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『昭和ジャズ論集成』――令和のオーネット・コールマン

記事:平凡社

 毎年やっている気の置けない仲間が集まる忘年会で、ある大学で教鞭をとっている友人が、学生にレポートを書かせると、昭和のことに言及するときに、最近は「昭和時代には……」と書くんだと嘆息をもらした。令和元年の暮れのことだ。「で、どうするの?」と聞くと、「はじめは、『昭和時代』の『時代』には、赤で取り消し線を入れてたが、切りがないのでもうやめた」、と。

 昭和時代。うすうす、いつかはこういう表現が登場するとは思っていたが、さすがに平成が終わってすぐに登場すると、不意を突かれたような感じだ。大雑把には、昭和に学生時代、平成にサラリーマン時代というライフステージを経てきた人間にとっては、自分の人生が、「生きられた時間」ではなく、もうすぐ記録された「過去」になっていくことに気づかされる瞬間だ。

なぜ、ジャズはアメリカ音楽なのに「昭和」なのか?

 本書は、『昭和ジャズ論集成』というタイトル。ジャズはアメリカの音楽なのに、なぜ「昭和」? みなさん、そう思われるだろう。これは、解説の岡崎正通氏によれば、

 誤解を恐れずに言えば、昭和の時代はジャズがもっともジャズらしい発展、展開をみせていった時代だった。ニューオルリンズに生まれたジャズがスイング~バップ~モードあるいはフリーと発展をとげていった、あくなき冒険の歴史。とくに1950~1960年代、ハード・バップからフリーが生み出されていった頃は、ジャズがもっとも熱くもり上がっていた時代である。

 ということになる。なるほど、「あくなき冒険」。レポートに「昭和時代」と書く人たちは、おそらく決して使わない語彙で、その熱い思いが表現されている。本書は、そんな熱い昭和時代を代表するジャズ批評家、野口久光、油井正一、植草甚一、清水俊彦、相倉久人、平岡正明の6氏の熱い文章を集めた、熱い熱い論集である。

 章の構成は、ほぼ生まれ順になっているようだが、植草甚一だけは、別格扱いだ。植草甚一は、実は、この6氏の中ではいちばん年長の1908年、明治41年生まれだ。次が野口で1909年生まれ。「昭和時代」と書く人たちからすれば、おそらく曾祖父(ひいじじい)にあたる。ところが、今読んでも植草の文章は若い。どのくらい若いか。たとえば、本書に収録されている「オーネット・コールマンはジャズのヌーヴェル・ヴァーグなのだ」というエッセイの冒頭。そもそも、このタイトル。

 ちょっと変てこな題をつけたが、いま考えてみて不思議な気がするのは、なぜぼくたちのあいだで、オーネット・コールマンがジャズのヌーヴェル・ヴァーグだといわれなかったかということである。アメリカではヌーヴェル・ヴァーグという言葉が流行語にならなかったから、そういった観念的な結びつきが生じないのは当りまえであるが、コールマンがファイブ・スポット・カフェに登場したときの反応ぶりは、いわばヌーヴェル・ヴァーグ的なものだといってよかった。ということはインテリにも二種類あり、新しく生まれたものを率直に認める純粋インテリ・タイプと、これに反発することによって、わざと自分のインテリ性をひけらかそうとするアンチ・インテリ・タイプとがあって、コールマンの出現によって、この両者の区別がハッキリと窺われるようになったからである。

 これは、『スイングジャーナル』(1961年2月号)に掲載された植草53歳の文章だ。本誌の編者浜野サトル氏も、さぞや困ったことだろう。掲載順としては、ジャズ批評界の大御所油井正一(1918年、つまり大正生まれ)の次におかれている。

 そう、オーネット・コールマン。彼の登場のインパクトは、この論集を編むための主題の一つとして言っていい。一人のミュージシャンに対する評価で、「インテリ」がタイプ分けできるとは! オーネット・コールマンの登場は、当時、それほどにインパクトがあった(らしい)。バップが大流行していた50年代末に突如として現れたジャズの巨人は、当時、彼の吹くサックスは「馬のいななき」とも言われ、植草の言うように、賛否両論を巻き起こしている(今で言えば炎上)。たとえば、植草より10歳若い油井正一は、筋金入りのオーネット派だ。

