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広がる生活不安と社会保障のゆくえ 『社会保障入門』より

記事:筑摩書房

original image: Artem Shadrin / stock.adobe.com
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 「食品や日用品、光熱費が上がり、さらに介護保険、医療保険の保険料も上がり、わが家では、新聞も止め、……医師から処方される薬も止めました。……年金引き下げは高齢者の生活を苦しめるだけです。取り消してください」

 これは鹿児島市に住む70歳(当時)の女性が、年金減額処分の不服審査請求書に記した悲鳴にも近い訴えだ。「これ以上下げられると盆暮れのおつきあいもできません」と記した女性もいた(年金裁判違憲訴訟陳述集『とどろけ心の叫び』全日本年金者組合、2016年12月、112頁)。

 2013年10月から、特例水準(物価が下落した時期に特例として年金給付が据え置きとなっていた水準)の解消を名目に、老齢・障害・遺族年金が引き下げられ(13年から15年まで3年間で2.5%減額)、母子世帯などに支給される児童扶養手当や障害のある子どもへの手当なども減額された(同じく3年間で1.7%減額)。2015年4月からは、年金給付額を物価・賃金の伸びより低く抑えるマクロ経済スライドがはじめて発動され、2.3%の物価上昇に対し年金上昇は0.9%増(特例水準の解消分の0.5%、マクロ経済スライドの調整率0.9%が加わり計1.4%の引き下げ)に抑えられた。

 「通所施設に通ってくるお年寄りの方が元気で、職員の私たちの方が元気ないのよ」 私事で恐縮だが、これは山口県の通所事業所に勤務する筆者の妹のぼやきである。2015年4月から、介護事業所などに支払われる介護報酬が全体で2.27%も引き下げられた。介護職員処遇改善加算分(プラス1.65%)などを除く基本報酬でみると、4.48%もの引き下げは、過去最大だ。2018年4月の介護報酬改定では、引き下げ(マイナス改定)こそなかったが、改定率0.54%の微々たる引き上げにとどまり、しかも、妹が勤務しているような大規模通所介護事業所の基本報酬は引き下げられ、経営が苦しくなっている。妹がぼやいていた「利用者が元気で、職員が疲弊して元気がない」という「笑い話」のような状況は、多くの事業所でみられるが、さらに悪化している。介護現場では、いまや介護職員の疲弊、離職が加速し、募集をかけても人がこないという状況が常態化している。

 「生活保護費の削減と消費税の増税で暮らしは、悪化の一途。昨年夏は猛暑であったが、電気代節約のためにクーラーをつけず、三回も熱中症で病院に運ばれた」 最後の声は、生活保護基準引き下げ違憲訴訟の鹿児島地方裁判所での第一回期日における原告のひとりの陳述である(2016年6月22日)。第八章でみるように、2013年8月から3年かけて生活保護の扶助費(生活保護基準)の引き下げが断行され、2015年7月からは、さらに住宅扶助費の削減(3年かけて総額190億円の削減)と冬季加算の削減(2015年11月から翌年3月までの分約30億円)が断行された。生活扶助費は2018年10月から3年かけて、さらに160億円削減される。この陳述のように、生活保護受給者の健康への悪影響、場合によっては命にかかわる事態をもたらしかねず、まさに「命を削る政策」といってよい。

 現場からの悲鳴を三つ紹介したが、いま、日本では、社会保障費の抑制・削減(以下「社会保障削減」と総称)が進められ、国民生活がますます苦しくなり、将来への不安が増大している。

 2018年度予算でみると、医療・介護などの社会保障費の自然増部分(高齢化の影響などで自然に増大する部分)が概算要求段階の6300億円から5000億円に削減された。

 安倍晋三政権になってからの六年間で、医療崩壊をもたらしたといわれた小泉政権の時代を上回る1.6兆円もの大幅削減である。同時並行で、社会保障削減を内容とする法律が次々と成立、生活保護基準や年金などの引き下げが断行されている。

 中でも、社会保障の中心をなす社会保険制度(年金・医療・介護)については、保険料の引き上げ、給付水準の引き下げ(マクロ経済スライドによる年金水準の引き下げ)、給付要件の厳格化(特別養護老人ホームの入所対象者を要介護 3以上に限定など)、患者・利用者の自己負担増が次々と断行され、保険料や自己負担分を払えない人が、必要な医療や介護サービスを受けられない事態を招いている。また、年金から天引きされる保険料の増大や年金給付の減額は、冒頭でみたように、年金生活者の生活困難を増大させている。

