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原発問題について、科学でもなく、経済学でもなく、哲学が果たすべき役割とは? 國分功一郎『原子力時代における哲学』

記事:晶文社

死刑になったソクラテス

 大学で学生に哲学を講ずる際、いつも言っていることがあります。哲学者というと、机の前に座って本ばかり読んで、浮世のことなんか知らない常識外れの人みたいなイメージがあるかもしれないけれど、実際の哲学者はそれとは正反対だということです。その際に思い起こさねばならないのは、哲学の出発点にいる人です。現在の書き物としての哲学を始めたプラトンです。

 プラトンはその師匠であるソクラテスを死刑によって失いました。ソクラテスはアテナイで市民達と問答を重ねていた。自分からは積極的なテーゼを出さず、相手の言っていることを矛盾に追い込み、相手が実は何も分かっていないということを白日の下にさらすというのがそのやり方でした。その結果、一部の者から恨みを買い、若者を堕落させている、神を敬っていないという理由で告訴されてしまいます。裁判の判決はアテナイ市民による投票で決められることになっていましたが、聴衆にこびることを知らないソクラテスはいつものように豪快に演説し、結局、死刑になってしまいます。
プラトンはそれに強いショックを受け、ソクラテスの言葉を自分が書き記すという仕方で哲学の書物を書いていきました。裁判でのソクラテスの演説は『ソクラテスの弁明』として記され、刑に臨むに当たってのその決意は『クリトン』に、刑死当日のその姿は『パイドン』に描かれています。

真理を語る者は殺される

 プラトンという人は一人で哲学を作り上げてしまった人、あるいは少なくとも、その後の哲学のあり方を決定づけてしまった人です。ところが、おもしろいことにプラトンという人の本はどれも「対話篇(へん)」という形で書かれていて、いわゆる論文調ではありません。ソクラテスを主人公とした一種の戯曲であって、その中にたとえばクリトンが出てきて彼と話をしたりするのです。どうしてこんな書き方をしたのでしょうか? 哲学の出発点にある書物群が対話篇であるというのは、思えば大変不思議なことです。

 プラトンが対話篇という形式で書いた理由については厖大な研究があると思いますが、こんな仮説を考えてみることができると思います。プラトンはソクラテスのような仕方で哲学をすれば自分も殺されてしまうかもしれないと考えていたのではないでしょうか。哲学者としてプラトンは真理を探究し、真理を語り、教えねばならない。しかし、真理を語る者はしばしば殺されてしまう。ならば殺されないように哲学しなければならない。真理を語りつつも殺されないようにすること──これこそが、プラトンによって開始された哲学に、当初からつきまとっていた課題ではないか。

一人の例外的人物

 真理は必ずしも人を喜ばせません。いや、真理はむしろ嫌がられる。特に権力によって嫌がられる。真理は世の中の権力構造を支えている様々な欺瞞(ぎまん)を暴いてしまうからです。その意味で、哲学は必ず世の中と衝突するのです。哲学者というのはそういうことをしている人たちです。世の中を警戒し、しかし、真理を探求する。そうでなければ生き残れません。だから哲学者は常に発言の仕方を工夫しているのです。浮き世のことを知りつつ、その大勢に抗いつつ、真理を探究し、様々な工夫の積み重ねの中で世に自らの思想を問う……。

 ならば、一九五〇年代に着々と進行していった事態(*編注:「Atoms for Peace」に代表される、核兵器には反対だが平和利用は進めるべきという思潮)に対しても、哲学はもっと強く反応すべきだったのではないでしょうか。核兵器が絶対的に否定される一方で、「原子力の平和利用」が大勢によって受け入れられていた、そんな状況の中で、哲学は単なる核兵器の否定に安住するのではなく、その背後で動いている危険な動き、しかも好意的に受け止められている動きにもっと敏感に反応すべきだったのではないでしょうか。僕は相当詳しく調べましたが、「一九五〇年代の思想」に対して敏感に反応した哲学者というのはほとんどいません。アレントのような反応ですら極めて貴重なものです。

 しかし、一人だけ例外的な人物がいました。「一九五〇年代の思想」に、まさしく哲学者的嗅覚をもって反応した人物がいました。

 その人物こそ、マルティン・ハイデッガーに他なりません。
(『原子力時代における哲学』より抜粋)

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