 オーネット・コールマンが出現したという事実は、かなり冷静に分析しても、おそらくジャズ史上最大の出来事といえるかもしれない。(中略。しばし、チャーリー・パーカーからバップに至る話が続く:引用者注)。ジャム・セッションで切磋琢磨した多くの同輩も気分的にはパーカーと同様、改革の方向へ自然と向かっていた。いわばバップは衆知による決定であった。
 オーネットの出現はそうではなかった。天から降ったか地から湧いたか、予測もつかぬ音楽が突如現われたのだ。誕生以来、ひたすらヨーロッパ音楽寄りに同化を試みてきたジャズ(たとえば、MJQか? :引用者推測)が、その存立の根本を問われた一瞬である。「フリー・ジャズとポスト・フリー・ジャズ」より

たいへんな肩の入れようである。別のところで、こうも言っている。

 今後かれ(オーネット・コールマン:引用者注)が注目すべき傑作を一曲も演奏できなくとも評価をかえる必要はないと思うのです。極端にいえばコールマンが出現したという事実だけでいいのです。「オーネット・コールマン」より

 油井は、ようするに、オーネット・コールマンは、ジャズの「歴史」にとって重要だと言っているわけだ。60年代のジャズ批評は、バップの流行からフリーの登場、そしてポスト・フリーへの大きな変革の流れの中にあり、本書に集められている油井と植草の論文は、その流れの中で、目の前で起こっている大きな変化を、それぞれのスタイルでなんとか理解していこうというパッションに支えられている。

ジャズを生きること

 それに対して、野口の論文は、オーソドックスにスウィングからバップ大流行へ至るまでの歴史を振り返るものだが、彼は、なんと、(「ヨーロッパ音楽寄りに同化を試みてきた」かもしれない)MJQが大好きだ。

 クラシックにせよジャズにせよ、すぐれた音楽家が目ざしていることはその表現の形はちがっても自分が美しいと信じる音の創造であるといえよう。MJQの演奏にクラシックとジャズの調和を見出すのもよかろう。私はこれを……(現在ではやや問題のある表現:引用者注)……現代アメリカの生んだ最も美しい音楽と呼びたい。理性と感性の見事な調和、自由と愛の詩にも似た美と感動をいつもMJQの音楽から感じとるのである。 「モダン・ジャズ・カルテット」から

 野口の描くMJQの音楽は、いかにも静謐なイメージだが、先の植草の引用にも言及されている歴史的「ファイブ・スポット・カフェ」への「馬のいななき」オーネット・コールマン出演を強力に後押したのが、実は、このMJQのジョン・ルイスであることが油井論文から分かる。

 この時、二人(オーネット・コールマンとドン・チェリー:引用者注)はMJQと共演したのだが、ジョン・ルイスが二人の音楽に驚嘆したのはこの時だ。

 なんと、オーネット・コールマンとMJQは、共演までしている。「好きな人が好きなものは好き」というように「好き」に推移律が成り立つかどうかは分からないが、この「論集」は、収録された論文同士が、このようにつながってくる。本書は、実にうまく編集されている。

 清水論文は、フリーというよりアヴァンギャルドに分類されるジャズを論じたものが集められている。ミルフォード・グレイヴス、デレク・ベイリー、セシル・テイラー、デイヴィッド・マレイ、そしてジョン・ゾーン。「昭和時代」のジャズ喫茶。令和の今ならありえない、紫煙が立ちこめる薄暗い空間。そこで、難しげなジャズのLPレコードをかけ、煮詰まったブラック・コーヒー(砂糖もミルクもいれない、という意味)をちびちびすすり、しかめ面をしてじっと難しい音楽を聴くという聴取スタイルが一般的ではあった。それでも、セシル・テイラーがかかると席を立つ人がけっこういた。

