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高齢化社会の陰で裏切られる人生最期の願い『119番と平穏死』

記事:大和書房

『119番と平穏死』
『119番と平穏死』

穏やかな最期を脅かす分岐点

 119番をするということは、法律や倫理的観点から「フルコースの蘇生処置をやってほしい」と意思表示をすることと同じです。では、フルコースの蘇生処置とはいったいどういうことでしょうか。たとえば、もし搬送する相手が息絶えそうになったら、停止した心臓を動かすために心臓マッサージを行い、気道を確保するために口から気管にチューブを入れ(気管内挿管)、人工呼吸器を装着します。さらに、人工呼吸器が長期化しそうであれば気管に穴を開ける気管切開を行う……というように、救急隊員や医師はできる限りの蘇生処置を行うということになります。

 一昔前までは気管内挿管をできるのは医師のみでしたが、いまは、いち早く開始するために、トレーニングを受けた救急隊員にも気管内挿管が許されているので、救急車に乗った瞬間から、こうしたフルコースの蘇生処置がはじまります。

 こう聞くと「少しでも命が助かる望みがあるのなら、フルコースの蘇生処置をお願いしたらいいじゃないか」と思うかもしれません。たしかに、息を吹き返したあとに、また家に戻れて、穏やかな生活を送れるのならいいですよね。しかし、もともとの全身状態が悪かったり、寝たきりで体力がなかったりすると、多くの場合、そのまま延命治療に移行します。一度はじまった延命治療は、いまの日本では中止するのは困難です。

 私が診ていたる患者さんは常日頃から「自宅で最期を過ごしたい」と話していました。しかし、いざ容態が急変すると同居するご家族が救急車を呼んでしまいました。そして、搬送先の病院で人工呼吸器による治療がはじまりました。翌日、私はご家族からこんな相談を受けました。

 「やはり延命治療は拒否したいと思います。寝たきりで、たくさんの管につながれているのはかわいそうですし、本人も望んでいなかったはずです」

 こう訴えるご家族に対して、私ができたのは、「そうは言っても、いったん延命治療が始まってしまうと、病院側も倫理上の理由などから、『ご家族や本人の希望だから』という理由だけでそれを中止するのは現実には困難です。延命治療を中止すると、医者が罪に問われる可能性があるのです」と答えることだけでした。

救急車に「途中下車」はありません

 テレビを見ていると、救急医療の現場を扱ったドキュメンタリーがしばしは放映されています。こうした番組では、毎回次のような緊迫した場面が登場します。

 〝119番通報を受けて駆けつけると、患者は心肺停止状態。救急隊員たちは懸命に蘇生処置を行いながら、一刻を争う状況で救急病院に搬送され、病院で待っていた医師たちの処置で奇跡的に息を吹き返す――〞

 こうしたドラマチックなシーンは非常に印象的で、救急医療の素晴らしさばかりが強調されます。そのため、一般の人たちは「救急医は絶体絶命の命を助けてくれる」という、蘇生願望を強く抱いています。だから、心肺停止したのが人生の最終段階のおじいちゃん、おばあちゃんであっても、多くの家族は「救急医療の奇跡」にすがろうとするのでしょう。テレビドラマ『ドクターX』シリーズの主人公・大門未知子のような人間離れした技術を持つ医者が颯爽と登場し、瀕死のおじいちゃんやおばあちゃんを助けてくれるかもしれない、と期待するのかもしれません。

 ただ、現実には、フルコースの蘇生処置で息を吹き返せたとしても、その後、元の生活に戻れるのか、それとも延命治療で生かされることになるのかは、その患者さん自身のもともとの状態次第。ですから、人生の最終段階にさしかかった患者さんにとって救急車を呼ぶことは、ある種の〝賭け〞になると考えておいたほうがよいでしょう。

 覚えておいてほしいのは、救急車には「途中下車」はないということです。繰り返しますが、日本の法律では、一度119番に連絡をしたら、その瞬間からフルコースの蘇生処置とそれに続く延命治療を行うことに同意したとみなされます。タクシーのように、「ここで降ります」「やっぱり行き先を変えます」などと、蘇生処置や延命治療を拒否したり、中止したりすることは、なかなかできません。

 高齢者のなかには、自ら救急車を呼んでおきながら、「私は、延命治療を拒否します」と主張する人もたくさんいます。たくさんというよりも、ほとんどと言ったほうがよいかもしれません。また、子ども(といっても多くは50代や60代の大人ですが)が、救急車を呼んでおきながらいざ到着した途端に「父(母)には、延命治療は要りません」「蘇生のために苦しめないでほしい」などと訴えることもあります。法律をよく知らないとはいえ、これは主張する側に無理があります。

 救急車には途中下車はありません。だからこそ、いざというときに後悔のない判断ができるように、患者さんも家族も救急車を呼ぶ意味を知り、事前に何度でも丁寧に話し合っておくべきなのです。

(本書『119番と平穏死』より一部抜粋、再編集)

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