 一方で、2018年度予算では、防衛費(軍事費)が当初予算としては過去最大の5兆1911億円となり突出した伸びを示し、安倍政権が発足してから六年連続の増額、四年連続で過去最大を更新している。北朝鮮による弾道ミサイル発射を口実に、陸上配備型迎撃ミサイルシステム(イージス・アショア)配備に向けた調査費などに7億3000万円を盛り込み、垂直離着陸機オスプレイスやFAステルス戦闘機、無人偵察機グローバルホークなどを増強する。とりわけ、歴史的な米朝首脳会談の後、北朝鮮半島の軍事的緊張が緩和されている中で、長距離巡航ミサイルの導入は(イージス・アショアの購入費だけで1000億円を超える!)、かえって緊張を高めるだろうし、北朝鮮のミサイル基地を射程に収めた攻撃能力を日本が保有することを意味し、憲法のみならず、歴代内閣が堅持してきた「専守防衛」の枠を超えることとなり問題である。

 かつて「大砲か、バターか」と称されたように、防衛費の増大を進める政権は、必ず社会保障を削減してきた。安倍政権の場合、それがとくに露骨だ。そして、こうした社会保障削減により、貧困や格差が今以上に拡大することは必至である。貧困や格差を拡大させる政策は、それが意図的か否かは別として、結果的に、貧困層の若者の経済的徴兵(生活困窮のために、安定した収入を求めて軍隊に入ること)をうながし、2015年に成立した安全保障関連法(いわゆる「戦争法」)、さらには、2017年に成立した共謀罪と並んで日本を戦争のできる国にしていく基盤づくりともいえる。

 日本国憲法(以下、本書では「憲法」と略)二五条一項は、国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を明記し、同条二項は「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定している。国(都道府県や市町村など自治体も含むとされている)の社会福祉・社会保障における責任を明記しているわけだ。

 この憲法二五条の規定を踏まえ、社会保障を定義するならば、失業しても、高齢や病気になっても、障害を負っていても、どのような状態にあっても、すべての国民に、国や自治体が「健康で文化的な最低限度の生活」を権利として保障する制度ということができる。そして、憲法二五条一項で保障されるべき生活水準は、生存ぎりぎりの「最低限度の生活」(すなわち、ヒトとしての生命体を維持できるぎりぎりの生活)ではなく、「健康で文化的な」ものでなければならないと解されている。しかし、冒頭で紹介した年金生活者や生活保護受給者の生活実態は、とても「健康で文化的な最低限度の生活」とはいいがたいだろう。

 何よりも、日本では、社会保障が脆弱で十分機能していない。生活保護世帯は過去最高を更新し、貧困率は国際的にみても高い水準にあり(国民の六人に一人が貧困線以下の生活)、子どもの虐待件数も過去最多を更新し続けている。高齢者の孤立死・孤独死も増大、家族の介護疲れによる介護心中・殺人件数は、2006年以降、毎年40件から50件のペースで発生している(この件数も氷山の一角と推定される)。過労死・過労自殺の労働災害(労災)認定も増加し続けており、2017年度の労災補償状況によれば、仕事が原因でうつ病などの精神障害を発症して労災認定を受けた人は506人で、はじめて500人の大台を越え(うち98人が自殺・自殺未遂)、過去最多になっている(厚生労働省発表)。 これに加えて、社会保障が削減されているのだからたまらない。しかも、安倍政権による生活保護基準や年金の引き下げは、年金受給者などの生活実態を無視して一律に行われており、その意味で、国民の生存権侵害であり、憲法二五条違反の政策といえる。

 あろうことか、安倍首相は、こうした憲法違反の社会保障削減を自らの歳出カット政策の実績として誇っている。社会保障削減を進め、その削減を誇るような人物が首相の座にとどまることは他の先進国では考えられないことなのだが、年金がカットされ生活が苦しいとぼやく高齢者が、なぜか選挙になると、年金をカットする法案を通した政権与党(自民党)に投票する。安倍政権の社会保障削減の実態がよく知られていないのではないか。 そもそも、社会保障の法制度は複雑なうえに、その範囲が、年金・医療から子育て支援など多岐にわたるため、一般の国民には理解が難しい。しかも、多くの国民に知られないまま、毎年のように法改正が行われ、頻繁に制度が変わる(介護保険がその典型だろう)。法律が施行されて、はじめて保険料や自己負担が増えていることに気づき驚く国民が大半なのである。

 国政選挙でも、年金、介護、子育て支援などの社会保障政策は景気対策と並んで、有権者が投票の際に重視する項目では、常に一位か二位にランクインされるのだが、与野党とも、選挙になると(表面的とはいえ)社会保障の充実を公約に掲げるため、双方の違いがわからず争点になりにくい。

 安倍政権も、これまでの選挙の時には、社会保障削減の方針はひた隠し、待機児童の解消など社会保障の充実を公約としてきた。直近の2017年10月の衆議院選挙でも、政権与党は、2019年10月の消費税率10%への引き上げを確実に実施し、その使途を変更することで幼児教育・保育を無償化することを選挙公約に掲げた。社会保障削減を国民に知らせない、政治問題化させない、選挙の争点とさせない(政治問題化しそうな場合には、小出しの改善案を打ち出し、矛盾を覆い隠す)政治手法がとられている。

