「専門家」であることの罠 『大衆の反逆』より
記事:筑摩書房
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実験科学は十六世紀の末に始まり(ガリレオ)、十七世紀末に体系化をされ(ニュートン)、十八世紀の中葉から発展を開始した。あるものの発展は、その形成とは別のことであり、別種の条件に服しているのである。たとえば、実験科学の集合名詞である物理学の形成にあたっては、総合統一への努力を必要としたのであり、ニュートン及び彼の同時代人の仕事はその総合への努力であった。しかし、物理学の発展は、総合統一とはまったく逆の動きを要求した。科学が発展するためには、科学者が専門化する必要があったのである。ただし、あくまでも科学者であって科学そのものではない。科学そのものは専門主義的なものではない。もしそうならば、科学は事実上真実のものではなくなってしまうであろう。実験科学を総体的にとりあげたとしても、それを数学、論理学、哲学から分離してしまえばもはや真ではありえないのである。ところが、科学に関する労働は──不可避的に──専門化せざるをえない性質のものなのである。
物理学や生物学の歴史を、それらに従事している研究者の仕事がますます専門化する方向をとっている過程を中心に叙述してみることは、きわめて興味あることであり、一見したところよりはるかに有意義なことだろう。そうしてみれば、科学者が一世代ごとにますます狭くなる知的活動分野に閉じこもってゆく姿が明らかになるだろうからである。しかしわたしが提唱した歴史的記述がわれわれに教えてくれる重要なことはこのことではなく、どちらかといえばその逆のことなのである。つまり、科学者が、一世代ごとに自分の活動範囲を縮小してゆかなければならなかったために、徐々に科学の他の分野との接触を失ってゆき、宇宙の総体的解明から遠ざかっていった過程である。ところが、この宇宙の総体的解明こそが、ヨーロッパ的科学、文化、文明の名に値する唯一のものなのである。
専門化傾向が始まったのは、まさに、「百科全書派」的人間を文明人と呼んだ時からであった。十九世紀は、すでにその創造活動は個別化の性格を帯びてはいたが、いまだに百科全書的に生きていた人々の指導のもとに自らの運命を歩み始めた。ところが次の世代には、すでに重心が移動してしまっており専門化傾向が個々の科学者から総合的文化を追い出し始めたのである。そして第三の世代がヨーロッパの知的指導権を握った一八九〇年になると、歴史上前代未開の科学者のタイプが現われた。それは、分別(ふんべつ)ある人間になるために知っておかなければならないすべてのことのうち、一つの特定科学だけしか知らず、しかもその科学のうちでも、自分が積極的に研究しているごく小さな部分しか知らないという人間である。そして、彼は自分が専門に研究している狭い領域に属さないいっさいのことを知らないことを美徳と公言し、総合的知識に対する興味をディレッタンティズムと呼ぶまでになったのである。
ところが、彼らは自分たちの狭い視野の中に閉じこもりながら、現実には、新しい事実を発見し、彼らがほとんど知らない彼らの科学を発展させ、それによって、彼らが意識的に知らない思想の総体を発展させたのである。いったいどうしてこんなことが可能だったのであり、また現に可能なのだろうか。ここで、次のような否定しえない奇怪な事実を強調しなくてはならない。すなわち、実験科学の発展は、その大部分が驚くほど凡庸な人間、さらには凡庸以下の人間の働きによるものであったということである。つまり、今日の文明の根源であり象徴である近代科学は、知的に優れていない人間をも歓迎し、彼が立派に働くことを可能にしたということである。それを可能にした原因は、新しい科学とその新しい科学が指導し代表している全文明の最大の利点でもあり同時に最大の危険でもあるもの、つまり、機械化にある。物理学や生物学において行わねばならないことの大部分は、機械的な頭脳労働であり、それは誰にでも、あるいはそれ以下の者にでもできる仕事なのである。科学を小さな断片に分割し、その一片の中に閉じこもって他をいっさいかえりみないというやり方をとれば、無数の研究分野が生まれてくる。方法の正確さと確実さが、こうした知識の一時的・実際的な分割を可能にする。研究者はそれらの方法の一つを機械のようにあやつって仕事をすればよいのであり、それらの方法の意味や根拠を厳密に知らなくても、きわめて豊富な結果を得ることができるのである。かくして、科学者の大部分は、巣箱の蜂窩(ほうか)にいる蜂のように、また溶鉱炉の地下室に入った火夫のように自分の研究室の小さな一室に閉じこもったままで、科学全体の進歩を後押ししているのである。
しかしこの事実は、なんとも実に奇妙な人間のタイプを生み出すのだ。自然に関する新しい事実を発見した研究者は、当然のことながら自己を掌握しているという自分自身に対する自信をもつはずである。彼が「自分はものを知っている人間なのだ」と考えてもある意味で当然のことであり、事実、彼には、彼にないもろもろの知識と合わせれば真の知識を構成するにいたる断片的な知識がある。これが今世紀の初頭にその極端に達した、いわゆる専門家の本質的状態なのである。専門家は自分がたずさわっている宇宙の微々たる部分に関しては非常によく「識っている」が、それ以外の部分に関しては完全に無知なのである。
こうした専門家こそわたしがいろいろの側面と様相を通じて明らかにしようと試みてきた新しい奇妙な人間の実に見事な一例である。わたしは先に、こうした人間の形成は歴史に先例がないといった。専門家は、この人間の新種をきわめて具体的にわれわれに示してくれる好例であり、新種のもつ根本的な新しさを余すところなく明示してくれるのである。かつては、人間は単純に、知識のある者と無知なるもの、多少とも知識がある者とどちらかといえば無知なるものの二種類に分けることができた。ところが、この専門家なるものは、そのいずれの範疇(はんちゅう)にも属しえないのである。彼は、自分の専門領域に属さないことはいっさいまったく知らないのだから、知者であるとはいえない。しかし、かといって無知者でもない。というのは、彼は「科学の人」であり、彼の領域である宇宙の小部分はよく知っているからである。われわれは彼を知者・無知者とでも呼ばねばなるまい。これはきわめて重大な問題である。というのは、この事実は、彼は、自分が知らないあらゆる問題において無知者としてふるまうのではなく、そうした問題に関しても専門分野において知者である人がもっているあの傲慢さを発揮するであろうことを意味しているからである。
そして事実、専門家の態度はその通りなのである。彼は、政治、芸術、社会慣習あるいは自分の専門以外の学問に関して、未開人の態度、完全に無知なる者の態度をとるだろうが、そうした態度を強くしかも完璧に貫くために──ここが矛盾したところだが──他のそれぞれの分野の専門家を受け容れようとはしない。文明が彼を専門家に仕上げた時、彼を自己の限界内に閉じこもりそこで慢心する人間にしてしまったのである。しかしこの自己満足と自己愛の感情は、彼をして自分の専門以外の分野においても支配権をふるいたいという願望にかりたてることとなろう。かくして、特別な資質をもった最高の実例──専門家──、したがって、大衆人とはまったく逆であるはずのこの実例においてすら、彼は生のあらゆる分野において、なんの資格ももたずに大衆人のごとくふるまうという結果になるのである。