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『哲学と宗教全史』出口治明さん 「丸ごと世界を理解しよう」

記事:じんぶん堂企画室

立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さん
立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さん

――『哲学と宗教全史』を読みました。450ページを超える大作です。古代ギリシャから現代まで哲学と宗教の歴史を書いています。

 「民主主義と技術の進歩」は世界共通の潮流だと思います。民主主義はすばらしい制度ですが、共同体を個人に分断するベクトルが働く。技術の進歩もそうです。昔は職場に行かないと仕事ができなかったのが、今はパソコンを使って家でもできる。メリットの方が圧倒的に大きいのですが、極端に言えば、顔を見ない人と仕事をしているわけで、これも共同体から個人を分断化する方向に圧力が働く。社会が分断化、細分化する方向に向かっているからこそ、「でも全体から見たらどうなんや?」と考えることが役に立つ。では、過去に世界を丸ごと理解しようとした人はどういう人たちだったのか、といえば、それは哲学者であり、宗教家です。

――3000年に及ぶ歴史を通して見ると、いろいろな発見や気づきがありますね。

 まるごと見るという意味では、一人の人間が書いた「通史」は面白いですね。子どもの頃、インドのネルー元首相が書いた『父が子に語る世界歴史』(みすず書房)やハーバート・ジョージ・ウェルズの『世界史概観』(岩波新書)を読んで感銘を受けました。たまたま僕も歴史が好きだったので、歴史についての本も書くようになりました。世界史については『全世界史 上・下』(新潮文庫)を書きましたし、今は『週刊文春』で日本史の連載を持っています。

歴史は科学だと思っている

――「歴史文学」という言葉があるように、歴史を文学ととらえる人もいます。

 僕は、歴史は科学だと思っています。科学なので大切なのは「数字、ファクト、ロジック」。この本に書いたことも、全部、裏をとりました。最新の研究を調べて、あやふやなところは専門家の先生たちに聞いて確認し、現在の段階で僕の能力で確認しうる限りのファクトをベースに書いています。だからこの本には、僕の解釈や考えは入っていませんし、もちろん、今後、「数字、ファクト、ロジック」で反証される部分があれば、喜んで修正していきます。

 「数字、ファクト、ロジック」を大切にするのは、ビジネスの場でも同じです。それらに基づかない議論をされても「あ、そうですか」と聞き流しています。時間の無駄ですし、成果は出ませんから。余談になりますが、「数字、ファクト、ロジック」に基づかない議論が多いことが、この国の経済がうまくいかない理由だと思います。

――AI時代だからこそ、ビジネスパーソンも人文系の本を読めという声があります。

 どんな商売もビジネスも、人間や人間がつくった社会を相手にするものです。ノウハウやスキル以前に、人間はどういう存在で、その人間が作る社会とはどういうものなのか、人間はなんのために生きているのか、といった基本を理解していないと、うまくいきません。自然科学も人文科学も人間や社会を理解するために必要です。根本を考えないで、表面的なことを学んでも役に立ちません。基礎工事をしないで家を建てるようなものです。

安易に「答え」を求めない

――そもそも、ビジネス書って役に立つんでしょうか?

 人間の社会で常に正しい答えはありません。人間や社会の本質を知らないで、正しい答えを安易に求めても、それは畳の上の水練のようなものです。例えば、朝、上司に会ったら明るい声で「おはようございます」と言えと書いてあっても、上司にこっぴどく叱られた次の日の朝に明るくふるまったら、上司は「こいつ、何も反省してへんな」と思うわけです。要は、そう書いてあるからといって、そのまま実行してもうまくいくわけじゃありません。全ては文脈のなかでどうとらえるのか、ということになるんだろうと思います。

 スマホは毎年、どんどん新しい機種が出ています。いろいろな新しい機能もついて、スマホでできることもどんどん変わっていきます。世の中の変化のスピードが速くなっているということは、すぐに役立つスキルやテクニック、学問は、すぐに陳腐化して役に立たなくなるということです。プログラミング教育が必要だといっても、いま学んでいるプログラミングは10年もしないうちに役に立たなくなるでしょう。変化の激しい時代だからこそ、物事の本質を極める探求力、問いを立てる力が重要になっている。今こそ長年にわたって読み継がれてきた古典を読むといいと思います。並のビジネス書を100冊読んでも古典1冊には及びません。

――ビジネスパーソンにおすすめの古典はありますか?

 山ほどありますよ。歴史や人間社会の本質を理解しようと思ったらダーウィンがいいかもしれない。人間や生物の基本原理は「運」と「適応」であることがわかるでしょう。数字、ファクト、ロジックで考えたいのであれば、デカルトの『方法序説』がいいだろうし、新しくリーダーになった人には『貞観政要(ぢょうがんせいよう)』がいい。でも、その人がいまどんな状況で、何に興味があって、何を学びたいかによって「いい本」は変わってきます。

難しく書いてる本はアホや!

――古典を読むことに抵抗がある人は少なくない……。

 僕は京都大学で国際政治学者の高坂正堯(こうさか・まさたか)先生に次のように教わりました。「古典は難しい。だから古典を読んでわからなければ。君らはアホやいうことやから、はよ就職しいや」。古典が難しいのは、当時の背景を知らないと正しく理解できないからです。例えば、「桜」と書いてあると、私たちは千鳥ヶ淵や上野公園のソメイヨシノを思い浮かべますが、ソメイヨシノは江戸時代末期にできた新しい品種。万葉集で歌われている桜ではありません。一方で、先生はこうもおっしゃっていました。現代人が書いたものを読んでわからなければ、それは書いた本人が本当に物事をわかっていないか、あるいは、わざと難しい言葉を使って「自分は偉いんや」と威張っているかのどっちかで、どちらにしてもろくなものじゃない。今生きている人の話を聞いたり、書いたりしたものを読んでわからなければ、それは相手がアホやと思いなさいと――。

(聞き手 土屋敦(書評サイト「HONZ」創刊編集長)、構成 海老原由紀、写真 時津剛)

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