殊的なものではなく、担保になりにくいため資金調達の手段としても有用ではないという無形資産の特徴から、金融危機時には大きく削減されるという、資産の特殊性によるものであることを示している。

しかし、このことは必ずしも20年の長期にわたって、無形資産投資、特に人材投資を怠ってきた言い訳にはならないだろう。バブル崩壊後の日本では、その直後に不良債権処理をするという選択肢もあった。そうすれば財政赤字を積み上げることなく、新しい産業の振興に政府支出を集中する余裕もあっただろう。また金融機関も不良債権の制約にしばられることなく、新規事業に資金を投入することができたかもしれない。またたとえ1997年、1998年に金融危機が起きたとしても、同時期に通貨危機に見舞われ、一時はIMFの管理下に入った韓国が、その後急速に構造改革を行い、2000年代には世界で有数のハイテク国家になったことを考えれば、日本が歩んだ道は、あまりに世界の動向からかけ離れていたと言わざるを得ない。

参考文献
猪木武徳(2016)『増補 学校と工場──二十世紀日本の人的資源』ちくま学芸文庫
森川正之(2018)「企業の教育訓練投資と生産性」RIETI Discussion Paper Series 18-J-021.

(『生産性とは何か』より抜粋)

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