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世界哲学史に向けて――『世界哲学史1――古代Ⅰ 知恵から愛知へ』より【前編】

記事:筑摩書房

「世界哲学」と「世界哲学史」

 今、「世界哲学」が一つの大きなうねりとなっている。これまで西洋、つまりヨーロッパと北アメリカ中心に展開されてきた「哲学」という営みを根本から組み変え、より普遍的で多元的な哲学の営みを創出する運動、それが「世界哲学」と呼ばれる。私たちが活動する生活世界を対象とする哲学、多様な文化や伝統や言語の基盤に立つ哲学、そして、自然環境や生命や宇宙から人類を反省する哲学が、「世界哲学」の名のもとで遂行されようとしている。それは、「世界」という名を冠することで、世界に生きる私たちすべてに共有されるべき、本来の「哲学」を再生させる試みである。

 世界哲学は、まずは地球上の諸地域の哲学営為に注目する。ヨーロッパと北アメリカだけでなく、中近東、ロシア、インド、中国、韓国、日本、さらに、東南アジアやアフリカやオセアニアやラテン・アメリカやネイティヴ・アメリカなどに目を配ることで、真に世界と呼びうる視野を目指す。だが、世界とは地理的領域の拡大にとどまらない。哲学は私たちが生きる場を「世界」と呼び、地球から宇宙という万物へ、現在から過去や未来へという時間の広がりも手に入れる。したがって、世界哲学とは、哲学において世界を問い、世界という視野から哲学そのものを問い直す試みなのである。そこでは、人類・地球といった大きな視野と時間の流れから、私たちの伝統と知の可能性を見ていくことになる。

 日本の学界にとっても、世界哲学は大きな意味を持つ。明治以降に大学で整備された哲学という学問は、専門分野に分かれて個々別々に発展してきた。それぞれが専門学会をもちながら、相互の交流や共同の研究を進める状況にはなかった。だが、それらの諸分野が世界哲学という試みに結集して、現代における哲学の可能性を論じることで、日本の学問が大きく変わるのではないかと期待される。

 だが、新たな哲学はなにもない荒野から突然に生まれ出るものではない。私たちには長い歴史において培われてきた様々な哲学の伝統、その豊かな遺産がある。それらを総覧して新たな知の源泉とする努力によって、人類の叡智を結集させることができるはずである。それが世界哲学史の可能性であり、それが切り開く未来の哲学の可能性である。

 それゆえ、「世界哲学史(A History of World Philosophy)」というまだ聞き慣れない呼称は、哲学史を個別の地域や時代や伝統から解放して「世界化」する試みであると同時に、いや、それ以上に、世界哲学を「歴史化」することで具体的に展開する私たち自身の試みである。本書から始まるちくま新書「世界哲学史」のシリーズは、こういった問題意識のもとで企画されている。

「哲学史」への反省

 これまで「哲学史」は、西洋で展開された種々の思想と思想家たちを扱うのが通例であった。つまり、古代ギリシア・ローマに始まり、キリスト教中世とルネサンスを経て、近代から現代までの2600年間にわたる、西ヨーロッパと北アメリカを範囲とする哲学である。そこから外れる思想の伝統は、中国思想史やインド思想史やイスラーム思想史といった形で独立に扱われ、西洋哲学と等値される「哲学史」から区別されてきた。

 ヘーゲルは『哲学史講義』で序論の末尾に「東洋哲学」という部分を付けた。そこで中国哲学とインド哲学をごく短いながらも紹介したのは、まがりなりにも西洋以外の伝統を顧慮する態度であった。だが、それも、本論であるギリシア哲学への前置きに過ぎず、東洋への言及も基本的には原始的な思考形態という偏見から抜け出ていなかった。ヘーゲルが打ち立てた哲学史は「西洋哲学史」として理解されていたのである。

 では、西洋哲学から外れた地域と伝統は、西洋哲学との関係でどう見られてきたのか。

 キリスト教に先立つユダヤ教とムハンマド(マホメット)が7世紀に始めたイスラームでは、一神教というキリスト教との共通伝統において、西洋哲学と一定の関わりを持ってきた。両宗教が西洋哲学につねに寛容であったわけではないにしても、知的交流の歴史は長い。ユダヤ教哲学と西洋哲学との交わりでは、マイモニデス(スペイン、1135~1204)、スピノザ(オランダ、1632~1677)、レヴィナス(リトアニア、フランス、1906~1995)を代表にあげることができる。

