「何の役にも立たない本」だから、読みたくなる。――『見えないものとの対話』
記事:大和書房
記事:大和書房
「この本は、一番思い入れがあるんだよ」と著者の平川克美氏が珍しく熱を込めて語ってくれました。
2018年から1年間にわたるweb連載をまとめ、大幅に加筆・修正したものです。連載が終わってすぐに書籍化する予定でしたが、それから1年の歳月が必要になりました。予期せぬ闘病のために――。
昨年の秋、有明のがん研での手術を終えた平川氏からの電話。いそいそと池上線「荏原中延」駅すぐの「隣町珈琲」に赴きました。「隣町珈琲」とは平川氏が営む喫茶店。壁一面に本、本、本……。一杯ずつ丁寧に淹れらるサイフォンコーヒー。いつも著者は一番奥のテーブルでパソコンをにらんでいるか、本を開いているかのどちらか。たまに、どなたかと打合せ中の時もあります。
店に入ると、いつも通り「おお」と言って、たばこに手を伸ばす。見ると、電子タバコに変わっていました。
『見えないものとの対話』は『言葉が鍛えられる場所』(2016年刊)から続くシリーズ。多忙を極めるはずなのに、連載中、ほとんど〆切が遅れることはありませんでした。そんなことを思い出しながら、無事帰ってきた姿を見て少し泣きそうになる。
「俺はいそがしいんだ」と言いながら、「10万字くらいあればいいだろ」「あと2~3本、書くか」とさらっと言う。
さて、『見えないものとの対話』がどんな本であるかを伝えたいのですが、これがなかなか難しいのです。
平川氏自身の私的なエッセイであり、時代の評論であり、現代詩の解説でもある、不思議な本です。
話は変わりますが、連載の打合せをしていると「俺は嘘がうまいんだ」と言うのです。
「え、この話は嘘なんですか?」と聞くと「嘘なんか書かないよ」とまたうそぶくのです。
なんだか禅問答のようですが、「騙されてみたい嘘」というのは、あるのではないかと思います。と書くと、まるでこの本はフィクションのようですが、まぎれもない事実の堆積なのです。10代の頃から平川氏自身に蓄積した言葉と経験を、古いノートや黄ばんだ詩集で答え合わせ。
しかしながら、読むほどに「心地よい嘘」のような気がしてくるのです。
今回、帯の推薦文は平川氏の大学時代からの友人でもある内田樹氏にお願いしました。
「僕はつい聴き入ってしまう。語るたび彼の物語は滋味を増し、未聞の深みに達するからである」
「心地よい嘘」とは、内田氏の言葉を借りると「未聞の深みに達する物語」ということになるのかもしれません。
ちなみに内田先生には本のカバーにも登場していただいています。探していただけると幸いです。
この本のタイトルにもなっている「見えないもの」とは何か。
この本での著者の試みは、見えないものとの対話です。その手法は前作『言葉が鍛えられる場所』と同じく、現代詩を引用しながら言葉と、記憶と、時代を紐解くというもの。
谷川俊太郎氏、三木卓氏、寺山修司氏、茨木のり子氏、マーサ・ナカムラ氏……。多くの詩人らの言葉が随所にちりばめられています。
あとがきのタイトルは「世界を揺るがす大事件と市井の人々」
「大事件の同時代を生きた市井の人々が、その日の朝食に何を食べたのか、その日の散歩はいつもと同じコースだったのか、庭先で転んだりしなかったか、重要な顧客との契約を失注して意気消沈したりしなかったのか、突然の虫歯に襲われてありしなかったのかといった、どうでもよい取るに足らない日常が気になるのである」
どうでもよいことで私たちの人生は彩られ、世界は作られている。言葉にならない「どうでもよいこと」を、言葉にしようとする試みだと思います。