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第41回サントリー学芸賞受賞! 桑木野幸司『ルネサンス庭園の精神史』に寄せて

「見せかけ」の世界

 イタリア・ルネサンスの美術は「見せかけ」の世界だ。

 たとえば、十四世紀に建設されたフィレンツェの政庁舎ヴェッキオ宮殿。十五世紀に都市の政治の場となった「百合の間」から、画家ギルランダイオや彫刻家ドナテッロの作品を横目に、そのすぐ脇に開いた扉をくぐってみよう。中央には巨大な地球儀、四方の壁には戸棚が設置され、そこに世界各地の地図五十三枚を展示する、不思議な部屋に入ることができる。その内装から「地図の間」と呼ばれるこの小部屋は、十六世紀の改築時に新たに建設された空間だ。

 現在部屋に残る地図のほか、往時は天井に星座が描かれ、天井内に格納された地球儀と天球儀が降りてくるからくり仕掛けが施されていた。また、戸棚の上と壁面上部には著名人の肖像をずらりと並べ、戸棚の足元には動植物画を配置する計画だったという。これらの内装デザインからは、この小部屋に宇宙のすべてを詰め込もうとする気概が感じられる。それもそのはず、この部屋はもともと「宇宙論の間」と名付けられる予定だったのだ。もちろん、戸棚のなかにはトスカーナ大公自慢の美術工芸品コレクションが収納されていた。

 こうしたコレクション陳列室の内装には、大公の権力表象が認められる。この小部屋に入り、一部屋に凝縮された世界のエッセンスを眺める者は、大公の「すべてを手に入れたい」という野望を嫌でも感じたことだろう。たとえ絵画で再現されたものであっても、世界全体を一望できる場所は、その占有をあらわす表象として機能した。見ることとはすなわち支配することなのだ。ルネサンス君主を描いた肖像画の背景にその領地の風景が描かれているのも、ヴァチカン宮殿にやはり地図の絵ばかり集めたギャラリーがあるのも、同じ理由による。

 だからこそ、ルネサンスの文化的営為の産物においては、「見せかけ」が非常に重要となる。それはつまり、鑑賞者はそれに応じたまなざしを養わなくてはならないということでもある。庭園はその最たる例だ。このたび桑木野幸司氏が上梓される『ルネサンス庭園の精神史』を繙けば、庭園という場において、郊外の自然風景を愛でるという原始的な欲求から、やがて巧妙に配置された噴水やグロッタで演出されるシンボリックな意味体系が出来上がってゆく、その背景が理解されるだろう。

桑木野幸司『ルネサンス庭園の精神史 権力と知と美のメディア空間』(白水社)口絵写真より
桑木野幸司『ルネサンス庭園の精神史 権力と知と美のメディア空間』(白水社)口絵写真より

まなざしのコード

 また読者は、十五〜十六世紀を代表するさまざまな庭園にいざなわれるうちに、そうした庭の演出に込められた意味を読み取るための「まなざしのコード」を少しずつ獲得する。庭全体を通して展開されている神話体系の選択、庭の軸線の延長線上にあるもの、古代の庭園文化の参照、そうしたものに目を配ることで、庭園の主の関心や意図が見えてくるのだ。

 一方、見るべきものがあるということは、見てはならないものもある。ローマのヴィッラ・ファルネジーナの庭園で催された饗宴では、使い終わった銀器を洗わずにテヴェレ川に投げ捨てて客人を驚かせたが、じつはその銀器はあとで網を使って掬い取っていたという。このとき客は主の鷹揚さに驚かなくてはならないし、その後の行動は見て見ぬふりをする者が「良き客」とみなされたことだろう。また、トスカーナ大公フランチェスコ一世は庭園に施したさまざまな仕掛けで訪問客をびしょ濡れにする趣味があったようだが、ここでも客は、たとえ水が噴き出す仕掛けに気づいたとしても、大人しくびしょ濡れになっておくのがマナーだったと推測される。

 こうしたまなざしのコードは、庭園のみならず初期近代のさまざまな視覚文化に接する際に有用だ。たとえば、十六世紀イタリア宮廷における人物のふるまい。ルネサンスの宮廷人はつねに優雅であることを求められるが、その優雅さを演出するコツとは、「技巧が表にあらわれないようにして、なんの苦もなく、あたかも考えもせずに言動がなされたように見せる」というところにある。美術の領域にも同様のまなざしが注がれた。絵画や彫刻における技巧について、高度なテクニックが必要なところでも、その苦労を感じさせないように、できるだけさりげなくそれを行っている作品が、優雅でよいとされていたのだ。

 このような、「見ること」が中心にあった文化で、所有物を目に見えないところに隠すのは許されない。本書では、庭園の主は招いた客のみに庭を見せるのではなく、それを広く一般公開することが求められたという、「庭の掟」についても語られる。そのために、多くの庭園は正面玄関とは別に、庭に直接アクセスできる小さな入り口が用意してあったのだという。こうした習慣は、初期ルネサンスの画家ウッチェロが自分の絵画を完成するまで隠しておいたという話や、マニエリスムの画家ポントルモが自宅に引きこもって客人の訪問を歓迎しなかったという話が、十六世紀後半に奇矯の画家として反面教師のように語られるようになるのと、表裏一体の関係にあるように思われる。

 見ることと見られることの力関係を理解することで、イタリア・ルネサンス視覚文化の楽しみ方はぐっと深くなる。『ルネサンス庭園の精神史』は初期近代の庭園文化に関する知見だけでなく、ルネサンス文化全般についての解像度を上げてくれるはずだ。

【「パブリッシャーズ・レビュー 白水社の本棚」より転載】

桑木野幸司『ルネサンス庭園の精神史 権力と知と美のメディア空間』(白水社)口絵写真より
桑木野幸司『ルネサンス庭園の精神史 権力と知と美のメディア空間』(白水社)口絵写真より

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