『ゴールデンカムイ』監修者がおすすめ アイヌ文化を知る厳選12冊
記事:じんぶん堂企画室
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――『ゴールデンカムイ』の監修をどうして引き受けられたのでしょうか。
『ゴールデンカムイ』の監修に関しては、作者の野田サトルさんと担当編集者の大熊八甲さんが、まずあちこちの関係者や関係機関を訪ねて取材を行っていたようです。その中で、北海道アイヌ協会事務局長(当時)の佐藤幸雄さんと、北海道博物館研究員の大谷洋一さんが、監修者として適任であると私を推薦してくださったそうです。ということで、連載の開始前に野田さんと大熊さんが私の研究室を訪ねてきて、第一話と第二話の「ほぼ完成した」原稿を見せてくれました。
私はそれまでいくつかの小説などのアイヌ語のチェックを引き受けた経験がありました。まあひどいものは相当にひどいので、そういうものを世に出して、間違った知識を一般に広めてもらっても困ると、始めから監修を引き受けるつもりではいたのです。ところが、『ゴールデンカムイ』の原稿を読ませてもらって、「これはすごい」というのが一番の感想でした。伝統的なアイヌ文化の装束や道具を正確に描き表しているということばかりでなく、アシㇼパの登場場面が非常にかっこよく、また展開がドラマチックで、これは絶対良い作品になると感じて、逆にこちらからぜひ関わらせてほしいとお願いしたという次第です。
――どのように監修に関わっているのですか。
基本的に私はアイヌ語が専門ですから、アイヌ語の意味とか語形に関して間違っていないかどうかを確認するということと、作中のアイヌ語のセリフを作文すること、アイヌの登場人物の名前を考えることというのがおもな仕事です。その他に文化的な事項に関するアドバイスや、場合によっては話の設定そのものに関わることもあります。話の展開に従って、アイヌ関連の事項に関するチェック一般を行うことが私の役割ですね。でも、事前にそれが全部行えるわけではないので、本誌に印刷されてしまった後であれこれ注文をつけて、コミックスで直してもらうというようなこともあります。
――『ゴールデンカムイ』は手塚治虫文化賞マンガ大賞(朝日新聞社主催)を受賞し、テレビアニメにもなり、大ヒットしました。
大変結構なことだと思っています。私はもともとアイヌ語の復興という問題に関わってきて、それに必要なことはアイヌ民族の威信(prestage)を高めることだということを、常々唱えてきました。威信とは一言で言えば、プラスのイメージということです。
この漫画がそれ以前のアイヌを扱った小説や漫画などと異なるのは、アイヌを、時代の流れに取り残された「滅びゆく」民族、虐げられた気の毒な人たちという観点から一切描いていないということですね。
ヒロインのアシㇼパは、まだ子供の領域にいる年代でありながら、日露戦争の勇士である主人公の杉元に頼られるたくましい少女として描かれていますし、それ以外に登場するアイヌたち―インカㇻマッ、キロランケ、ウイルクなど、純朴で運命に押し流される人たちではなく、むしろひと癖もふた癖もある魅力的なキャラクターとして、物語の進行に重要な役割を果たしています。それがアイヌに対するプラスのイメージ作りをしているということは、間違いないことだと思います。
――漫画をきっかけにアイヌに関心を持った人に勧めるとしたら、どの本でしょうか?
まずアイヌ自身の言葉に耳を傾けることから始めるのが一番ですね。萱野茂さんの『アイヌ歳時記』(ちくま学芸文庫)は私も愛読書ですが、アイヌ文化のまだ色濃く残っている時代の二風谷(にぶたに)という集落で、萱野さん自身が直接体験してきたいろいろな生活文化の思い出を、大変読みやすい文章でつづったもので、アイヌと呼ばれる人たちが当時どのような生活を送っていたのかがわかる良書です。
そしてやっぱりなんといっても、知里幸恵さんの『アイヌ神謡集』(岩波文庫)でしょうね。アイヌ自身が初めてアイヌ語で書いて出版した本で、「神謡」と呼ばれるアイヌの物語が13編収録されていますが、知里幸恵自身のつけた日本語訳も大変美しい文章で、もう100年近く前に書かれた本でありながら、いまだに版を重ねて多くの人に愛読されています。「神謡」というのはひとことで言えば、自然の側からの視点で描かれた物語で、これをじっくり読めば、アイヌの世界観がどういうものか感じ取ることができるでしょう。
――昨年、『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(集英社)を出版されました。
『アイヌ文化で読み解く~』が出た後、品切れ状態が長い間続いていたいろいろな本が再刊されるようになりました。大変喜ばしいことだと思います。
そのひとつとして挙げておきたいのが、ヤマケイ文庫から3月に刊行された萱野茂さんの『アイヌと神々の物語~炉端で聞いたウウェペケレ~』(山と渓谷社)です。これは『アイヌ文化で読み解く~』のブックガイドで『カムイユカラと昔話』というタイトルで紹介していたものですが、長らく絶版状態になっていました。ウエペケㇾ「散文説話」というアイヌの物語38編を日本語で紹介し、ひとつひとつの話に関連するアイヌ文化の解説を萱野さん自身がつけている、大変面白くて勉強にもなる本です。
