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第3次AIブームに問う「人間とは何か」 『意識的な行動の無意識的な理由』

記事:創元社

『意識的な行動の無意識的な理由』(創元社)
『意識的な行動の無意識的な理由』(創元社)

休憩のタイミングが判決を左右する

 「ネイチャー」「サイエンス」と並ぶ世界最高峰の科学雑誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載された論文から一つ興味深い研究をご紹介しよう。この研究では、イスラエルでの裁判官の判決が分析された。具体的には、受刑者の仮釈放の申請を認めるかどうかの判決の分析である。裁判官は、仮釈放の申請を次々に聞いて、それを認めるかどうかを判断する。50日にわたる8人の裁判官による判決と、判決の前の食事休憩のタイミングとの関係が検討された結果、一日の最初では65%程度の割合で仮釈放の判決を下すが、判断が続くにつれて仮釈放を認める割合は0に近づくことが明らかになった。そして、食事休憩の後にはまた65%程度に回復した。

イスラエルでの裁判官の判決を分析したところ、裁判官が仮釈放の判決を下す割合は、判断が続くにつれて0に近づき、休憩後にはまた上昇するという傾向を示した
イスラエルでの裁判官の判決を分析したところ、裁判官が仮釈放の判決を下す割合は、判断が続くにつれて0に近づき、休憩後にはまた上昇するという傾向を示した

 この結果を見ると、裁判官の判決のような、高度に意識的で理性的と考えられる活動も、休憩のタイミングという外的な要因に左右されていることが示唆される。心理学では、人間の「心」の働きのうち、物事を認識したり考えたりする働きを「認知」と呼ぶ。そして、この人間の認知機能を研究する心理学の分野が「認知心理学」である。認知心理学では、知覚、記憶、推論、言語などの高次認知機能を研究テーマにしており、いわば最も人間らしい、人間に固有とされる「心」の働きの解明に取り組んでいる。

 認知心理学では、巧みに計画された行動実験を中心に、近年は脳神経科学や進化心理学の手法なども駆使して、数々の興味深い発見を報告している。これらの報告を見ていくと、どうやら人間という存在は、自分で思っているよりも、自分のことをあまりうまくコントロールできないらしい。高次認知機能は、ほとんど無意識的に、自動的に遂行されるようなのだ。

反社会的な認知をもたらす脳

 例えば、特定の認知的傾向と脳機能との関係がある。ドイツのゲーテ大学のステルツァらの研究では、攻撃的で反社会的行動を繰り返す素行障害の非行少年と、健全な少年に対し、情動を喚起するような画像と中性的な画像を提示した。その際の脳の活動状況をfMRI(機能的磁気共鳴画像法)で測定すると、非行少年群は統制群の健全な少年よりも、前帯状皮質と扁桃体に活動低下が見られたという。

図は、大脳皮質の内側に位置する大脳辺縁系の全体像を示している。大脳辺縁系には原始的・本能的な情動や学習、記憶に関わる部位が含まれており、前帯状皮質も扁桃体も、こうした重要な心理的機能を担っている
図は、大脳皮質の内側に位置する大脳辺縁系の全体像を示している。大脳辺縁系には原始的・本能的な情動や学習、記憶に関わる部位が含まれており、前帯状皮質も扁桃体も、こうした重要な心理的機能を担っている

 前帯状皮質は、認知的葛藤、意思決定などのほかに、感情的行動の制御にも関わる部位と見られることから、その活動の低下は、衝動的行動や攻撃性を高める可能性がある。一方で、扁桃体は情動の中枢や司令塔とも呼ばれる部位であり、快・不快や恐怖などの情動を規定するとされる。扁桃体が除去されたり、あるいはその活動が著しく低下したりすると、クリューバー・ビューシー症候群と呼ばれ、恐怖や不安などを感じにくくなることが知られている。つまり、扁桃体の活動低下は、情動的刺激に対する感受性が低下することを示している。素行障害の非行少年は、衝動的行動の抑制と情動的刺激の認知の両方に問題を抱えている可能性があるのだ。

生存に関わる情報は記憶されやすい

 また、人間の身体が長い進化の過程によって現在のような姿形や機能を獲得するに至っていることを考えると、人間の認知機能をはじめとした「心」も同様に進化の産物であってもおかしくはないだろう。実際、人間は、環境に適応する上で大切な情報、自らの生存に関わるような情報の処理は特に得意としているようである。

 例えば、そうした情報がどのように記憶され、処理されるのかに着目したパデュー大学のナルンらの研究では、サバイバル条件、引っ越し条件などの条件が設けられ、実験参加者には各条件に応じた状況を想定してもらった。サバイバル条件では、外国の平原でサバイバルしなければならず、捕食動物から自分の身を守り、食料や水を安定的に確保する状況を想定してもらった。引っ越し条件では、外国に引っ越すので、新しい住居を購入し、家財や持ち物を運び込む状況を想定してもらった。その上で、「山」「指」「ウィスキー」「クマ」「アパート」などの単語が次々と提示され、想定した状況において、提示された単語のものがどれほど役立つか評定してもらった。

 単語の評定の終了後、全単語の想起を求めた結果、サバイバル条件では他の条件と比べて再生率が有意に高いことが示された。つまり、生存に関連する情報は、優先的に処理され、深く記憶にとどまり続けることが示唆されたのである。こうした記憶方略は「サバイバル処理」と呼ばれ、近年の記憶研究で注目を集めている。

