『柳田國男民主主義論集』に学ぶ政治のあり方
記事:平凡社
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民俗学者として一般に知られる柳田國男は、その晩年である1960年5月、公的な場(といってもそれは彼が多感な少年期を過ごした村からそう遠くない場所での小さな集まりだった)で「日本民俗学の頽廃(たいはい)を悲しむ」と題する講演を行ったとされている(本書末尾に収録)。聞き手は地元の教員が中心だった。
死の2年前である。
柳田はその晩年、彼の創り上げた学問が彼の望んだものとは違う形になってしまったことに憤っていたとされ、そのことが伝わってもくる題名である。聴衆の一人によってノートがとられ、息も絶え絶え、という印象だが、その最後の方にこうある。
憲法の芽を生やせられないか
民俗学者・柳田國男の公の場での彼の学問への絶望がこのように結ばれていることにまず驚いてほしい。
日本の民俗学は1980年代に「落日」と揶揄され、今や妖怪研究の代名詞となり、アニメやラノベの「妖怪」キャラクターのソースとさえ化している。一方では、柳田を近代化の過程で失われていく民間伝承などの日本文化を記録保全しようとした、伝統主義者だとみなす表層的な理解がある。柳田國男という人とその学問は、気がつけばひどく見えにくくなっているのだ。
だから、柳田國男のこの「憲法」についての最後の呟きは、このような柳田や彼の学問のパブリックイメージとは全く一致しないだろう。あるいは、この最後の呟きを知って、今の人々はあるいは柳田をありふれた戦後民主主義者、「サヨク」だと穿った見方さえするかもしれない。しかし柳田は明治国家の官僚であり、貴族院書記官長として大正天皇の即位礼をとり仕切った人物である。
それでは柳田は何故「憲法」について、あたかも遺言の如く呟いたのか。
一つには、柳田國男が「日本国憲法」の成立に具体的に関わった一人だという歴史的事実がある。柳田は最後の枢密顧問官として日本国憲法案についてその審議に立ち会っている。枢密院は明治憲法制定時にその草案審議のために創設された。明治憲法下に於いては天皇の最高諮問機関と位置付けられている。柳田は敗戦の翌年、1946年7月12日、いわば最後の枢密顧問官の一人として任じられる(下図)。そして、戦後憲法、すなわち「日本国憲法」の草案の審議に関わる。その審議は形式上に近いものと従来されてきて、柳田の発言は公文書上には残っていない。
しかし、明治憲法下の制度の中で戦後憲法の成立に立ち会ったことは少なくとも柳田國男という人にとって「形式上」に留まるものではなかった。「憲法の芽を生やせられないか」という遺言の如き呟きは、最後の枢密顧問官としての自負なり責任に柳田が最後まで貫かれていたことを物語っている。
しかし柳田の憲法への拘泥は、戦後憲法の成立にただ立ち会った、ということには留まらないものだとぼくは考える。つまりこの国の近代における民主主義の積極的な推進者の一人としての柳田國男がそこにはいる。推進者というよりは運動家といったほうが、あるいは実態にあっているかもしれない。そう書くと今日の読者の多くは困惑するやもしれない。しかし、柳田自身はその名で呼ばれることに最後まで積極的ではなかった「民俗学」は、少なくとも彼にとっては一貫して民主主義の運動としてあった。柳田の「学問」(という言い方を好んだ)は、明治期は農政学を軸とする社会政策論、大正末から戦後にかけては普通選挙下の主権者教育が「目的」であった。柳田の「学問」はこのような社会的目標を自明のように掲げる。そしてそれが実現可能な方法を提示する。大正デモクラシーの時期には朝日新聞論説委員として普通選挙の実現を説き、あるいは有権者になる青年層に日本中を駆けめぐり、語りかける。敗戦後は憲法と同様に枢密顧問官として、教育基本法の制定に立ち会い、普通選挙を実践できる有権者育成のために国語科と社会科の教科づくりに没頭もする。このように民主主義のために「使える」学問が、彼が目指したものである。それが今のアカデミズムとの根本的な違いである。こういう柳田観はあるときまでは自明で、そしてやがて見えにくくなったものだ。その過程はぼくにはこの国の戦後における民主主義の衰退の過程と確実に重なっているようにも思える。だから柳田國男をこのような視点から読み直すことは、この国が民主主義や、私たちがただなんとなくそこにあるが故に見失っている、普通選挙や私たち一人一人が主権者であるという意味を取り戻すことにつながると考える。そして何より明治後期から戦後に至る柳田國男のこのような営みを振り返ることで、この国の民主主義が戦後、占領軍に憲法とともに押し付けられたものでなく、きちんとした歴史の厚みを持つものだということが実感できるだろう。その果てに柳田の遺言とさえ取れる憲法発言が位置することがきっとわかるだろう。
本書はそのような柳田國男の遺言を理解する手立てとなる彼の論考をあつめ編集したものである。
大塚英志さんの序文に書かれているとおり、官僚として「日本国憲法」の成立に関わった著者の論考は、日本の政治や民主主義のあり方を考え直すヒントとなります。たとえば、本書に収録されている柳田がつくった小学校社会科教科書に書かれている「選挙と政治」の項目を読んでみると――。
まさにいまの日本の政治が抱えている問題が言及されているようです。以下、引用します。
人々の希望と政治
たれでも、健康で働けることを、のぞんでいるでしょう。
みんなの健康をまもってくれるために、保健所、水道、下水など、いろいろなしせつがあります。このようなしせつの費用は、どこから出ているのでしょうか。郷土や国の費用で、まかなわれているのです。
だから、健康で働けるようにというみんなの希望と、郷土や国の政治とは、きりはなすことのできない関係があります。
よい政治が行われるようになってから、病気で死ぬ人もだんだんへってきました。伝せん病をふせいだり、赤んぼうの死ぬのをもっと少なくしたりすることなど、医学の進歩ばかりでなく、政治の働きを必要とすることが、まだたくさんあります。
私たちには、国や県や町や村に、こうしてほしいといういろいろな希望があります。それは、自分のためだけのかってな願いではなく、みんなのためになる希望でなければなりません。クラスの生活をよくするために、郷土の生活をよくするために、国ぜんたいの生活をよくするために、どんなことを希望したらよいでしょうか。
学校、公民館、図書館、道路、橋、汽車、電車、郵便、電気、ガスなど、私たちの身のまわりのどれ一つをとってみても、郷土や国の政治と関係のないものはありません。
みんなのえらんだ地方議員、国会議員と、村長、町長、市長、知事などが、みんなの希望をもとにして相談して、これからする仕事をきめます。きまったことは、役場や県庁や官庁が実行します。
だから、国民の生活がよくなるのも悪くなるのも、おもに政治のよしあしによるのです。選挙と政治(小学校社会科教科書)「4 りっぱな議員をえらぶために」より