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歪められた日本古代史を掘り起こす古代通史が完結 「古代の地平を拓く」

記事:ミネルヴァ書房

「記紀」による古代史の虚構とは

 かつてこの国に、千余年もの歴史をねじ曲げたり、消したり、でっち上げたりした一団が存在した。その歴史改竄の手口は、手っ取り早い方法を採っているだけに、極めて荒っぽい。

 その手口とは、こうだ。まず暴力をもって、このやり方に異を唱える者を、この世からことごとく排除した。ついで、それまでの歴史の大半を消すために、おびただしい歴史書やその他の史料を、「焼却」という非情な手段によって、やはりこの地上から葬り去った。

 そうしておいて、更地となったその跡に、偽装した“自家の輝ける歴史”を無遠慮に展示して、傲慢にも、これが真実だと声高に言い募ったのである。要するに、“歴史の捏造”である。“歴史の捏造”とは、言い換えれば、“歴史の私物化”である。

 この“歴史の私物化”は、それが決して見破られないように、多方面にわたって、細心の注意を払っているだけに、始末が悪い。この一団のやった“新しい歴史作り”は、中途半端ではない。こうして、驚天動地、空前絶後の蛮行は信じがたいことに、大成功を収めてしまった。

 これほど常軌を逸したことのできる一団は、その性格の面で、常人とはまるで違っていた。まず、恥も外聞もない。一々、そんな瑣末なことに、心を砕いてはいなかった。その念頭を占拠していた願望とは、ひたすら“自家の輝ける歴史”だけである。そのためであれば、多大の心血を注ぐことを惜しまなかった。いまだに続いているその影響も、この一団の“熱意と執念のたまもの”なのである。それだけこの一団の結束は、強固であった。

 「大和朝廷」の初代天皇である神武の実在が怪しいのも、「倭の五王」がどの朝廷の大王なのか、サッパリ分からないのも、すべて、この“歴史の私物化”に起因している。日本列島を長期にわたって支配した狗奴国。その狗奴国を倒して、その跡を襲った邪馬壹国。古代史解明には欠かせない、いずれの国家も、この“歴史の私物化”によって、根こそぎ抹消されている。邪馬壹国の所在地を巡って大混乱が起こったのも、このためである。

 この一団の正体と、“歴史の私物化”の手口を解明し、その動機を突き止める。いつしか、これが、わたしの「謎解き」の最終目標へと変わっていった。一つの謎が解ける。そこから、新しい世界が開けてくる。その繰り返しで、最終的に到達したところが、ここだった。まさしく継続は力である。『古事記』『日本書紀』による歴史の虚構を暴く。同時に、その犯罪を白日の下に明らかにする。ここまで手を付けなければ、日本古代の「謎解き」は完結したとは言えないのである。(『九州王朝の盛衰と天武天皇』「はじめに」より)

「削偽定実」の波紋を読み解く

 国民の誰が読んでも分かりやすいように、歴史事実を丁寧に、かつ正確に記述したい。わたしも、常に心掛けてきた執筆態度である。しかし、『日本書紀』は違った。この「歴史書」は、そんな謙虚な姿勢で著されてはいなかった。「削偽定実」による“虚構の強権的押しつけ”。これが、『紀』の本質だ。この本質を、天武一族は総力を上げて、ひたすら守ろうとした。その血眼になって進められた政治的方策の集積が、“史実隠し”を目的とした五大事業だった。

 その結果、天武一族の統治する国は、木の葉が沈み、石が浮く国へ、時計の針が左へ回り始め、太陽が西から昇ってくる国へと、すっかり変わり果ててしまった。『紀』の完成を機に、国民は二度と歴史真実を語ることを厳しく禁じられ、他の国には例を見ない不幸が訪れた。

 こんなあくどい手口が、外国に通用するはずがない。中国には『史記』以来、真実を徹底的に発掘し、記録するという歴史書編纂の伝統がある。それなのに、唐側から日本の歴史を尋ねられた「大和朝廷」の使節の態度は、尊大であるばかりか、本当のことを説明しなかったという。“「削偽定実」によって大きく歪められた日本の歴史”を、外国でも堂々と主張していたのである。中国人の日本の使節を見る眼が、冷ややかだったのも、当然の結果である。

 唐は「邪馬壹国」も、邪馬壹国の大王である「倭の五王」も認識している。その認識に基づいての質問である。それなのに、明確に回答しなかったというのだから、ここに、「大和朝廷」の遣唐使に対する厳命を読み取ることができる。“わが国の真実の歴史は、『日本書紀』のみ”という「大和朝廷」のこの姿勢は、国外でも貫かれていた。日本の歴史の真実を語ることを、堅く禁じていたのである。

 元明期における七一三年の遣唐使は、現地において、すでに二度も赤っ恥をかいている。ここでも、「大和朝廷」は、それ以上に赤っ恥をかいていたことになる。それでもなお強引に、『日本書紀』の「偽装歴史」を守ろうとしたのである。すでに国内において、激しい弾圧によって、“歴史事実潰し”に躍起になっていた「大和朝廷」のことである。中国に対する尊大な態度も、その延長線上での対応に過ぎなかっただけなのである。(中略)

 同じ偽装工作であっても、『日本書紀』は、国家権力の手になる。国民を欺くことにおいては、その本質は共通しても、その規模となると、まるで異なる。「大衆は小さな嘘より、大きな嘘にだまされやすい」(A・ヒトラー)。一つの真理である。時間が経過するにつれて、事実を知る者がいなくなるため、悪事は次第に見えにくくなる。さらに時間が経過すると、国家権力がこんな悪事を働くはずがないという思い込みが、国民の間に広く浸透し、虚妄が事実として定着するに至る。(『九州王朝の盛衰と天武天皇』第十章より)

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