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『ピュリツァー賞作家が明かす ノンフィクションの技法』 プリンストン大学「執筆講座」のエッセンス

記事:白水社

『ピュリツァー賞作家が明かす ノンフィクションの技法』(白水社)
『ピュリツァー賞作家が明かす ノンフィクションの技法』(白水社)

「構成」

 構成を組み立てるのは、普通はそれほど簡単にはいかない。時系列とテーマはほぼ常に、かなりの緊張関係にあり、優勢を占めるのは伝統的に時系列である。語りは、ある一点から別の一点へと時間を追って動こうとする。一方、人の一生のうちに時折持ち上がるさまざまなテーマは、地中で固まろうとする塩のように、互いに一つにまとまろうとする。たいていの場合、力が強いのは時系列である。バビロニア人が残した碑文も、ほとんどは時系列に沿って書かれたし、現代ではほぼすべての記事がそうである。『タイム』誌と『ニューヨーカー』誌で一〇年間もこのやり方で書いていたわたしは、マンネリに陥ると同時に、不満を覚えるようになった。時系列の圧力に屈するのはうんざりだ、テーマ中心の記事をどうしても書いてみたい、と。

 一九六七年、ニューヨーク・メトロポリタン美術館の館長に就任したばかりの美術史家トーマス・P・F・ホヴィングを数週間かけて追ったときのことだ。取材メモを読み返すうちに、この記事の場合、ホヴィングの半生を誕生から現在まで時系列順に綴っても、さまざまなテーマを掘り下げられないことに気づいた。たとえば、ホヴィングは贋作について実にいろいろなことを知っていた。十代のころ、ニューヨークの東五〇丁目界隈のある店で「ユトリロ」や「ブーダン」や「ルノワール」を見たとき、すぐに贋作だと感じ取ったという。だが、それから八~一〇年経ち、院生だったホヴィングはおかしいと感じ取ることができずに、ウィーンのある美術商に騙された。ハンガリー動乱のさなか、「ブダペスト」から運ばれてきた「ホットな」作品という触れ込みの油絵は、実はその前日にウィーンで売りに出された贋作であった。

 後年、経験を積んだホヴィングは、贋作家ハン・ファン・メーヘレン─フェルメールの初期作品とされる一連の贋作の製作者─に尊敬の念を抱かずにはいられなくなる。また、自作の「古代エトルリア人戦士像」で世界を欺いた贋作家アルフレッド・フィオラヴァンティに対しても、同じく尊敬の念を抱いた。この戦士像は、贋作だと判明するまで、メトロポリタン美術館のギリシャ・ローマのセクションに展示されていたのだった。なかでもホヴィングが感心したのは、銀の香炉の贋作を作り、原作品のほうに自分の工具痕をつけたある才能豊かな悪党の機知であった。一時期、ホヴィングは真贋判定のための科学機器の研究をしたり、自分でも贋作を描いたりしたことがある。実際、贋作というテーマにかかわるエピソードは、ホヴィングの半生のあらゆる年代に散らばっていた。

 では、記事を書くにあたって、「芸術と贋作」のテーマをどう取り上げればいいだろう。この題材の場合、時系列対テーマの問題はほかにも出てくるだろうが、それらをどう処理しようか。これまでどおり、まず時系列に沿って書くべきか。いや、とわたしは腹をくくった。やり方を変えてみよう。こう決めたときのことはよく覚えている。あれは日曜の朝、美術館は開館前で、中は暗かった。ホヴィングに案内してもらい、薄明かりの館内を見学するうちに、わたしたちはある小部屋に来た。立ち去りがたい部屋だった。二十数点の肖像画が展示されている。肖像画は何枚あっても、それぞれがほかとはっきり区別できるし、テーマに沿って描かれているという特徴があり、ある人の人生を、時系列に沿って語らずとも、描き出している。ある人物をめぐる記事もそんなふうに書けるのではないか。

 ホヴィングは、控えめに言っても、見込みのない若者だった。何しろ教師を殴って、ニューハンプシャー州の名門寄宿学校、フィリップス・エクセター・アカデミーから退学させられている。プリンストン大学一年生のホヴィングがもっとも得意としたのは、「目にあまる怠慢」だったという。退校処分を食らったこの困り者の田舎青年は、いかにして美術史家に、そして世界屈指の美術館の責任者になったのか。この問いを発し、答えを出すのが、構成図上にある二本の枝だ。二本がやがて合流するセクションは、二つの長い段落で埋めよう。初めの段落は人物に関する枝を、次の段落で経歴に関する枝を語ろう。質問に答えるのは、いや、少なくとも、答えるはずなのは後の段落である。

 当時わたしはほかの記事も、さまざまな手法を使いながらも時系列に沿って書いていた。その典型と言えるのが上の図だ。ここでは本筋のタイムラインも、彩りのためのエピソードも、左から右へと進む時間の流れに沿っている。

 これは一九六八年に、「採食する人(A Forager)」と題して書いた記事である。サスケハナ川とアパラチア山道の一帯でバックパックを背負い、ときにカヌーを漕いで進んだ旅を背景に、ワイルドフード研究家のユエル・ギボンズを紹介した。

 「ジョージア州の旅(Travels in Georgia)」(一九七三年)は州内約一八〇〇キロを旅した記録で、エピソードをたくさん盛り込んだ。冒頭シーンには旅の初日ではなく、後から起きた警官とカミツキガメの事件をもってくればうまくいくんじゃないか、とわたしは考えた。上の図のように、だ。

 そういうわけで、この記事は過去のフラッシュバックの場面で始まり、カメの事件を通り過ぎて進み、残りの出来事を語る。ノンフィクション作家というものは、物事が起きた順序は変えられない。しかし効果的に語れると思うなら、動詞の時制を使い分けるなど、読者にはっきりしたヒントを与えながら、フラッシュバックを自由に使っていい。

【本書「構成」より】

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