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現生人類はネアンデルタール人と混血していた 『遺伝人類学入門』より

記事:筑摩書房

original image:Bruder / stock.adobe.com
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ネアンデルタール人は本当に滅びたのか

 分子時計を利用すると、アフリカ人と非アフリカ人を含むクラスターの分岐が約10万年前と計算されました。遺伝子の分岐年代は集団の分岐よりも古いと考えられるため、現生人類の誕生は古く見積もっても10万年前、アフリカから現生人類が外へ出たのは、10 万年前よりは新しい出来事と考えられます。最近のゲノム全体の情報を用いた研究では、現生人類の出アフリカは7万~6万年前と言われています。そして少なくとも1万3000~4000年前には、人類はアメリカ大陸へも進出したと考えられています。

 このように人類は、非常に短い時間で地球上のあらゆる大陸に拡散していきました。器用に火を使い、また、狩りなどで得た獲物から加工した毛皮を身に纏っていたことが幸いして、寒い所にも適応することができたと考えられています。ホモ・サピエンスはその類いまれな適応力により、驚異的な速度で世界中に広まった生物種であると言えます。

 アフリカ大陸で誕生した祖先はヨーロッパ、東アジア、オーストラリア、そしてアメリカ大陸に拡散しました。アフリカ単一起源説に基づくならば、現生人類が東アジアや東南アジアに辿り着く前からそこに住んでいた北京原人やジャワ原人は絶滅したことになります。

 ヨーロッパ大陸ではホモ・エレクトス段階の化石が見つかっていませんが、ネアンデルタール人の化石は見つかります。ネアンデルタール人はホモ・サピエンスとは別種と考えられてきましたから、アフリカ単一起源説に立てば、ネアンデルタール人も絶滅したことになります。でも、そう簡単に片付けるわけにはいきません。

 解剖学的特徴を見ると、ネアンデルタール人は私たちホモ・サピエンスのバリエーションの中には含まれません。逸脱しています。でも、他の化石人類と比べれば、ホモ・サピエンスと非常に近い人類だったと言えます。

 ネアンデルタール人は本当に滅びたのでしょうか。先ほども述べたようにヨーロッパからはホモ・エレクトスの化石は発見されておらず、その代わりにネアンデルタール人の化石が発見されています。このため、ホモ・エレクトス段階では当時のヨーロッパの環境に適応できなかったけれど、ネアンデルタール人の段階でそれが可能になったと言えるかもしれません。

クロマニヨン人とネアンデルタール人

 そして、もう一つの人類が登場します。クロマニヨン人です。かつてヨーロッパ大陸にはクロマニヨン人がいました。ネアンデルタール人はヒトとは別種であるとされ、ホモ・ネアンデルターレンシスという学名を付けられていますが、クロマニヨン人はホモ・サピエンスです。なんとなく原始的なイメージを持っている人も多いかもしれませんが、私たちと同じ「解剖学的現代人」です。

 たとえば、ラスコー洞窟に残されている精密かつ写実的な壁画を描いたのはクロマニヨン人です。今の私たちと解剖学的に同等の脳を持ち、おそらく同等の知能を持っていたはずです。小惑星探査機「はやぶさ」を開発した脳とこの壁画を描いた脳には、もちろん神経ネットワークには違いが存在したかもしれませんが、解剖学的な違いは存在しなかったということです。

 ヨーロッパではクロマニヨン人と同時期に、ネアンデルタール人が存在しました。このためネアンデルタール人がクロマニヨン人と混血しなかったのか、もし絶滅したとしたら、クロマニヨン人と争って絶滅したのか、については以前から大きな疑問でした。

 そこで、ネアンデルタール人の骨からDNAを取り出して調査した分子人類学者がスバンテ・ペーボです。ペーボは、ドイツのライプチヒにあるマックス・プランク進化人類学研究所の進化遺伝子部門の責任者を務めています。1999年4月から2年間、私はこの研究所のポスドク研究員でした。ペーボはスウェーデン人で、ノーベル賞受賞者を多数輩出して有名なウプサラ大学で博士号を取った後、カリフォルニア大学バークレー校のアラン・C・ウィルソンの研究室でポスドクをし、30代の若さでミュンヘン大学の教授となりました。その後、1998年にマックス・プランク進化人類学研究所の創設に深くかかわりました。

