大学入学共通テストが国語教育の危機をもたらす 『国語教育の危機』より
記事:筑摩書房
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大学入試の制度が大きく変わることはよく知られています。これまで、多くの国公立私立大学で導入されていた独立行政法人大学入試センターによる、いわゆる「センター試験」は2020年1月の実施が最後となり、以後、廃止と決まりました。翌年の2021年には選抜制度を大幅に変更し、新しい試験形式になるのです。名づけて「大学入学共通テスト」と言われることになりました。
名称だけ変わるのであれば対応も可能です。しかし、今回はそうした看板の付け替えではありません。その意味づけ、テストをふくめた大学入学選抜をめぐる制度設計の変更であり、考え方を変えるということでもあります。そしてテストに限定しても、試験科目の「国語」や「数学」ではこれまでのマークシート方式の試験だけでなく、記述式の試験が加わります。「英語」では、読む・書く・聞く・話すといった四つの技能についてのテストが導入されます。「歴史」「地理」や「政経」などの「社会(地理歴史・公民)」や「理科」も変わることになりました。
なかでも大きく変わるのが「国語」の試験です。記述式となれば、「国語」の能力がとりわけ求められるからですし、すべての教科の基本に日本語の文章の読み書き能力が関わっているということで、特別な位置を与えられたとも言えます。
しかも、大学入試の変更は、高校と大学の教育をつなぐ高大接続改革の政策上の一環として行われます。文部科学省は小学校から高等学校にいたる「学習指導要領」の改訂案をまとめ、2017年3月に幼稚園から中学校までの新「学習指導要領」を公表しました。幼稚園では2018年度からこれに則った教育が実施されており、順次、移行期間をへた上で小学校は2020年度から、中学校は2021年度から全面実施となります。高等学校の「指導要領」はこの2018年2月に公表されたばかりで、一か月のパブリックコメントの募集期間をへて、3月に告示されました。期間の短さから言って、一般からの意見聴取は形式だけで、ほとんど同じ内容のもので通すことになりました。2018年度中はその「周知・徹底」につとめ、2019年度からは移行期間が始まり、2022年度からこの新「指導要領」による教育の年次進行による実施を課すことになっています。
幼稚園を別にすれば、義務教育のスタートである小学校の場合は2020年度からであり、この年号にとりわけ文科省はこだわっています。2020年度は、もちろん東京で夏季オリンピック国際大会が開催される年にあたります。五六年ぶりに東京で開かれるオリンピック大会の招致が、敗戦から19年後に開かれた東京オリンピック(1964年)と同じく、国策として進められたことは言うまでもありません。これをきっかけに大きく国家の基盤を切り替える、そんな節目としたいという目的があるからです。「学習指導要領」の改訂はそれまでにも何度か行われてきましたが、「指導要領」始まって以来の歴史的な大改訂となるのが今回なのです。
さらに、この「指導要領」改訂をふくめた高大接続改革は、いわゆる「ゆとり教育」の反動期をへて、そこで足りないと指摘された基礎学力もつけた上での新たな学力の育成が目的です。この改革の成就に向けて、高等学校において基礎学力の到達度をはかる外部試験の制度を全国一斉に導入するとともに、よりその効果をあげるために、大学入学者選抜者制度を変更するというのが、政府──文科省の狙いです。高校の出口のところで、大学への入学者選抜制度を変えてしまえば、必然的に高校の教育内容も変えざるを得なくなります。これまでの推薦入試、AO入試なども名称変更や実施基準を改め、さらに本家本元である、1990年以来の「大学入学者選抜大学入試センター試験」を変更するということになったのです。
一般的な進行のスケジュールでいけば、新「学習指導要領」による教育が高等学校に導入されるのは2022年度からですので、学年進行に合わせれば三年後の2025年度の大学入学者選抜制度が変わることになるのですが、文科省は性急な改変を求めました。いわゆる「センター入試」は2020年1月の入試が最後で、以後、廃止と決められました。2021年1月に向けて選抜制度は大幅に変更されます。したがって、移行期間とはいえ、2021年度(2021年4月)に大学入学を希望する年代の高校生は、「大学入学共通テスト」と、新たな「学習指導要領」を睨みながら、学ばなければならないし、教える側もまたそれを前提にしながら教えなければならないということになったのです。