もうひとつとして、やはり20数年ぶりに再刊された、私の『改訂版 アイヌの物語世界』(平凡社)をお勧めしておきます。アイヌの物語文学というものがどのようなものかを、一番わかりやすく解説している本だと思います。
また、これから再刊が予定されているものとしては、更科源蔵さん・更科光さんの『コタン生物記』(青土社)を挙げておきたいと思います。更科さん自身が全道を歩き回って集めた、動植物から魚、昆虫にいたるまで、アイヌ文化におけるさまざまな生物の伝承・言い伝えの類を集大成したものです。『ゴールデンカムイ』でもたびたびこの内容が参照されており、有名なラッコ鍋のシーンなども、この本に基づいたエピソードです。通読してもよいし、関心のある生物から随時読んでも面白い力作です。
――今後、アイヌがエンターテインメント作品になる機会も増えそうです。マンガ家さんや作家さんが参考に出来るような本はありますか。
手に入るかどうかはわかりませんが、資料ということであれば、萱野茂さんの『アイヌの民具』(すずさわ書店)がお勧めです。これはアイヌが日常生活で使っていた民具100点以上を、武蔵野美術大の人たちが計測して図示し、萱野さんが作り方、使い方から、その素材にいたるまで詳しく解説したものです。『ゴールデンカムイ』でもこの本をおおいに参考にしています。
あとは、これも手に入るかどうかはわかりませんが、第一法規から刊行された『アイヌ民族誌』という本があります。これはそれまでのアイヌに関する総合的な知識を、当時のアイヌ研究の第一人者が集まって集大成したもので、アイヌ文化に関してわからないことがあったら、とりあえずこの本を参照するのが一番早いでしょう。
――アイヌ語の面白さとは何でしょうか。
私は言語学の専門家ですので、私にとっての面白さというのは、一般の人の面白いというのとは違うと思います。アイヌ語は日本列島で古来から話され、日本語と陸続きで接してきた唯一の言語ですが、日本語とは系統的に何の関係もありません。それどころか私の専門である言語類型論からいっても、日本語とはかなり異なる言語です。
なぜこのような似ても似つかない言語同士が日本列島の中で隣接してきたのかというのが、私の興味の中心です。それがどう面白いのかを伝えるのはかなり困難ですが、橋本萬太郎さんの『言語類型地理論』(弘文堂選書)という本を読んで「面白い」と思った人は、私と同じ興味を共有できる人だと思います。
――中川先生が専門とされるアイヌ語研究はいまどんな状況なのでしょうか。
アイヌ語を研究しようという人の数は間違いなく増えていますし、非常に優秀な人材も育っています。北海道各地の研究機関に就職して、専門家として活躍している人たちも大勢出てきています。ただし、私は千葉大学を2020年度いっぱいで定年退職予定であり、今、どこの大学でも同じだと思いますが、自動的に同じ専門の人間を後任でとれるという状況にはありません。つまり、私が退職した後、千葉大ではしばらくアイヌ語の専任がいない状態になる確率は非常に高く、首都圏でアイヌ語・アイヌ文化に関する専任教員のいる大学はひとつも無くなってしまいます。
これは実は金田一京助が1908年に國學院大學の講師になって以来、110年ぶりの事態であり、国がアイヌ語研究の推進ということを本気で考えているのなら、由々しき事態と考えてほしいところですね。
――アイヌ語を学びたい学生さんに勧めるとしたらどんな本でしょうか。
アイヌ語のトータルな文法書としては、佐藤知己さんの『アイヌ語文法の基礎』(大学書林)があります。独習書というよりはアイヌ語の記述言語学的な文法書というほうがふさわしいもので、言語学を学ぶ気のある学生さんには、これが一番適切だと思います。
あと、私自身が今年中に白水社からアイヌ語の文法書を出そうと思っていますので、うまくいけば、初心者にもわかりやすく、アイヌ語を体系的に解説した本になるかもしれません。
――先生はアイヌ語上級者講座の講師を務めています。アイヌ語を話したいという人に勧めたい本はありますか。
専門家ではなく一般の人を対象にした独習書としては、私の『ニューエクスプレス アイヌ語』(白水社)が適当かと思います。これは20章すべてを3人の会話で組み立てており、その音声を付属のCDで実際にアイヌ家庭の親子3人に吹き込んでもらっているものです。会話の内容も、色々ジョークを入れたり、オチをつけたりして工夫してあるので、楽しんで練習できると思います。
アイヌ語を通してアイヌ文化にも興味を持たせるということを最重要視するならば、私の『カムイユカㇻを聞いてアイヌ語を学ぶ』(白水社)がいいかもしれません。これはアイヌ口承文芸のさまざまなジャンル―鳥の鳴きまねとか、なぞなぞとか、歌とか、物語とか―の例を使って、アイヌ語を学んでいくというスタイルのもので、アイヌ語の独習書としては他に類例がないと思います。千歳の中本ムツ子さんという伝承者との共著で、中本さん自身が伝承して来たものを中心に組みたてて、本人にその発音を吹き込んでもらっていますので、それを聞いているだけでも楽しいと思います。