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世界哲学史に向けて――『世界哲学史1――古代Ⅰ 知恵から愛知へ』より【後編】

記事:筑摩書房

世界哲学史の方法

 世界哲学史はどのような方法で遂行されるのか。たんに様々な地域や時代や伝統ごとの思索を並べても、それは「阿呆の画廊」(ヘーゲル)の羅列展示に過ぎない。哲学史と呼ばれる以上、なんらかの仕方で一つの流れ、あるいはまとまりとして扱われ、哲学的意義を持たなければならない。

 それでも、西洋哲学という歴史に限れば、古代から中世、近代、現代へと一つの大きな流れを描くことができる。だが、その限定を越えた時、哲学史は一見ばらばらの像になってしまうのではないか。多くの地域や伝統に目配りしたとしても、それらを並べただけでは世界哲学史にはならない。人類の哲学営為を全体として捉えようとする世界哲学史は、どんな方法を取るべきかの問いにおいて、それ自体がきわめてチャレンジングな哲学的課題なのである。

 ここではまず、異なる伝統や思想を一つ一つ丁寧に見ていくことが基本となる。そして、それらに共通する問題意識や思考の枠組み、応答の提案などを取り出して比較しながら、歴史の文脈で検討することになる。従来の比較思想とやや異なる点があるとすると、二者か三者の間で行われる比較検討ではなく、最終的には世界という全体の文脈において比較し、共通性や独自性を確認していく仕方であろう。また、歴史という時系列に縛られなければ、思考構造を同じ土俵で共時的に比較することが可能かもしれない。井筒俊彦は『意識と本質』(1983年)で、あらたな「東洋」という哲学概念のもとで「共時的構造化」という方法を実践して、刺激的な考察を行っている。

 さらに、それら多様な哲学が「世界哲学」という視野のもとで、どのような意味を担うのかを考察する。例えば、古代ギリシア哲学は、西洋哲学の起源としてだけでなく、それを超えた多様性や可能性を担っており、イスラームや近代日本といった他の諸哲学にとっても重要な意味を担っていた。また、世界哲学としての日本哲学という課題において、日本で展開された思想が、翻訳不可能なエクセントリックさにおいてではなく、独自であるがゆえに世界で評価される哲学として再発見されるはずである。「わび、さび、もののあはれ、いき」といった言葉は、世界哲学の文脈で初めて真に哲学的な概念に鍛えられる。

 どの思想であれ、世界の人々の間で哲学として論じられるには、普遍性と合理性が必要となる。他方で、その「普遍universal」と「合理rational」という概念こそ、ギリシア哲学が生み出した遺産であるとの認識も必要である。世界哲学への挑戦は、私たちを改めて「哲学とは何か」の問いに晒すことになる。

本シリーズの意図と構成

 本シリーズ「世界哲学史」は、古代から現代までの世界哲学を全8巻で鳥瞰し、時代を特徴づける主題から、諸々の伝統を時代ごとに見ていく。それらの間には、中間地帯や相互影響、受容や伝統の形成があり、経済や科学や宗教との連携がある。それらの観点を加えることで、これまで顧みられなかった知のダイナミックな動きが再現される。世界で展開された哲学の伝統や活動を通時的に見る時、現在私たちがどこに立っているか、将来どうあるべきかへの重要なヒントが得られるはずである。人類の知の営みを新たな視野から再構築すること、それが「世界哲学史」の試みである。

 『世界哲学史』シリーズの意図を、8巻全体の構成から示しておきたい。

 本巻は哲学が成立した古代の最初期を扱う。「知恵から愛知へ」という副題のもと、人類が文明の始まりにおいて世界と魂をどう考えたのかを、紀元前2世紀まで、いくつかの地域から見ていく。文明が発生した古代オリエント、具体的にはエジプトとメソポタミアを見た上で、旧約聖書とユダヤ教に注目する。ヤスパースが「枢軸の時代」と呼んだ古代の中国とインドとギリシアという三者をそれぞれ検討する。とりわけ、西洋哲学の発祥の地とされる古代ギリシアは、時代ごとに4章に分けて検討する。最後に、アレクサンドロス大王の遠征によって直接の文化交流を生んだギリシアとインドの接点を、『ミリンダ王の問い』などから見ていく。

