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実用系雑誌『BIG tomorrow』の原点には、教養主義? 『「働く青年」と教養の戦後史』より

記事:筑摩書房

original image: polepoletochan / stock.adobe.com
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『BIG tomorrow』と「人生雑誌」

 「一億円貯めた人の「お金が集まる環境」」「三〇代で年収一〇〇〇万円を達成した人たちの夜八時からの副業生活」(それぞれ2016年6月号・2014年6月号)──青春出版社発行の『BIG tomorrow』では、若手・中堅社会人層を対象に、これらの実利的テーマが多く扱われている。こうした誌面構成は、近年には限らない。1980年7月の創刊号では、「この処世術を心得なければ、きみはとり残される」「三つの周期リズムでギャンブルに必勝できる」といった記事が掲載されており、第2号(1980年8月)でも「大儲け、オレたちにとっても夢じゃない」と題したエッセイが収められていた。

 この雑誌は、当初、28万部の発行だったが、1985年ごろには約70万部へと急成長を遂げた。ビジネス誌『プレジデント』(1985年3月号)も、「青春出版『ビッグ・トゥモロウ』はなぜ売れたか」と題した特集記事を掲載し、社長・小澤和一のインタビューを大々的に取り上げた。二度のオイルショックを乗り越え、やがてバブル経済に突入しようとする時代を象徴する雑誌であった。

 しかし、創刊初期の『BIG tomorrow』は、必ずしも実利的なテーマのみを扱っていたわけではない。五木寛之「"いま"に燃えろ」(創刊号)、遠藤周作「自分がイヤになったとき、どうするか?」(1980年12月号)、扇谷正造「本との出会いには至福の人生が待っている」(1982年12月号)など、著名な文学者・知識人が「生き方」や「読書」を論じたものも少なくなかった。

 文学や社会問題への言及もいくらか見られた。1982年9月号では、「戦争体験の風化」が進む状況を念頭に置きながら、編集部が読者にむけて「戦争を知らない世代の諸君. 冷酷すぎない?」と問題提起し、「戦争を知らない世代が戦争を防ぐ手段──それは、想像力だと思います。他人の苦しみを自分の苦しみとして感じとることのできる、感受性だと思います」と記していた[「BIG tomorrow 編集部 公開質問状」欄、7頁]。やや後年だが、1990年には「ちょっと真面目に読むページ「あの詩、この歌・俺の読み方」」と題した連載記事が設けられ、金子光晴や中野重治らの詩を紹介しながら、「キミは一度でも、自分の生き方を疑ったことがあるか?」[1990年4月号、244頁]や「自分の弱さも醜さも、すべてさらけ出してキミは、この一篇の詩と対決できるか!」[1990年6月号]といった読者への問いかけがなされていた。

 「生き方」「読書」「社会批判」といった主題は、青春出版社の来歴を考えれば、理解できないものではない。同社は、小澤和一と大和岩雄の二名が代表取締役に就く形で1955年5月に創設されたが、彼らはもともと、『葦』(葦会)や『人生手帖』(文理書院)といった雑誌の編集・営業に携わっていた。いずれも高校などに進学できなかった青少年層を主要読者とし、「いかに生きるべきか」を主題とした。そこでは、「生きていくとうとさ」(『人生手帖』1955年9月号)や「人生いきるに価するや」(『葦』1957年5月号)といった特集が、毎号のように掲げられた。

 読者投稿が主ではあったが、柳田謙十郎、小田切秀雄、真下信一ら知識人による哲学・文学・社会批評の論説も、ほぼ毎号掲載されていた。読書案内が示されることも多く、平易な人生論のみならず、文学や哲学、マルクス主義系の文献も紹介された。

人生雑誌の教養主義

 「人生雑誌」あるいは「人生記録雑誌」と呼ばれたこれらの雑誌には、「読書を通じた人格陶冶」という教養主義の規範が垣間見える。教養主義とは、主として文学・哲学・思想・歴史方面の読書を通じて人格を陶冶し、自己を作り上げようとする価値規範を指す。大正期から1960年代にかけて、旧制高校や大学において広く見られた。『葦』や『人生手帖』の主要読者は、あくまで勤労青年層ではあったが、誌面には大学キャンパスでの教養主義に重なるような関心もうかがえる。

 創設間もない時期の青春出版社でも、亀井勝一郎『現代青春論』『現代人生論』、三浦つとむ『こう考えるのが正しい』など、「生き方」「読書」「教養」を扱う出版物が多く刊行された。1960年1月には、これらを主題とした雑誌『青春の手帖』も創刊されている。

 時事問題や社会批評が扱われたことにも、教養主義との親和性が透けて見える。大正期の教養主義は、政治から距離をとり、内省的な思弁に特化する傾向があったが、大正末期以降になると、恐慌や労働運動の頻発も相俟って、マルクス主義や社会民主主義に根差した社会改良志向が、読書や人格陶冶に結び付けられるようになった。「エリートたる者、社会を良くするために書を読み、人格を磨かねばならない」という規範である。河合栄治郎編「学生叢書」(全12冊)が広く読まれた昭和教養主義は、その典型であった。戦後の大学キャンパスでも、こうした動きは広く見られたが、人生雑誌もそれに重なるところがあった。『葦』『人生手帖』は、「生き方」「人生」を主題としながらも、時事問題の解説や総合雑誌の論説紹介のほか、原水禁運動や沖縄・土地闘争、六〇年安保といったテーマもたびたび取り上げた。

 両誌とも娯楽色には乏しかったが、1950年代後半ごろに高揚期を迎え、そのブームは全国紙や大手週刊誌でもたびたび取り上げられた。むろん、発行部数は、『平凡』のような大衆娯楽誌に比べれば、決して多いとは言えない。しかし、当時の『中央公論』でも発行部数は12万部程度(購読数は8万部)であり、『世界』が10万部に達したのも、1954年のことだった。『改造』や『新潮』に至っては、5、6万部の発行にすぎない。そのことを考えれば、8万部近くを発行していた『葦』や『人生手帖』は決して小規模の無名雑誌と呼べるものではなかった。雑誌がしばしば回し読みされていたことを考えれば、発行部数をはるかに上回る読み手がいたことは疑えない。「生き方」「読書」「社会批判」を主題とした人生雑誌が、ノン・エリートの一定支持を得ていた時代が、かつては見られたのである。

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