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保守が「自衛隊の武力行使」に絶対反対する理由 『定本 後藤田正晴』より

記事:筑摩書房

original image:akiyoko / stock.adobe.com
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 平成二年の暮れに、後藤田は、日本は国際的環境のなかで何もしないというわけではない、だが問題はその手段にある、軍事での協力は一切すべきでない、と説いた。当時の後藤田の発言は、論理が一貫していた。たとえば、次のような意見を吐いた。

 「よく憲法を守りさえすれば国はなくなってもいいのか、とそんな愚かな議論を持ちだす人がおるんだな。そうじゃないんで、憲法というのはもちろん国のためにある。しかし現在、国の将来を考えた場合、やはりいまの憲法で定まっている平和主義を守っていくことが、これから先の日本にとっても、国民にとっても、賢明な道ではないか、と考えている」

 「軍事力を強化することによって、それが強国のあらわれだなんていう考え方は、かえって逆なんじゃないか。武力を持っている国が、現在でも強国ですよ。その意味においては日本は強国じゃない。だけど、その強国への道が武力だけであったという時代は、もうだんだん変わってきているのではないか。経済力というものが大きな力になってきつつある。そのへんの変化もやっぱりみなきゃいけないんじゃないか」

 「国連協力といっても、平和主義に立つ日本の国是をきちんと守ったうえで最大限やればいい。そうなると、むしろ私が言いたいのは、国連の平和維持活動(PKO)への参加ですね。これなら人も物も金も出したらいい」

 後藤田は、いかなる形にせよ軍事要員の海外派遣、そして武力行使には反対というのであった。これはむしろ社会党などよりもはっきりとしていた。ある評論家が、後藤田氏は社会党の委員長になればいい、と皮肉ったほどだった。だが後藤田と社会党のもっとも大きな違いは、戦後の歴史を言論だけでしかつくりえなかった社会党に対し──つまり戦後社会に何ひとつ「事実」というものをつくりだせなかったということだが──後藤田はその行動において「事実」をつくり、それを現実社会に定着させてきたことだった。それゆえに、後藤田の発言は重みを持った。

 PKO法案の審議は、衆議院でも難航した。当初は外務大臣も、外務省当局も、細部になると混乱した答弁をくり返した。国際貢献をするという旗を掲げたものの、あとはそれの辻褄合わせをしているからだった。後藤田の述懐である。

 「海部内閣であの法案が出て、さあ前線、後方の区別をしてみろとか、危ないところには行かないなら、どこまで行くんだ、という質問にまったく支離滅裂な答弁しかできなかった。それで廃案になった。あれでは廃案になって当然だ、と私は思いましたね」

 その後、PKO法案は再度、上程され、海部内閣につづく宮沢喜一内閣になって成立した。平成三年十二月のことだった。後藤田は、国内法の改正を行ったうえでという前提でなら認めるとして、この経緯を見守った。その折り、以前の総務会で後藤田の質問に答えた外務省幹部が、後藤田のもとにやってきて国内法の改正を説明していったが、後藤田は、かつてのやりとりを確かめてみた。

 「自民党の総務会で、僕がPKOだろうな、と言ったら、君は、はいそうです、と答えたな」

 「はい、そのとおりです」

 「あのときPKOを知っていたのか、知らなかったのか、それとも噓をついたのか、どれだ」

 「まことに申しわけなかったのですが、主管局は別として、PKOというのは私どもにはわからなかったのです」

 後藤田は、PKOについて当時は外務省も詳細には調べていなかった、ということがわかった。この幹部の答えも、それを正直にあらわしていた。後藤田は、PKFもPKOの中の一形態だ、PKFは自衛のためには武力行使を認めている、だから一口にPKOといっても問題があるよ、と念をおした。

 自衛隊の装備や人員を動かすにあたっては、既存の法律を拡大解釈してなし崩しに合理化させることに、後藤田は反対した。どんなささいなことでも、法律改正および立法措置をとることなしに行ってはいけないというのであった。

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