記憶に関わる現象は、再生と再認のどちらか一方でしか確認されないことも多いが、ナルンらの実験ではサバイバル条件の正再生率が他の条件に比べて有意に高いことが示されるとともに、サバイバル処理は再生でも再認でも確認された。なお、実験3の再認では快適さ条件は行われていない
記憶に関わる現象は、再生と再認のどちらか一方でしか確認されないことも多いが、ナルンらの実験ではサバイバル条件の正再生率が他の条件に比べて有意に高いことが示されるとともに、サバイバル処理は再生でも再認でも確認された。なお、実験3の再認では快適さ条件は行われていない

恐怖を喚起する生物は注意を引きつけやすい

 ほかにも、クモやヘビのように、恐怖感や嫌悪感を喚起する生物は、他の動物や植物とは異なり、優先的な情報処理がなされる、つまり注意を引きつけやすいことが報告されている。カロリンスカ医科大学のエーマンらは、多くの刺激画像の中からターゲットを探し出す視覚探索課題を用いて、恐怖や嫌悪的刺激であるクモやヘビが、中性的な刺激である花やキノコよりも速く検出されやすいことを明らかにした。多くの花(またはキノコ)の画像の中からクモ(またはヘビ)を見つけ出すことのほうが、それとは逆の、多くのクモ(ヘビ)の中から花(キノコ)を見つけ出すことよりも、容易であることが反応時間から示されたのである。

 恐怖に対する反応は一刻を争う。恐怖の対象に対して、速く、確実に反応することができれば、それだけ生存のチャンスは増すだろう。おそらくこうした進化上の理由からこのような情報処理が可能になっていると考えられている。

「レッドブル」は本当に翼を授ける

 ある特定のイメージが無意識的にパフォーマンスに影響を与えることを示す研究もある。「レッドブル、翼を授ける~♪」のキャッチコピーで知られる、あの清涼飲料水を取り上げた研究をご紹介しよう。論文のタイトルは「レッドブルは、良くも悪くも『翼を授ける』」。

レッドブルを飲むと、確かに眠気が吹き飛んでパフォーマンスが向上するような感じがする。レッドブルの世界的な大成功の背景には、どのような心理的メカニズムが働いているのだろうか PhotoTodos/Shutterstock.com
レッドブルを飲むと、確かに眠気が吹き飛んでパフォーマンスが向上するような感じがする。レッドブルの世界的な大成功の背景には、どのような心理的メカニズムが働いているのだろうか PhotoTodos/Shutterstock.com

 ボストン大学のブラゼルらは、カーレースのゲームを用いた実験を行った。このゲームでは車体にカスタムペイントを施すことが可能であり、レッドブルのペイントの車に加え、レッドブルと同じくらいの知名度の他のブランドのペイントの車、そしてブランドのペイントが入っていない車の計5種類が用意された。これらの車は、車体のペイント以外の性能はまったく同じに設定されていた。実験では、70人の参加者がレースのタイムトライアルに挑戦した。

 その結果、レッドブルのペイントの車を操作した場合、レッドブルの持つブランドイメージの通りのパフォーマンスが確認された。つまり、車の性能自体に違いはないにもかかわらず、レッドブルのペイントの車を走らせた場合に一番速いタイムを記録した参加者が多かった。その一方で、レッドブルのペイントの車を走らせた場合に、コースから何度も外れてしまい、一番遅いタイムを記録した参加者も同じくらい多かったのである(他の車を用いた場合にはそのような傾向は確認されず、いずれも一番速い記録から一番遅い記録までランダムにばらついていた)。

 実は、実験に先立って、それぞれのブランドの持つ印象について調査が行われており、レッドブルには「速い」「力強い」「エネルギーにあふれている」「大胆である」「好戦的である」といった印象が持たれていることが明らかになっていた。レッドブルのペイントの車が他の車を走らせた場合に比べて、速くゴールすることもあれば、コースアウトを繰り返して遅くなってしまうこともあるという結果は、まさにレッドブルに対して持たれていたイメージと重なるものだったのだ。

第3次AIブームに問う「人間とは何か」

 ここでご紹介した研究は、すべて『意識的な行動の無意識的な理由』で取り上げているものである。本書では、認知心理学の基本を解説しながら、研究の最前線から、人間の複雑で高度な認知機能の謎に迫っている。いまAI(人工知能)が第3次と言われるブームを迎えており、各種メディアでもAIという言葉に触れない日はないし、関連書籍の出版も相次いでいる。人間が行っている仕事の多くがいずれAIに奪われるとか、AIの知性が人間を上回る「技術的特異点(シンギュラリティ)」が到来するのはいつなのかとか、話題には事欠かない。

 ちょうどいまから70年前の1950年、AIの創始者の一人であるアラン・チューリングの論文「計算機械と知性」が発表された。この中でチューリングは、機械の知性が人間の知性に匹敵するものになっているかどうかを判定するテストとして「模倣ゲーム」を提案した。現在では「チューリング・テスト」として知られるこの模倣ゲームでは、ある人間が別の人間と機械の双方と会話を交わし、人間と機械の区別がつかなければ、その機械は人間と同等の知性を持つと見なされる。2014年に、歴史上、初めてこのテストをパスしたAIが登場したと報じられ、話題になった。

 この結果を懐疑的に見ている専門家も多いというが、人間と同等の知性を持つ機械の登場が現実味を帯びつつあるのは確かだろう。人間と機械の違いとは何か? そもそも人間とは何なのか? フィリップ・K・ディックがSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』でこのように問うたのは、1968年、第1次AIブームの最中だった。その前年の1967年、心理学者アーリック・ナイサーが『認知心理学』を出版し、心理学に新境地を開いた(「認知心理学(cognitive psychology)」という言葉は、この本によって広まった)。第3次AIブームを迎えているいま、「人間とは何か」という問いを考える上で、認知心理学は絶好の材料を提供してくれるだろう。

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