 豊かで野心的なこの『アーチェリー』(ジョン・ゾーンの曲:引用者注)は、聴き手に集中力を要求する。急テンポの複雑さ――急速な変化とブームの連続――にあふれた切れ目のない四面を、その全体的な形や、アンサンブルの意図が多少ともほの見えるだけの距離を保って聴くことが果たして可能だろうか。 「ジョン・ゾーン--ポスト・モダンの音楽の建築家」より

 このころ(80年代)は、いわゆるポスト・フリーの新しい流れとしてウェザー・リポートやリターン・トゥ・フォーエバーなどのポップなジャズも流行っていたが、難しい音楽、難しい批評もたくさんあった。清水の執筆媒体も、「スイングジャーナル」や「ジャズ批評」だけではなく、「海」のような文芸誌に舞台を広げ、使われる用語も、「脱構築」「リゾーム」「多様性」と、現代思想っぽくなってくる。

 ジョン・ゾーンがオーネット・コールマンをどう見ていたか、清水が書いている。

 ……この点での彼(ジョン・ゾーン:引用者注)は、ブーレーズやシュトックハウゼンらの一時期の仕事以上に、オーネット・コールマンの仕事に共感を寄せている――だが、せんじつめて言えば、ゾーンの音楽はblock of sound/out of time……つまり、サウンドのブロックであり、時間の外で展開するのだ。同上より

 やっぱり、難しい。

 相倉久人は、ジャズを歴史だけではなく構造としても理解しようとしている。これも現代思想っぽい。その一方で、受け手の側、つまり聴取という面にも光を当てる。「ジャズを生きろ」というメッセージでもある。

 セックスの充足感は、自らその行為の主体者となることによってしか、得られない。ジャズの場合も同様である。演奏者と聴衆がともに生きるのでなければ、ジャズは単なる見世物、かっこいいアクセサリーになってしまう。「ジャズに生きる若者たち」より

 そして、平岡正明の登場。平岡は、「ジャズ批評」という雑誌の第一号の巻頭に「ジャズ宣言」というエッセイを書き、ジャズ批評界に、それこそオーネット的なデビューを果たす。

 七、前衛的サウンドの神話は前衛的誤解のなかでもずばぬけてくだらぬものである。サウンドにおいては、前衛ジャズは疑う余地なく伝統派に劣る。宇宙的共鳴とか、東洋的(チャルメラ)的調音とかアフリカ泣きとか、だまされるにもほどがある。ジャズの音は肉声の延長である。汎羊神やシレーヌの歌声ではなく都会の騒音と静寂である。踏みつぶされたときのムギュという声である。あるべき姿の前衛的サウンドなら一言でいえる。とほうもない不協和音。 「ジャズ宣言」(1967年)より

 この文章を読む限り、「前衛ジャズ」については否定的な平岡だが、フリーの雄オーネット・コールマンについては、どうだろう。

 演奏にあらわれたかぎりの「前衛」ジャズについていえば、ブルースによるイメージの惹起力は、弱まってきているような印象をうける。オーネット・コールマンの「淋しい女」は、あきらかにバラードであった。「ジャズ宣言」より

 そう、ほんとに、そう聞こえる。バラードだ。オーネット・コールマンは、フリーなので難しい。当時は、そう思っていた。ところが、今、同じ曲を聴くと、まったく印象が違う。おそらく、時間が経って思い込みが薄れ、聴く側の「耳」の変化も起こったのだろう。オーネットのアルト・サックスは、平岡のいう「ムギュ」だ。かっこいいし、ぐっとくる。

令和における音楽批評の新しい読み方

 平岡は、門前仲町にあった「タカノ」というジャズ喫茶にいって、そこにある雑記帳に次のように書いた。

……ガルデルの「孤独」(ソリダン)とアマリア・ロドリゲスの「孤独」(ソリダード)とリュシェンヌ・ボワイエの「孤独」(ソリテュード)を聴き比べて、ビリー・ホリデイの「孤独」を聴きたくなって、中森明菜の「ソリチュード」を好きな歌手の卵を連れてきました。……

 ここで、「雑記帳」について少し。昭和時代の喫茶店やラブホには、大学ノートがおかれていて、独白なのか手紙なのかも判然としない文章を読者の当てもなく書き綴るという風習があった。いってみれば、オフラインのFacebookだ。