 第2巻では、つづく前1世紀から後6世紀頃を時代範囲として、古代後期に哲学が世界化していく様を多角的に検討する。古代ギリシアで成立した哲学はローマ世界に入り、やがてキリスト教の普及と交錯しつつヨーロッパ世界の基礎を形作る。同時期に、インドでは大乗仏教が成立し、中国では儒教の伝統が確立した。インドから伝来した仏教は中国で儒教との論争を展開し、古代文明の地ペルシアではゾロアスター教が確立する。キリスト教はギリシア語世界での伝統がビザンツをへて東方へと広まり、西方のラテン語世界ではカトリックの中世哲学が成立した。

 第3巻から中世に入り、9世紀から12世紀を中心とした世界を扱う。古代ギリシア文明とキリスト教の広がりを受け、一方ではビザンツでの東方神学の成立を、他方では西方キリスト教世界での教父哲学、修道院の発展を検討する。西洋世界はこうして12世紀に文化興隆を迎えることになる。7世紀にムハンマドが開いたイスラームでは正統と異端が分かれて、独自のイスラーム哲学が始まる。さらに、中国では仏教と道教と儒教が交錯する状況が生じ、インドで展開された形而上学が論じられる。

 第4巻は中世の末期にあたる13世紀から14世紀を扱う。スコラ哲学では、トマス・アクィナスやドゥンス・スコトゥスらが出て盛期を迎え、イスラームでもアヴィセンナやガザーリーら哲学者が活躍する。中世ユダヤ思想も重要な役割を果たす。西洋中世哲学は唯名論の登場を迎え、中国では朱子学が、日本では鎌倉仏教の諸派が成立する。

 第5巻は中世から近世に移る15世紀から17世紀の、バロックの時代を扱う。スペインではキリスト教神秘主義が興隆し、市民社会の経済倫理が重要な要素となる。ルネサンスはすべての刷新ではなく、スコラ哲学の近世的発展を含んでいた。イエズス会は中国や日本に進出して哲学交流を生み、いよいよデカルト、ホッブスらの西洋近代哲学を迎える。朝鮮思想と日本、明で展開された新しい哲学、具体的には朱子学と反朱子学などの東アジア哲学の諸相が描かれる。

 第6巻は近代の哲学を各方面で論じる。イギリス・スコットランド、フランスの啓蒙思想、アメリカでは植民地独立の思想が論じられる。そして、18世紀末にカントによる批判哲学が生まれる。同時代にはイスラームで啓蒙思想がくり広げられ、中国では清朝の哲学が、日本では江戸期の哲学が展開される。

 第7巻では自由と歴史がテーマとなり、国家意識が芽生えて西洋近代批判が始まったドイツ、進化論と功利主義が生まれたイギリスなどが論じられる。アメリカでも新世界という意識のもとでプラグマティズムが誕生する。フランスのスピリチュアリスム、インドの近代哲学、そして開国した日本の近代が扱われる。

 最後に、第8巻では、グローバル時代と呼ばれる現代の知のあり方が、多角的に検討される。分析哲学、大陸哲学という主流を見た後、ポストモダン、ジェンダー、批評といった現代の思想が論じられ、イスラーム、中国、日本など東アジアの現代が検討される。最後に、アフリカ哲学の可能性が紹介される。

 こうして全8巻の構成で世界哲学史を総覧する本シリーズは、本邦初の本格的な試みとして、今後の哲学の可能性を示すことが期待される。世界に目を配ったと言っても、まだ西洋哲学が多くの比重を占めている点は否めない。だが、私たちに共通の基盤となっている西洋哲学を介して、それに対抗し、別の可能性を開く諸々の哲学を視野に収めることで、初めて世界哲学への可能性が開かれると考えている。世界哲学と世界哲学史の試みが今後どのような役割を果たすのか、本『世界哲学史』シリーズはその出発点となるはずである。
(『世界哲学史1――古代Ⅰ 知恵から愛知へ』より抜粋)

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