困難の中で勝利を信じた男たちの軌跡 『古代ローマ名将列伝』
記事:白水社
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現代の基準で見れば、ローマの軍司令官は全員が基本的にアマチュアの軍人ということになる。ほとんどの者にとって、従軍期間は経歴の一部でしかない。通常は成人してからの人生の半分以下の期間である。誰も軍司令官になるための公式の訓練を受けておらず、政治的成功に基づいて任命される。その政治的成功は、大部分が生まれと富に依存していた。人生の大半を将校として勤めたベリサリウスのような人物でさえ、ユスティニアヌス帝に忠実に仕えたことが認められて軍司令官に昇進したのであり、体系化された訓練と人選のシステムを通して昇進していったわけではない。
ローマ史上のどの時代にも、軍司令官とその部下になる上級将校を養成する士官学校にいくらかでも似たものは、存在したことがない。軍事理論書がはやった時代はあったが、その多くは細部を扱わない、教練教則本のようなものだった(何世紀も前に時代遅れになっていた、ヘレニズム時代の歩兵密集陣の機動について記述したものも多かった)。ローマの将軍の何人かは、そうした作品を読むだけで軍司令官になる準備をしたとみられているが、この方法が最も良い学び方だと考えられたことはなかった。ローマ貴族は、いかに軍を指揮するかを、政界でどうふるまうべきかと同様、他者を観察することと、下の地位にいる間の個人的経験から学ぶことになっていた。
現代人の目から見れば、政治的影響力に基づいて将軍が選ばれるというのは、彼らがいつ軍司令官になってもその職務を全うできる十分な知識を持っているだろうと決めてかかっているわけで、あまりにもでたらめで非能率的なように思える。ローマの将軍たちの才能はごく限られていたと考えられることがよくある。二十世紀にはフラー少将が、ローマの将軍たちをせいぜい「教練係教官」とみなし、メッサーは彼らのレヴェルはほぼ一貫して凡庸だったと断言している(たぶんここは、「途方もなく軋轢の多い戦争というものにおいては、凡庸でさえ偉業である」というモルトケの言葉を思い出すべきであろう)。
何世紀にもわたるローマ軍の否定しようのない成功は、将軍たちゆえではなく、そんな将軍たちにもかかわらず達成されたのだとしばしば言われる。軍団の戦術体系は多くの場合、軍司令官ではなく、より下級の将校に多くの責任を負わせるようにできていたと解説されている。なかでも最も重要なのが百人隊長で、きわめてプロフェッショナルだったゆえによい仕事をしたのだと見られている。ときおりスキピオやカエサルのような、典型的な貴族将軍よりもはるかに才能に恵まれた人物が登場するが、彼らの技術は天才の表れであって、他者が模倣できるものではなかったというのだ。そうすると本書に登場するのは、そのような並外れた者たち、大多数の役に立たないまったく無能な者たちと並んでローマのシステムが生み出した、ごくごく少数の真に熟達した軍司令官たちということになろう。
しかし、史料を丹念に吟味してみれば、このような通念の大部分が、せいぜい誇張、多くはたんなる誤りであることがわかる。将軍から権力を奪うどころか、ローマの戦術体系は将軍に権力を集中していた。百人隊長のような下級将校は確かにきわめて重要な役割を果たしたが、軍司令官を頂点とするヒエラルキーにはめ込まれて、軍司令官による支配を弱めるのではなく強化するのに役立っていたのである。
何人かの軍司令官は確かに他より優れた仕事をしたが、戦役中のスキピオ、マリウスあるいはカエサルの活動は、その同時代人たちと根本的に異なっていたようには見えない。ローマの最も優れた将軍たちは、本質的に他の貴族たちと同じやり方で自分の軍を導き、動かしていたのであり、違いはおもにそれを実行する技術にあった。ほとんどの時代、ローマの平均的な軍司令官の水準は、公式の訓練がまったくなかったにもかかわらず、実のところかなり高かった。ローマ史上のどの時代にも、軍団に避けられたはずの惨敗をさせた無能な軍司令官たちがいたが、そんなことは世界史上のどの軍隊についても言える。