『“研究者失格”のわたしが阪大でいっちゃんおもろい教授になるまで』 著者の研究仲間でもある安冨歩教授による書評
記事:明石書店
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学者は、主観を離れて、「客観的」な研究をすることになっている。それは、学術的に立派な手法を厳格に採用することによって可能になる、とされる。その信念が学者の世界を支え、それを権威化している。
しかし、そういう「客観的」方法は往々にして恣意的である。それが証拠に多くの「客観的」なはずの学問的成果は、時の流れによってたちまち価値を失ってしまう。それゆえ、学者が真に客観的であろうとするなら、安易に「客観的」方法に依存して自己を権威化してはならず、世界を見る主観、すなわち自分自身への反省と探求を欠いてはならないはずである。
本書は、千葉泉という一人の学者が、自己の人生を徹底的に振り返りつつ開示し、その開示の過程そのものが、自己の研究と如何に関連するかを克明に描いた貴重な成果である。千葉は、視力が弱く、文字を読むのが辛い、という困難を若い頃から抱えており、現在ではもはや多くの文献を渉猟するのが不可能な状態にまで悪化している、という。それゆえ、もはや自己を反省し探求する以外に、意味のあるものを書けないという状況に追い込まれることにより、この画期的な作品が生み出されることになった。
千葉は、南米スペイン語のみならず、チリのマプーチェの言語の高い運用能力を持ち、その文化・歴史についての研究により高く評価されると共に、その能力により、参加型開発の現場でも優れた成果を挙げている。しかし、千葉が最も愛するのは、ギターの弾き語りを中心とした音楽活動であり、明らかにそれこそが人生の最も核心的な部分である。
この書物は、「学者に向いていない」と自認する千葉が、学者世界でもがきながら到達した「語り合い」という特異な授業の形態を描き出すべく、書き始められた、という。それは、千葉が自らの人生を、痛みを恐れずに開示し、それが受講者同士の語り合いを促進する、という、極めて独創的で画期的な授業である。私には、この授業は、「客観性」を売り物にする大学という空間で、徹底的に主観に立ち、主観の反省を他者に開示することで、主観同士の相互作用の中で相互主観性へと拡張し、真の意味での客観性を志向する、現象学的な過程であるように見えた。この授業を描写する本を書くために、この授業の中で行っている自己開示を行う必要が生じ、それがこの自分語りと学術とが一体化した書物を生み出したのだという。
しかし私には、それ以上に本書の眼目は、学問の権威性の持つ暴力が、千葉の人生をその核心的部分から常に引き離そうとし、それによって痛めつけられては、必死に音楽へと立ち戻って再生する、という悲劇的過程の連鎖の描写であるように思えた。そしてこの過程の記述は、実のところ、学問に携わる人間が誰しも受けている普遍的暴力性の正確な描写となっている。それが本書の持つ最大の価値なのではないだろうか。
その千葉を最も深く傷つけたのが、「情報漏洩事件」である。これは多数の学生の成績の記入されたファイルを、千葉がゼミ生に転送した、というもので、阪大は情報漏えい事件と見做し、記者会見まで開いて、千葉を訓告処分にした。本書で千葉は、「百パーセント私に責任がある」と認めている。
しかし、この事件の構造を考えてみれば、単なる千葉のミスではないことがわかる。旧大阪外大には、学生がちゃんと卒業できるように、単位取得状況を教員が確認する、という慣例があったのだが、それは本来、学生自身の責任であり、まさに「人情」に基づいている。また、千葉がゼミ生にファイルを転送した背景の一つとして、視力の低下によって確認作業が辛かったことを挙げているが、もし学生への信頼がなければ、そういうデータを転送することは、考えもしなかっただろう。
大学に限らず、組織においては、「人情」や「信頼」が作動すると、それが「不正」と認識される、という構造がある。この事件もまた、そのような暴力性の発露が、どれほど人間を傷つけるかを示す、貴重な事例となっている、と私は考える。
この書物を千葉に書かせた人生を外から眺めれば、留学中に住んでいたチリのスラムとも言うべきポブラシオンで、多くの人の前でビオレタ・パラの「ラ・ハルディネーラ」を歌い、大喝采を浴びて「ああ、生きてるってこういうことのなのか!」と感じた瞬間が絶頂であったように見える。
それを実感していたからこそ千葉は、せっかく決まった大学への就職を断ってチリのスラムに戻ろうとする、という、大学院生としてはありえない挙に出た。結局は恩師の説得で就職したのだが、ここがまさに人生の分岐点であり、そこから先は上述の悲劇的過程が繰り返される。その果てに、この貴重な作品が生まれたのだが、そのために千葉の払った犠牲は大きすぎたかもしれない。