 また、アラブ・イスラーム世界にはギリシア哲学が翻訳され、それを基盤にした独自の哲学が発展した。とりわけ、アリストテレス哲学を咀嚼して展開したアヴィセンナ(イブン=スィーナー、ペルシア、980~1037)とアヴェロエス(イブン=ルシュド、スペイン、1126~1198)は、西欧ラテン世界に導入されることで、13世紀から西洋哲学を推進する大きな力となった。これらのイスラーム哲学者が西洋哲学との関係で触れられることはあっても、哲学史の中で本格的に省みられることは多くなかった。

 また、同じキリスト教の圏内でも、ローマ帝国の分裂によってラテン語圏から分かれたギリシア語圏では、ビザンツ帝国から東欧やロシアに正教が布教され、新プラトン主義の影響が強い東方神学を形作られた。正教の伝統は、カトリックとプロテスタントが展開した西欧の哲学とは異なる要素を多く持つことから、西洋哲学から排除される傾向にある。ロシアのヴラジミール・ソロヴィヨフ(1853~1900)を代表とする独自の思想伝統は、「東洋的、オリエンタル」と形容されることが多い。

 新大陸が発見されて以来、スペイン・ポルトガルの植民地となったラテン・アメリカでは、カトリックと西洋哲学が教えられてきたが、西洋哲学史の枠内で扱われることはない。北アメリカ英語圏が、西洋哲学の一部となり独自の哲学で大きな役割を担ったのとは対照的である。だが、ラテン・アメリカ諸国はフランス・ドイツの大陸哲学の影響を受けながら、それぞれの哲学を営んできた。とりわけ、20世紀前半にアルゼンチンを訪問したスペインの哲学者オルテガ・イ・ガセット(1883~1955)の影響は大きい。その後、英米分析哲学が導入され、独自のラテン・アメリカ哲学が模索されている。

 哲学とは縁遠いように見られてきたアフリカについても、古代以来の伝統の再発見や、現代のアフリカ哲学がさかんに論じられている。フランツ・ファノン(1925~1961)を代表とする反植民地主義や反アパルトヘイト思想など、多様な可能性が注目されている。

 アジアに目を向けても、中国やインドを除けば、韓国や日本への注目はまだ大きいとは言えず、それ以外の地域、例えば、東南アジアやモンゴルや中央アジアが考慮されることはほとんどなかった。しかし、漢字を共有する文化、仏教、儒教、道教などの基盤に立つ東アジアの哲学が一体として扱われる意義は大きいはずである。

 現在私たちが生きる世界は、西洋文明の枠を越え、多様な価値観や伝統が交錯しつつ一体をなす新たな段階を迎えている。哲学を世界化して多元的な思索の可能性を探るためには、これら多くの非西洋の哲学が重要な示唆を与えてくれるはずである。

 哲学の多様性が認識される一方で、グローバル化の名の下に画一的な規準や価値観によって多様性や独自性が失われつつある状況も意識されなければならない。経済や政治の国際化だけでなく、英語によるコミュニケーションや情報管理、商業資本に乗る消費文化が世界を席巻している。哲学の世界でも、世界中の大学や教育・研究機関で「哲学」を共通の基本科目として教えているが、それは基本的に西洋哲学を指し、とりわけ現代英米の分析哲学が中核を占めている。それが唯一の、あるいは正統な哲学であるのか、世界哲学という視野から反省される。

 このような哲学史への反省において、私たちが立つ日本という位置が重要である。西洋哲学を主に19世紀半ばから導入した日本は、東アジアではいち早く西洋哲学を受容し、西田幾多郎(1870~1945)らが先導して独自の日本哲学を作り出した。他方で、古代から儒教、道教、仏教、神道といった東アジアの伝統を培ってきた背景があり、その多面性は「世界哲学史」を考え発信するポジションとして絶対である。世界哲学史の構築において、日本の視野が活かされる。
(『世界哲学史1――古代Ⅰ 知恵から愛知へ』より抜粋)

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