 社会保障を充実してほしいという国民の要求は高いのだが、そうした要求を封じ込める政治手法もとられている。まず、国の財政が苦しいという財政危機論が持ち出される(これは、安倍政権に限らず、民主党政権も含めて歴代の政権がそうであったが)。国の借金は1000兆円を超えている一方で、少子高齢化、さらには人口減少社会の進展で、税や保険料を納める社会保障の「支え手」が減り、現在の社会保障制度は持続できなくなるため、「持続可能」な制度(年金制度改革の場合には、これに「世代間の公平の確保」が加わる)にするための改革、すなわち増え続ける社会保障費を抑制・削減する改革が必要だとし、社会保障の充実を求める声を封じ込める。

 同時に、社会保障の充実のためには、消費税の増税しかないと半ば脅しともいえる宣伝を行う。少子高齢化の進展と人口減少社会の到来→社会保障の支え手の不足→社会保障の持続可能性を維持するための歳出削減と消費税の増税というお決まりの図式だ。

 しかし、社会保障は安心した国民生活を保障するための制度なのだから、いくら社会保障制度が「持続可能」になったとしても、国民生活が成り立たなくなれば意味がないし、本末転倒だ。社会保障は国民生活に必要なものであるから、財源が足りなければ、どこからか財源を工面して、社会保障の充実に充てるのが、政治家の仕事ではないか。そもそも、本当に財源がないのか。消費税を増税することなく、社会保障充実のための財源を確保することはできないのだろうか(この問題については、終章で詳しく検討したい)。

 また、これは安倍政権に顕著な特徴だが、生活保護バッシングのように、生活保障を求めようとする人を「怠け者」や「不正受給者」のごとく攻撃し、助けを求めさせない、声を上げさせない社会的雰囲気が作りだされている(助けを求めたら、バッシングされる!)。社会保障を公的責任による保障の仕組みとしてではなく、家族や地域住民の「助け合い」(共助)の仕組みと歪曲し、できるだけ公に頼らず、自助や家族で何とかすべきだという自己責任論が強調される。自民党の「日本国憲法改正草案」(2012年4月27日決定)の二四条は、新たに一項を設け、「家族は、互いに助け合わなければならない」と規定している。そのこと自体が、戦前の家制度など古い価値観の復活を思わせるが、社会保障との関係では、自助や共助の基本的単位として、家族内での助け合い、つまりは扶養を強要する根拠規定されるおそれがある。そこでは、家族の扶養や助け合いで何とかならないからこそ、社会保障が生まれて発展してきたという歴史的事実が全く看過されている(第一章参照)。

 こうした安倍政権のもとでも、社会保障削減と相次ぐ給付引き下げに対して、当事者が声をあげはじめている。もともと、日本の人権をめぐる訴訟の中で、さまざまな困難をかかえつつも、生活保護基準の違憲性を争った朝日訴訟など、固有の人名を付した裁判として、活発に提訴されてきたのが、憲法二五条の生存権をめぐる裁判であった(第八章参照)。まず、生活保護基準の引き下げについては、同基準の引き下げを違法とする行政訴訟(生存権裁判といわれる)が、全国で29件提訴され、原告は1000人を超え(2017年12月現在)、生活保護史上空前の裁判運動に発展している。年金給付の引き下げについても、全日本年金者組合の組合員を中心に、全国で一二万人を超す集団審査請求の運動が展開され、それを受けて、全国四二都道府県の原告が39の地方裁判所に年金減額に対する取消訴訟を提起している(2017年9月現在)。こちらは、原告は4000人を超え、社会保障をめぐる史上最大の集団訴訟に発展している(筆者も、同訴訟において、原告側の共通意見書を東京地裁などに提出している)。

 2016年2月には、保育園の入所選考に子どもが落とされた母親が政治への怒りをつづった「保育園落ちた日本死」と題するブログが国会質問で取り上げられ、これを契機に、「待機児童ゼロの実現」などを掲げながら、待機児童問題に真剣に向き合おうとも解決しようともしない安倍政権に対する怒りの声が急速に拡大、同じように保育園の選考にもれた親たちが「保育園落ちたのは私だ!」とのプラカードを手に、国会前で抗議活動に立ち上がった。マスコミにも大きく取り上げられ、待機児童問題が大きな政治問題に浮上し、安倍政権は、待機児童解消を(表面的にでも)重要政策に掲げざるを得なくなった。

 社会保障の問題を政治問題化し、選挙の争点としていくことができれば、政治を変え、社会保障を充実させていくことができるという展望が見出せる出来事だったといえよう。

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