 ペーボがネアンデルタール人のDNA分析に初めて成功したのは、ミュンヘン大学にいた頃です。彼が指導する学生だったマティアス・クリングスが中心となり、ネアンデルタール人の骨からDNAを取り出しました。そして、その中に含まれるミトコンドリアDNAをPCR法で増幅し、Dループ領域と呼ばれるミトコンドリアDNAの複製起点の周辺領域にある約500文字(塩基対)の塩基配列を決定しました。Dループは変異率が高く、近縁な種同士でも塩基の違いが蓄積されているため、比較しやすいのです。

 決定した塩基配列をもとにヒトとヒトのペアで約500文字を比較し、異なる文字の数をカウントしました。たとえばDNAの配列が500文字中10個異なるペアは、全体の8パーセントほど存在します。アフリカ、アジア、ヨーロッパ、さらにはアメリカ大陸まで含めて、五大陸全ての出身者2051人について、全てのペアについて違っていた文字の数を調べ、全体の何パーセントがその文字の違いを持つか、調べたのです。するとだいたい互いに7~8個違うペアがピークに来ました。次に2051人のヒトと59匹のチンパンジーのペアでミスマッチ分布を見てみると、500文字中50~60文字ほど違っており、ちょうど55文字のところにピークが来ます。

 さらに2051人のヒトとネアンデルタール人のペアでミスマッチ分布を見てみると、500文字中25~26文字のところにピークが来ます。チンパンジーのミスマッチ分布とは全然重ならないので、ネアンデルタール人はチンパンジーよりもだいぶヒトに近いと言えますが、ヒトの分布とも重なりません。つまりヒトのミトコンドリアDNAのバリエーション(違い)とは重なり合わないということがネアンデルタール人のDNAを調べて分かったのです。

現生人類はネアンデルタール人と混血していた

 ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの一部を読んだというペーボの論文が発表されると、アメリカの雑誌「TIME」に“All in the Family”というタイトルのイラストが掲載されました。大きな木の一番下の枝にオランウータンが、その少し上の枝にゴリラが、そしてチンパンジーとボノボの枝が描かれていて、そこから少し上の枝にはウォール街を歩いていそうなスーツ姿の人間が腰掛けています。人間の枝の少し手前で枝が折れて木から落ちてしまった原始人として描かれたネアンデルタール人は、途方に暮れたように立ち尽くしています。

 ネアンデルタール人が進化の樹から落ち、脱落してしまった。ネアンデルタール人は私たちホモ・サピエンスにつながらない種としてマスコミでも大々的に報じられ、研究者の多くは問題が解決したことに安堵しましたが、科学というのはそう単純なものではありません。さらに研究が進むと、これを覆す結果が出てきました。

 前述のようにスバンテ・ペーボのグループはミトコンドリアDNAの配列のおよそ500文字を比較して「ネアンデルタール人はホモ・サピエンスとは別種である」という結論を導きました。

 続いて彼らはネアンデルタール人の骨から取り出した細胞核のDNA(核DNA)の分析を開始しました。ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAについての最初の論文出版から約10年後の2006年、ネアンデルタール人の核DNAの0.04パーセントを解読した、という論文を発表しました。その論文では、ミトコンドリアDNAの結論を核DNAが裏付けたという内容でした。

 さらに彼らはネアンデルタール人のゲノム解読を進め、2010年には「ネアンデルタール人のドラフト全ゲノム配列」を報告する論文が発表されました。その論文の中で、非アフリカ人のゲノムの中に、ネアンデルタール人のゲノムから受け継いだと思われる多型が1~4パーセント存在することが報告されました。この結果は、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが分岐した後、どこかの時点、どこかの地点で、両者が再会し、混血した可能性を示していると解釈できます。

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