『100語でわかる遺伝学』 ゲノムの「あそび」に希望を抱く
記事:白水社
記事:白水社
今日のゲノム研究には「新たな石油」とも評せられる熱狂が渦巻いている。そうしたゲノム研究からは、大いなる希望だけでなく、とんでもない誤解が生じている。
インターネット上では、数百ドルの価格で唾液の遺伝子検査を行うサービスが繁盛している。これらのサービスがまがいものであることは指摘するまでもないだろう。これらのサービスからは危険が生じることさえあるが、ほとんどの場合、(間違いでなければ)何の役にも立たない。もっと深刻な問題として、産業界では遺伝子分析事業を独占しようとする動きがある。
さらには、プロの倫理学者が突如として登場することがある。彼らは生命と現実という観点から見て、まったく的外れな自説を居丈高に説くのだ。
最も恐るべき影響の一つは、物事を極端に単純化する傾向である。たとえば、一つの変異を特定のリスクと結びつけることによって、処方箋をつくり、食事制限を課し、さらには保険の内容を見直すという短絡的な発想である。すなわち、個別化された遺伝医学という神話だ。
以前にも増して魅力的なデータが続々と登場しており、大量のゲノム情報を読み取る技術のほか、生体組織中のあらゆるRNA(トランスクリプトーム)やタンパク質(プロテオーム)を包括的に解析する、いわゆる「オミクス(omics)」研究が躍進している。しかしながら、少なくとも今日まで、これらは個人にほとんど効用をもたらしていない。
われわれは遺伝的変異の意味、つまり、その影響を本当にわかっているのだろうか。遺伝的変異はたった一つなのか、あるいは他の変異と相互作用するのか。何事も単純ではなく、科学は常にわれわれを啞然とさせてきた。
いずれにせよ科学は、予言する前に警戒するようにとわれわれを促す。実際の遺伝形式は複雑で、遺伝子だけでなく、環境、体質、感受性などの要因の組み合わせだ。これに取り組むことは、科学的に困難だが避けて通れない道のりである。そのためにも、データ、情報、知識、そしてそれらを結集させて得られる叡智をそれぞれ混同しないことが重要なのだ。
遺伝構造が複雑である背後には、ヒトゲノムから導き出せる一つの教訓が見出せるのではないか。すなわち、ヒトゲノムによって、人類全員は識別できると同時に近しい存在であり、われわれはおのずと個性的な存在でいられるという教訓だ。逆にいえば、このようなゲノムには、われわれが自由に決められるような「あそび」が残されているはずだ。人間にとって、この決められていない部分のほうが重要なのではないか。というのは、本質的にそうした「あそび」の部分においてこそ、われわれは努力するという希望を抱くことができるからだ。
すなわち、遺伝学の枠外の領域を明確にすることこそが現代の遺伝学の人間的な領域の一つなのだ。
(『100語でわかる遺伝学』より「複雑性」)