 この文章だけでは、平岡がタカノに連れてきた歌手の卵は、男性か女性かは分からない。でも、昭和時代的には、ショートカットが似合う若い女性だと思いたい。こうした状況そのものが、昭和時代的なのだ。ジャズとは、そういうものだ。

 この文章は、冒頭に引用した「熱い昭和」の岡崎氏のあとがきに引用されていたものの引用。この岡崎氏ご自身、ラジオが熱かった昭和時代に、熱い熱い深夜放送(オールナイト・ニッポン)をプロデュースしていた方でもある。

カルロス・ガルデル(左)とオーネット・コールマン(右)を聴いている画面。曲名で検索可能なのは、音楽批評を読むときには、とても便利だ。

 今や、Spotifyで「Carlos Gardel, Soledad」と検索をすると、すぐにガルデル本人の歌を聴くことができる。中森明菜はもちろん、Ornette Colemanの「Lonly Woman」もすぐに聴ける。John Zornだって、登録されている音源はちと少ないが、それでも手元で聴ける。

 本書のような昭和時代に書かれた音楽批評集も、令和スタイルの読書をおすすめします。スマホ片手にジャズ批評。ちょっとお値段ははりますが、新しい発見を請け負います。「The Shape of Jazz To Come」の2曲目、「Lonly Woman」の次の「Eventually」では、ほんとにオーネットは、いなないています。(敬称略)(平凡社 編集部)

[目次]
はじめに
第1章 クラシックからモダン
Ⅰ 野口久光
 戦前のジャズ批評(1939) 
 アメリカ音楽研究(1950)
 ルイ・アームストロング
 カウント・ベイシー
 モダン・ジャズ・カルテット
Ⅱ 油井正一
 ビ・バップ
 レスター・ヤング
 デューク・エリントン
 チャーリー・パーカー
 マイルス・デヴィスを通してみる1950~60年代のジャズ
 フリー・ジャズとポスト・フリー・ジャズ
 オーネット・コールマン
 ジョン・コルトレーン

第2章 モダン・ジャズとジャズ・アヴァンギャルド
Ⅲ 植草甚一
 ジャズ・アヴァンギャルド
 オーネット・コールマンはジャズのヌーヴェル・ヴァーグなのだ
 黒人を排斥するアメリカのジャズ界
 ビル・エヴァンスとセシル・テイラーとの間にあるものを考えてみよう
 ある黒人学生がブルースにふれて自分の気持ちをさらけだした
 オーネット・コールマンのカムバックとジャズの「十月革命」をめぐって
 エリック・ドルフィーの死と「ジャズの十月革命」
 ESPグループの内部の声を聴いてみよう
 コルトレーンの演奏をナマで聴いてみて
 むかしむかしクリーヴランドのある町にアルバート・アイラーという少年がいた
Ⅳ 清水俊彦
 ミルフォード・グレイヴスが語りかけるもの
 デレク・ベイリー――新しい即興言語の開拓者
 AMMは音を媒介にして探究を行なう
 セシル・テイラーのスタイルの内的統一性について
 富樫雅彦と高柳昌行のフリー・インプロヴィゼーション
 黒人音楽が生きた実体であることをレスター・ボウイーは喚起する
 ジャズは伝統へスイング・バックする――デイヴィッド・マレイの場合
 ジョン・ゾーン――ポスト・モダンの音楽の建築家
 即興の哲学に向けて

第3章 ジャズと現実世界との接点
Ⅴ 相倉久人
 ジャズの長い暑い夏
 民族音楽としてのジャズ
 リズムの祭儀性を超えて
 ジャズの表現構造あるいは活性化理論
 ジャズ史のモデル
 ジャズの聴衆
 黒人/劣等感/そしてジャズ
 黒人ジャズとの連帯は可能か
 ジャズ革命論序説
 ジャズに生きる若者たち
 日本ジャズの問題
Ⅵ 平岡正明
 ジャズ宣言
 腹ちがいの双生児
 コルトレーン・テーゼ
 山下洋輔論
 あさひのようにさわやかに
六氏の肖像――解説に代えて 岡崎正通

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