この新テストについては、2016年に大学一年生約千人を対象とした「国語」「数学」の二教科のみのモニター調査が行われた後、17年5月、7月に記述式とマークシート式それぞれのサンプル問題が公開されました。また、一一月には全国の高校生を対象に、「国語」および「数学Ⅰ・数学A」について五、六万人規模のプレテストが実施されました。以後、2018年度、そして必要な場合は2019年度にもプレテストが実施される予定です。こうしてサンプル問題を提示することによって、傾向と対策を練り、新「学習指導要領」の中核部分を先取りするように促しているのです。少なくとも今年、2018年4月に入学した高校生が三年を迎えるときには、「大学入学共通テスト」が待ち構えていることになります。
あまりにも急激な改変です。しかし、すでに工程表は動き出してしまいました。そして実際には、早くもいまの「センター試験」でも、「国語」の試験問題は次の「大学入学共通テスト」やその背景にある新「指導要領」を先取りした内容になりつつあります。もちろん、こうしたことが全面的にいいとは思いません。首を傾げたくもなります。しかし、現実にそのような「先取り」が動いている。この事態を把握し、問題点を洗い出していく必要があります。
では「大学入学共通テスト」はどのようなものになるのか。試験問題については複数のサンプルが公表されました。これをもとに、傾向と問題点を考え、高等学校の教科内容はどのように変わるのか、予測しなければなりません。「国語」「数学」「英語」「社会」「理科」と、主要五教科の試験はいずれも変わりますが、とりわけ「国語」「数学」「英語」の三教科は大きく変化することになりました。「数学」や「英語」についてもさまざまな議論があるようですが、なかでも「国語」は「学習指導要領」改訂にともなう位置づけの変化も相俟って、大きく変わることになりました。時代に応じて変化することは当然のことです。しかし、適切なのかどうなのか。
私自身、長年、「国語」の教育に関わり、その延長線上で日本の近現代文学研究にたずさわり、大学の入学選抜制度にも関わってきたものとして、今回の制度変更には疑問と懸念を抱いています。マークシート式の試験問題が正しいとはもちろん思っていません。その形式で計ることのできる能力は限られたものですし、弊害もたくさんあると思います。しかし、今回、新たに追加された記述式の試験は中学や高校の定期試験や応用問題の試験で行う記述式試験と同じではありません。二百人や三百人を対象にして数人の教員が採点をする試験と、五十万人規模を対象にした試験とでは問いの立て方や採点の仕方がまったく違ってしまいます。その物理的な条件の差は問題の内容を一変してしまう。そのことが十分に考慮に入れられていません。
また、マークシート式の問題に取り入れられた新しい能力判定の出題方法も、熟慮されたものとは思えません。むりやり作成された出題が多く、試験問題として、これまでの大学入試センター試験と比較しても大きく見劣りしています。
このままでは、この改革が獲得目標としたはずの「国語」を介した思考力・表現力・判断力をつけることにならないのではないか。むしろ、大きく阻害する要因となるのではないか。広い目で見れば「国語教育の危機」ともいうべき事態を前に、見解をまとめ、もう一度、議論を深めていくようにする必要があるのではないでしょうか。
「大学入学共通テスト」は私たちの社会を変える契機にしようとして計画されました。しかし、理想がときにお題目になって、現実にはまるで違う結果をもたらすことがしばしばあります。改革を目指した人たちは、グローバル社会に向けて「英語」も重要だと出張する一方、「国語」こそあらゆる教科に関わる「学び」の根源に位置していると考えています。確かにそれはそのとおりです。第一言語である日本語の言葉を学び、言葉を使うことを通して、私たちは自分の心や思考を確認し、人と対話し、「話す──聞く」ことや「読む──書く」ことをくりかえしてきました。あらゆる理解や思索、表現の基本は、言葉の学習から始まります。だからこそ、「国語」は重要です。そして「大学入学共通テスト」は、その「国語」の教育に大きななたをふり下ろそうとしています。それは正しいことなのか、適切な手術なのか。やりすごし、見すごしていていいことなのか。
改革には徹底した議論が不可欠です。反対意見があってこそ、改革は真の改革になっていきます。「大学入学共通テスト」における「国語」の問題の分析と評価を通して、目の前にある「国語」の危機についていっしょに考えていきましょう。